プロローグ
とある一軒家、極普通のどこにでもあるような二階建ての住宅の一室に、唖然と立ち尽くす一人の男がいた。
「まだ死んでなかったとか、そんなの聞いてないんだが……」
力なくつぶやく男の名は中蔵雄大と言う。
ゲームが趣味のしがない大学生である雄大は、粉々になったパソコンの残骸を前にして、ショックの色を隠せないでいた。
雄大の自慢のパソコン……学業そっちのけであくせく働いて得たバイト代を注ぎ込んだハイエンドのデスクトップパソコン。
無駄に七色に光り輝いていたそのパソコンは、雄大の元へとやってきて極僅かなうちに、その輝きを過去のものとするに至った。
いったいなぜそんなことになったのか?
「俺はてっきり死んだと思ったから……。そう思ったからこそ、パソコンを壊して欲しいって願ったのに……」
それは雄大が願ってしまったからである。
というのも、雄大は先ほど神様と出会い。そして願いを一つだけ叶える代わりに異世界に転生して欲しいと頼まれたのである。
それは昨今話題の異世界転生というやつだった。
どういう巡り合わせか、チート能力で俺TUEEE! する機会が、期せずして雄大の元へと転がり込んできたのだ。
だが、その機会を前にして、なによりもまず雄大の脳裏によぎったのは、パソコンの中にある色々とアレなデータの数々だった。
性癖をさらすことになるであろう諸々のデータ群。決してアブノーマルなものではなく、世間一般的な範疇だと雄大は確信していたが……。
さりとて、誰かに見られたら憤死もののそれらを、できることならば墓場まで持っていきたいと、雄大は強く強く思ったのである。
チート能力も捨て難かったが、死んだ後のことなんて考えても仕方ないと割り切ることが、どうしても雄大にはできなかったのだ。
自分の死後、データを誰かに見られでもしたら……と。家族(特に妹)に見られたら死ねると、気が気ではなく。
だから結局、雄大は泣く泣くチート能力を諦めて、中身のデータごとパソコンを破壊することに願いを使ってしまった。
使ってしまったのだ!
不幸なことに……。
「なのに事前説明会って……。死んだ暁には転生してもらうって……。そういう大事なことは一番初めに言っとけよっ!」
だって、そのとき雄大はもう死んでるものと思っていたのだから。
実際はただの事前説明会であり、将来死んだときに転生してもらうための約束の取り付けと、準備をさせるための呼び出しだったのだが。
その事実を知らされたのが最後の最後だったため、雄大と、そして同じく神様に呼び出されてそこにいた者たちの誰も彼もが思い込んでいたのだ。
これからすぐに異世界に転生するのだと!
「そりゃまあ、神様は一度も俺たちが死んだなんて言ってなかったけどさ。あの状況で死んだって思わないほうが無理でしょ……」
それまでの状況が雄大たちを誤解へと導いたのだ。
何の前触れもなく、気が付いたときには辺り一面が真っ白という、不可思議な世界に集められていた雄大たち。
そんな状況に置かれた雄大たちは当然のように戸惑い、それでもなんとか状況を把握しようと皆で知恵を振り絞った。
各々が直前の記憶をさかのぼって状況把握に努め、意見を交わした。
そしてそんな中で、一人の女性がふとこぼした「ここは死後の世界なのかも……」という一言が、雄大たちを誤解に導く切っ掛けとなった。
直前に自殺を試みていたという彼女の言葉は重く受け止められ、そのうえで心当たりがある者が他にもいたことが、状況を大きく傾けたのだ。
「トラックに轢かれた」と言う者。
「包丁でお腹を刺されたからそれが原因だろうな」と言う者。
「重病で寝たきりだったから、そのままぽっくり逝ったのではないか」と言う者。
「思い出せる最後の記憶だとお風呂でうつらうつらとしていたから、寝てしまって溺れたのかもしれない」と言う者。
「歩道橋から落ちたときに打ち所が悪くて死んだのかもしれない」と言う二人。
その他エトセトラエトセトラ……。
自殺したと口にした女性に続くように、死因に心当たりがある者が何人も出てきたことが、雄大たちの命運を分けたのである。
死因に心当たりがあった者たちが死後の世界だと信じ始め、釣られてまったく心当たりがない者たちも、もしかしたらと疑い始めたのだ。
そうして、そこに神様が現れたことが止めを刺すことになる。
「やあやあ集まってるね」
そう言いながら現れた中学生ぐらいの男の子の姿をしたその神様は、見た目からはとても神様には見えなかったが。
しかしその身からにじみ出るオーラが、その場にいた者たちに有無を言わせず目の前の存在が神様であると認識させた。
「さて。君たちには異世界に転生してもらおうと思います! その代わりに一つだけ願いを叶えてあげよう!」
そして、そんな神様からの一言がすべてを決定付けた。
昨今のサブカルチャーに染まった若者が多かったこともあって、その一言でほとんどの者が置かれている状況を理解したのだ。
死後の世界だと信じ始めた者も、未だ半信半疑で夢の中に居ると思っていた者も、認識はどうあれ同じ方向を向いたのである。
なるほど異世界転生ものか……と、そう飲み込んだのだ!
そしてもちろん、雄大もそう思ったからこそ、残していくアレなデータの抹消を願い、心置きなく異世界転生することにしたのであった。
後顧の憂いを完膚なきまでに断つために、念には念を入れてパソコンごと中身のデータを破壊してくれと、そう頼んでしまったのである。
「ああもう、夢なら覚めてくれ……」
結果、雄大のパソコンは無残にも砕け散り、そうして雄大はこんなはずじゃなかったと、項垂れることになってしまった。
***
この物語は、そんな彼らの日常のお話。
すわ異世界転生かと思ったら、実はただの事前説明会で、転生するのは死んだ後だと言われ、しかも願いは現実世界で叶えられる。
そんな思いもよらない状況に置かれてしまった者たちが、こんなはずじゃなかったと嘆いたり、あるいは嘆かなかったりする物語である。