後編
解決編です。
香山紫乃が帰った後、石田と小池は残ったケーキを食べていた。
美味しいと評判のイチゴのショートケーキを頬張りながら、小池はチーズケーキを丸ごと残した紫乃を思い浮かべた。
なんだろう。
庇護欲というのか。
儚い雰囲気と潤んだような瞳が、妙に男心をくすぐるタイプだ。
失踪したという姉の香山紅美をバラに例えるならば、紫乃は散り行く桜のようだ。
バラ……?
「桜って、バラ科なんですか?」
先ほど、帰りがけの紫乃に石田が投げた言葉を思い出し、小池は尋ねた。
「そのようです。牧野は『イバラ科』とも言ってますが。バラ科には、桜や梅の他に、イチゴやリンゴ、アーモンドなども含まれます」
牧野って、きっと植物学者で有名な牧野富太郎のことだなと、小池は思う。
「さて小池さん。情報分析の結果を警務課にどう伝えますか?」
「うーん。事件性があるような、ないような……」
「わたしはあると思います。ただし失踪、行方不明の段階で、司法警察職員が捜査に入ることは少ないですね」
「えっ? そうなんですか!」
「はい。小池さんは、全国の年間行方不明者が、何人いると思います?」
そういえば、採用試験のために暗記した記憶が、小池には微かにある。
「ええと、九万人くらい、でしたっけ」
「そうです。翻って日本の警察官は三十万人に満たない。人手は足りません。よほどの事件性がない限り、積極的に行方不明者の捜査はしないのです。だから」
石田は最後に、ケーキに飾られたイチゴを飲み込む。
「この相談所が出来ました。ここは首都圏でありながら、地方都市と変わらない。中途半端な都市なんです。よって犯罪も多岐に渡っています。しかし警察の手が廻りきれない。ならばわたしはそこに光を当てたいのです」
小池は思った。
なんだか。
凄くカッコいい!
「そこで、小池さんは先ほどの、香山紅美さんの知人から、情報を集めてください。情報はわたしと共有して良いと、許可をいただいてます」
「許可って、誰からですか?」
「本部長と、知事からです」
「おおお!」
「わたしはこれから、探しに行きます」
「探すって……何を?」
「香山紅美さんです。二日以内に必ず探し出します」
きっぱりと言い切った石田を、小池は眩しそうに見つめた。
◇情報◇
小池は管轄の警察官と一緒に、まず、香山紅美と紫乃の両親から話を聞いた。
「紅美ですか。私共はもう、いない者として考えてますので、警察の方の手を煩わせる必要はございません」
「あの娘は、香山家の跡取りにはふさわしくないですから。紫乃がいれば十分です。紅美と婚約していた今井先生には、紫乃と結婚していただくことになっていますので」
小池は長女を全く心配していない、両親に違和感を抱く。
すると同行していた警察官は、事もなげに言う。
「よくある話です。長子優遇もあれば、末子溺愛もありますから」
小池が香山家の屋敷を出ると、裏門の辺りから件の公園が見えた。
噂の幽霊が出る場所と、香山家は存外近かった。
次に、小池が訪ねたのは、メモ書きにあった紅美の友人である。
ダンスのインストラクターをしているという女性は、開口一番こう言った。
「紅美の失踪? 家出でしょ。あの家じゃ、紅美は可哀そうな扱いだったし」
「ええと、妹さんの方が優遇されていたのですか?」
「優遇? そんな甘いもんじゃない。いわば虐待。紅美の希望は全無視。紅美の持ち物は紫乃のモノ。婚約者だって……」
「婚約者ってお、医者さんでしたっけ」
「そうそう。挙式が決まってから、寝取られたのよ。妹に!」
小池は目を丸くした。
あの、楚々とした香山紫乃が、姉の婚約者を寝取った?
「ああ、みんな、紫乃の見た目に誤魔化されるのよね。小さい頃は喘息気味で体が弱くって。色白で儚げで。紅美は元気良くって活発で。男の前で泣いたり出来ない。
紫乃が『私、お姉さまに虐められているんです』なんて縋りつくと、男はコロッと騙される。バカよね」
小池は背中に嫌な汗が流れる。
多分、いやきっと、小池とて香山紫乃に縋られたら、ヘンな漢気を発揮してしまうだろう。
「そんな妹なのに、紅美はそれでも可愛がっていたわ。小さい頃に縁日で買った、お揃いの指輪を大切にしていたりして。それだけは、紫乃に取られなかったって、ね」
小池がその日最後に会ったのは、香山紅美の学生時代の友人であった。
「紅美が行方不明? 何時から? えっ挙式直前?」
眉を寄せて考えている男性は、香山紅美の一つ年上で、大手商社勤務だった。
小池と同行している警官に向ける視線は怜悧である。
「やっぱり、さっさと奪っておけば良かったな」
自嘲気味に彼は笑う。どうやら紅美の恋人だったらしい。
「そうだな、交際あってたよ。でもさ、俺は長男一人っ子。紅美は跡取娘。一回だけ結婚したいって紅美の家に行ったら、塩撒かれたよ。『ウチの資産を狙った卑しい奴』とか言われてさ。
あの家の近くの公園も、香山さんの土地なんだってね。枝垂桜も含めて。
ああ、これじゃ紅美と結婚なんて無理だって、俺は諦めた」
大手商社マンらしいスタイリッシュな男性は、さらりと小池に名刺を渡す。
「何か分かったら、教えてください。俺は紅美の力になりたい。そう思ってます。今も」
浅井というかつての紅美の恋人は、小池に深くお辞儀をした。
◇確保◇
小池は聞き取った情報を手に、「何相」事務所へ向かった。
「残念ながら、香山紅美氏の婚約者、今井医師には連絡がつきませんでした」
「今井さんは、勤務していた病院を挙式前にお辞めになってますから、仕方ないでしょう」
石田の机には、前回よりも物があふれている。
「だいたい状況は掴めました。小池さん、今夜お時間ありますか?」
「あ、はい」
なんだろう。
一献傾けるのだろうか。
「超勤というかサビ残というか、ああ、残業申請は出してください」
「何か、この件の関係業務ですか?」
「そのとおりです、小池さん。そうそう、小池さん、地元のSNSに流して欲しいものがあります」
「なんでしょう?」
「幽霊騒ぎの続報です。そうですね、『ついに見つけた! 枝垂桜の幽霊』みたいな内容で」
「はあ」
よく分からないまま、小池は石田の言う通り、文章をSNSに投じた。
「今夜、カタをつけましょう」
深夜二時。
小池は石田の指示により、頭に暗視鏡を付け、その上にビニールのカッパを羽織り公園に立つ。
暗視鏡には赤外線照射装置がついており、灯のない公園で動くことが出来る。
「枝垂桜の木の根元で、しゃがみながらウロウロしててください」
石田からはそう言われていた。
生温かい風が吹く。
今夜は月も見えない。
本当に、何かが出たらどうしよう。
小池はドキドキしながら、枝垂桜の根元あたりを往ったり来たりする。
すると、赤外線を反射したのか、キラっと光るものが、地面に見えた。
なんだろう。
小池は座って手を伸ばす。
伸ばした小池の手の甲に、いきなり真っ赤な光が当たる。
自分の暗視鏡がずれたかと、小池の動きが止まった瞬間であった。
小池の体は何かによって、跳ね飛ばされた。
「痛ってえ……」
上体を起こそうとした小池の目に、ふわり立ち尽くす、白い人影が映る。
まさか!
ミイラ取りがミイラ?
いや違う!
幽霊のふり、なんかしたから。
幽霊に、捕まったぁ……
小池の意識は途切れた。
「小池さん、小池さん、大丈夫ですか?」
小池の目の前に、石田の顔があった。
「あれ? 僕……」
「お手柄ですよ、小池さん! 捕まえましたから、幽霊!」
そうか。幽霊見て、気を失って……
小池はハッとして飛び起きた。
雲が途切れ、月が辺りを照らす。
石田の横には、男女のカップルが互いに身を寄せ合っていた。
女性は、写真で見た顔だ。香山、紅美か?
男性は、昼間あった商社マン。浅井と言ったっけ。
「すみません、驚かしてしまいました」
紅美は謝罪する。
声が、聞き取りにくい。
見れば紅美の首には、包帯が巻かれていた。
「もっと早く、連絡しておけば良かったです。申し訳ない」
浅井も頭を下げた。
一体何が起こったのだろう。
小池の頭には疑問符が飛び交っている。
「小池さん、あなたの奮闘により、おおよそ解決しましたよ」
石田に言われても、全然納得できない小池であった。
◇謎解き◇
翌日。
睡眠不足のまま、小池は県の防災センターの会議室に赴いた。
関係者を集めての説明会を行うと、石田から連絡を受けたいた。
「何相」の事務所では、手狭だそうだ。
会議室には石田の他に、警備課の課長と警官がいた。
小池が席に着くと、浅井に手を引かれて香山紅美がやって来た。
一番最後に香山紫乃が、一人の男性を伴って入室する。
紫乃は紅美の顔を見ても、表情を変えることはなかった。
紅美は唇を一文字にした。
「皆さんお揃いになりましたので、『県民の命と安全を守るための何でも相談できる事務所』で扱いました『枝垂桜の幽霊』と香山紅美氏の失踪について、報告いたします」
石田は会議室のホワイトボードに、先日小池とまとめた情報を簡単に書いた。
「発端は三月の上旬、南区の枝垂桜に木枯らしの様な音が響き、深夜に赤い光が走り、白い人影、幽霊のようなものが現れる、という噂でした。そして、公園近くにお住まいの、香山紅美さんが行方不明になったという相談が舞い込んだのです」
会議室は石田の声だけが響く。
「わたしは、この幽霊騒ぎと行方不明は関連があると思い、県警の情報分析課、警備課と連携しました。その結果、昨夜、行方不明だった香山紅美さんを見つけることが出来たのです」
香山紅美は、首の包帯にそっと触れた。
「香山紅美さん、あなたの首の傷、それは気管に傷がついたからですね」
紅美は頷く。
「あなたは気管に傷を負った状態で、公園に走り込んだのではないでしょうか。『木枯らしのような音』とは、気管を通る呼吸音だったと、わたしは推測しています」
紅美は無言である。
紫乃は強張る。
「では香山紫乃さんにお聞きします。あなたは、果物のアレルギーがある方ですね?」
「えっ? ええ……」
なぜ知っているのか、という紫乃の表情である。
「当事務所でケーキをお出しした時に、あなたはイチゴや他の果物が載ったケーキを選ばなかったですね。おそらくはアレルギー反応をお持ちだろうと、推測したのですよ。さらに言えば、微量反応ありの食物アレルギー。すなわち、日常的に、アナフィラキシーを起こさないように、アドレナリン自己注射薬を持ち歩いているのでは?」
紫乃の隣に座っている、今井が発言する。
「それが何か問題でも?」
「いいえ、全然。ただし、自分に打つだけでなく、アレルギー反応のない他人に打ってしまったら、いささか問題はありますね」
それまで黙っていた紅美が、掠れた声で言う。
「そこまでご存じなんですね……」
紅美は隣席の浅井の手を握る。
二人見つめ合って、紅美はこくりと頷いた。
「私の今の声では、些かお聞き苦しいとは思いますが、この際すべてお話いたします。
紅美は話を始めた。
「ことの起こりは私の結婚式の打掛です。友人に草木染めの作家がいますので、柔らかい薄紅色の生地を創ってもらいました。挙式は春の予定でしたので、友人は桜の木の皮と、赤い実の果物を使って仕上げてくれたのです」
紫乃は俯いて黙っている。
「出来上がりは素晴らしいもので、上品な色打掛となりました。でも……」
「妹さん、紫乃さんが、それを欲しがった?」
小池は紅美の友人が言っていたことを思い出し、つい口を挟んだ。
「はい。他のものならともかく、挙式用でしたし、友人がわざわざ手掛けてくれたものでしたから。特に紫乃は、バラ科の果物類全体にアレルギーを持っていたので、桜で染めた布を着たら、どうなるかと……」
紅美の言葉に小池は思い出す。
石田は「桜もバラ科」であると。
紫乃の肩が震えている。
隣の今井は、その肩を抱く。
「あの晩、着物が置いてある部屋で、紫乃は私の打掛を、鋏で刻んでいました」
ぽたっ
紅美は涙を落とす。
「止めても無駄。しかし、桜や果実で染めたものです。刻んでいるうちに、紫乃はアレルギー反応を起こしました。
正直、そのまま見捨てようかと思ったのです。
何でも欲しがり、奪っていく妹。それを咎めない両親。
……でも、アドレナリン製剤を取りに行かなければと。妹の部屋に置いてあるはず、と」
紫乃の顔色は悪い。
「そしたら、いきなり紫乃は私を刺しました。アドレナリン製剤を持っていたのです。製剤はノック式で針が出ます。そのまま、私の咽喉を……」
「違うわ!」
立ち上がり、紫乃が叫ぶ。
「自分に刺そうとして、間違っただけよ! それにもう、あの時あんた、婚約破棄されてたじゃない! 挙式用の衣装なんて無駄だったのよ!」
いつもの純和風な髪を振り乱し、すぐにでも紅美に掴みかかりそうな勢いだった。
今井は必死で紫乃をなだめる。
「気管に開いた穴を押さえ、私は家の裏口から公園に走りました。木枯らしのような音は、多分その時出たものでしょう。確かに、今井さんとの婚約はもう解消されていて、私には行く宛てがなかったのです。そこでずうずうしくも浅井さんに、しばらくお世話になっていました」
石田が紅美に訊く。
「その公園を走った時、何かを落としたのですね。深夜、落とした物を探しに、あなたは公園にやって来た」
「はい。自宅近くの公園なので、昼間は近寄れず、深夜、赤外線付きの暗視カメラを持って、うろうろしていましたが……。ようやく昨夜、見つけました」
これですと言って、紅美は指を見せた。
ビーズ細工の小さな指輪。
泣きわめいていた紫乃が、はっとして息を飲む。
「妹と、紫乃とお揃いで買った指輪です。たった一つだけ残る、妹と仲良かった時の想い出なんです」
紫乃が先ほどよりも、大きな声で泣き出した。
◇終幕◇
結局、香山家内のトラブルであるため、警察はこれ以上介入せず、行方不明者の発見と「中途半端な都市」伝説のような幽霊騒ぎも解決したので、一件落着となった。
新緑が眩しい季節になった頃、小池は「何相」を訪れた。
今日は県の銘菓「うますぎる饅頭」を手土産にしている。
「やあ小池さん、今日はまた、何かの情報をお持ちですか?」
「あ、いえ、ええと、香山さんの一件で、ちょっと疑問が残っていたので」
あの後、紅美は浅井と入籍し、香山家とは、ほぼ絶縁したと聞く。
妹の紫乃は、来月今井と結婚するそうだ。
「どんな疑問でしょう?」
「兄弟姉妹って、そんなに、心の底から憎しみあうものなんですか?」
「日本の殺人事件、その半数は親族によるものってご存じでしょう。配偶者を除くと、殺人事件の親族の犯人は、実の両親、実の子ども、実の兄弟姉妹ですからね。他人や外部の人間には、伺い知れぬものがあるのでしょう」
「あと、何で石田さんは、早くから香山家に目を付けていたんですか?」
石田はほんの一瞬、口を噤む。
石田の瞳には、コンマ何秒かの光が、斜めに走った。
蒼い、稲妻のような光だった。
「もう何年も前ですが、虐待疑いがあったのですよ。香山さんの近隣の方から通報がありました。香山紅美さんに対して、ご両親からの。ただ、証拠も紅美さん自身の訴えもなく、何ら介入できなかった……」
「別件でもう一つ、石田さんに質問です」
「はい?」
「なんで杜仲茶五回、言わせたんですか?」
石田は笑う。
快活な笑顔だ。
「それは秘密です。何なら、『東京特許許可局』五回でも良いですけど」
ちぇっと言いながら、小池は饅頭の箱を開けた。
了
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なお、実在する人名地名に似たような記述があっても、完全にフィクションです。
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