原因と隣
額を床に置いたデバイスに押し当て、意識を集中する。脳が、前頭葉がジンジンと痺れてくる。
もう少しだ!もう少しで見えそうなんだ!!
上半身に全霊を込め直し、首から額へ、石のようなデバイスへ向ける力をさらに加速させる。
頭に装着したヘルメット型のデバイスも呼応しているようだ。
いっけええええ!!
まぶたを力いっぱい閉じる。真っ暗な中で、ぼんやりとした白い光が緩やかに点滅を繰り返す。
恐る恐る目を開けると、変わらない光景が広がる。床の細かいホコリが光で目立つ。
「ダメか。」
ヘルメットを取り外しながら呟く。頭にはうっすら汗をかいており、顔は全身の血が集まっているみたいに赤くほてっている。背中に汗が浮かぶ。
この瞬間、毎回、とんでもない虚しさが襲ってくる。猛獣のような虚無感がこちらを凝視し、待ち構えているのだろう。そんな気持ちを払うかのように、深い呼吸をひとつ、シャワーに向かう。全裸なので洗濯物がないのが救いだ。
何週間前だっただろう。年季の入ったパーツショップの奥の棚のさらに奥の死角で、このデバイスセットを見つけたのは。
黒曜石のような素材、板状のデバイス。外見からはビスが見当たらず、どんな装置が内蔵されているのかも見当がつかない。その硬さと重量感は、まるで石だ。
ヘルメットの方は、回路やチップ、半導体で隙間なく覆われて、細かい凹凸が見ようによってはグロテスクだ。内側は、シリコンのような柔らかい素材と金属の組み合わさった突起物が、脳の作用するであろう場所に集中して埋め込まれている。被ると脳が微妙に震えるような、弱い電流が流れているような錯覚を起こす。付け心地は悪くない。
ボケた店主曰くこれは、とある研究所が解散した際の流出品だとか、軍の払い下げ品だとか要領を得ない。ただ、このパーツショップは、その道のマニアから昔は一目置かれていたらしいので侮れない。
とにかく、どんな装置かというと、意識を理想の異世界へ転移させることができるらしい。マッドな店主とマッドな装置だ。
そのデバイスの真偽はどうであれ、これだけは真実だ。見つけた瞬間に、第六感の警報が盛大に鳴り響き、脳が祝福する教会の鐘のように揺れ、脊髄に雷が直撃したような衝撃を感じたのだ。そして、意識を覆う分厚い雲が割れ、啓示が神のごとく降臨した。
これに賭けるしかない、と。
使い方がわからない?そんなことは取るに足らない些細なことだ。充電?関係ない。
被って祈れば、問題ない。確信している。
シャワーを浴びながら思案を巡らす。目的に徐々に近づいている確かな感触はある。足りないのは、やり切るという気持ちだけなんだ。これが成功すれば、このうんざりとした現実、くだらない人生のルーティンから解脱できるんだ。理想の世界へ行けるんだ。考えるだけで全身に力が漲る。
◆◆◆◆
統一された淡いミントグリーンの色合い。控えめなストライプのカーテン。窓辺には小さな花をつけた観葉植物。アロマがほのかに香りを添える。自分の家で過ごす時間は何物にも代えがたい幸せだ。
お気に入りの紅茶から柔らかな湯気が広がる。
うおおおおおおおおお!
口に含むと爽やかな風味。
いっけええええ!
心が洗われるようだ。
きたきたきたあああ!
至福の時間。
もう少しだ!いけるぞおおおお!!
「いや、うるさいな! 隣! いい加減にして欲しいよ!」
ティーカップを持つ指にグッと力が入る。
こんな具合に数週間前から、大切な時間を土足で踏みにじられるようになった。もういい加減、限界かもしれない。
隣人の自分に対する、気合、鼓舞、後押し、激励が、私の部屋を侵食する。
行けるってどこに行くんだよ。まず出て行けよ。
少しずつ積もったストレスが、重く頭にのしかかる。心なしか部屋のグリーンは色褪せ、観葉植物は元気がない。
そもそも何をしているのだろうか? テレビや、ゲームとかなら、画面に向けての発声で、当然、壁から漏れ聞こえてくるだろう。しかし、奇妙なことに音は床を伝ってくる、そんな気がする。隣人は床に向かって叫んでいるのではないか。気温とは違う寒気を感じる。
大家さん、もしくは、しかるべき機関に相談すべきだろうか。
お隣さんとは何度か挨拶したことがある。普通の外見、普通の挨拶、特に不審な点はなかった。いまは不信感が連日ストップ高を更新し続けている。
声が響く中、考えがグルグルと回る。しかし、答えにたどり着けない。
いや、こちらに非は全くない。しっかりと落ち着いて主張すれば相手もきっと分かってくれるだろう。
「うん。話せばわかる。人間なら。」
意を決し、重い腰を上げ、コートを羽織り、引き出しから取り出した、護身用スタンガンをそっとポケットにしまった。