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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
平和を謳う政府に、たった二人で抗え
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過剰接種《オーバードーズ》

「四咲が政庁内で暴れているから陽動を疑い周囲を探ってみれば……まさかこんな所に黒瀬が居たとはな」


「吉瀬、政庁内の様子はどうなっている?」


「四咲と天笠が交戦中です。天笠がサシで殺り合うと言って聞かないもので、私は戦えない者の避難誘導をしておりました」


 小さく会釈をした吉瀬は尾堂の傷跡を気遣うも、当の本人は「問題無い」と言わんばかりに差し出された手を拒んだ。


「戦況は?」


「四咲の圧倒的優勢です」


「……何? 天笠が押されているのか?」


「船で奪った促進剤を隠し持っていたそうで、過剰接種(オーバードーズ)を行ったようです。身体が耐えられるとは思いませんので、時期に死ぬかと」


 淡々と行われる報告を聞き、真っ先に反応を示したのは來奈だった。短く漏らされた声が雨音に掻き消え、何も映さない虚ろな瞳が行く宛てもなく虚空を行き来していた。


「総督、その傷では身体に響きます。すぐにでも医療班の元へとお連れします。黒瀬は放っておいても死ぬかと」


「このまま惨殺して、四咲君への手土産にと考えていたのだが」


「我々レイスにとっては、何よりも総督の命が最優先ですので」


 來奈の左太腿に突き刺さったままの刀が雑に抜かれた。「全く、良い部下を持ったものだ」と満足気に踵を返した尾堂。後ろに付き従う吉瀬は、一度振り返り來奈と視線を合わせると蔑むような表情を見せた。


「吉瀬、お前は天笠の援護に回れ」


「手を出すなと本人から言われておりますが」


「構わん。天笠を失うよりはマシだ」


「……御意」


 去り行く背を見据える來奈。身体中の傷跡が激痛を主張する。突き刺された胴体や左肩、そして左太腿からは徐々に血液が流れ出していた。弾丸のように打ち付ける雨が死への時間を加速させる。だが今は、全身を犯す痛みなどどうでもよかった。


 ただ恐れた、詩音を失うことを。


「行かせると思いますか?」


 今にも消え入りそうな声は誰にも届かない。


「詩音は……私が護る」


 辛うじて動く右腕を懐に忍ばせる。取り出されたのは、ドス黒い液体で満たされた注射器だった。眼前で何度か揺らして液体を眺めた來奈は、覚悟を決めたのか自身の首筋に注射針を突き刺した。そして、ゆっくりと親指に力を込める。身体が、異物の存在に拒絶反応を示した。


「う……ぅぅ……ぁぁああああァァァ!!」


 僅か数滴で傷跡さえ忘却する程の激痛。血流が加速し、身体が灼熱感に蝕まれ、込み上げる嘔吐物をぶちまける。次に訪れたのは正反対の寒気。脳が揺れ、視界が曖昧になり、吐息が零度の如く冷たくなる。身体の震えを代弁するように、ぶつかる奥歯が何度も音を発した。のたうち回って尚、液体の注入は止まらない。掠れた叫び声と共に、來奈は全ての液体を自身へと流し込んだ。




 過剰接種(オーバードーズ)


 


 ──命の壊れゆく音がした。




 痙攣する身体は制御不能であり、胸を突き破りそうな鼓動が更なる吐き気を誘発する。來奈は垂れ流した嘔吐物を気にも留めず、死んだ方がマシだとも思える苦痛に耐え続けた。


 時間にして僅か数十秒。


 苦痛は手のひらを返して快楽へと変わる。無限に高揚する感情、無意識に緩む表情。暖かくも歪な何かが、脳から足先までを駆け巡り犯した。右目の失明をも覚悟していた來奈は、未だ自身の瞳が光を失っていないことに安堵する。見据える先には背を向けていた二人。今や來奈の豹変に気付き、尾堂と吉瀬は足を止めていた。


「何処へ行くんですかア? 私はまだ生きていますよ? ほら……見て下さいよ!! その目で、その(まなこ)で、その眼球で、私だけを見て下さいよ!!」


 額に手を当てた來奈は脚を縺れさせながらも歯を食い縛る。圧倒的な力に飲まれかけた人格を、寸手のところで取り返した。


「詩音の元へは行かせません」


 静かな炎を宿した全身。虚空を何度も揺り返す純白の炎が、雨に打たれてなお色褪せることなく煌めく。


「馬鹿な……適合したというのか」


 地面に散乱した五本のナイフを拾い上げた來奈は、そのまま両手の指の隙間に挟むと腰を低く落とす。來奈にとっては緩徐な動作だが、尾堂と吉瀬の目には凄まじい速さに映った。


「まあ、私の身体なんてどうなってもいいんです。私は詩音を護る。その為に……此処で死ね」


 突如として具現化した純白の魔力が全身を縁取る。それは獅子を(かたど)っており、独立しているのか単体で咆哮をあげた。震える空間。衝撃が空気を伝い肌を突く。來奈の外套が何かに引かれるように強く揺れ、雨でさえも瞬間的に薙ぎ払われた。


「退きましょう、総督。こいつは危険過ぎます」


 真っ先に反応したのは吉瀬。状況をいち早く飲み込み、この場における最善の選択をする。有無を言わさず尾堂を抱えると、己の最速を以てその場を離脱した。圧倒的な初速に文字通り姿が消える。蒼白い電流が様々な場所で宙を泳いでおり、それが吉瀬の能力であることは一目瞭然だった。


「逃がす訳ないでしょう」


 遅れて地を蹴った來奈は二人が消え行った方角を見据える。空間を突き進む姿はまるで純白の獅子。何人にも至ることの叶わない孤高なる存在。即座に背を捕らえ、そして並走へと持ち込む。目を見開く吉瀬。対する來奈は表情一つ変えない。肩口を撃ち抜くように靡く髪が、流れゆく虚空を雑に揺蕩った。


「貴方も尾堂も此処で終わりです。政府が()めてかかった、たった一人の少女によって」


 振り抜かれたナイフが吉瀬の喉元を僅かに傷付ける。掻き切るには至らない。蒼白い雷を纏った吉瀬は、反応することのみに全神経を集中させていた。そのまま宙を切ったナイフ。体勢を崩した來奈を嘲笑うように距離は大きく開く。だが、魔力により象られた獅子が分厚い前脚を地に突き付け、転倒しかけた來奈を支えた。


「堕ちろ……クソ政府が」


 再び続く追従。爆発的な初速で雨を突っ切る。純白の獅子を纏う來奈は目視すら叶わない速さを有していた。瞬く間に距離は縮まり、尾堂を抱えた吉瀬の背が眼前に迫る。背後から狙うは心臓部分。悟られる前に突き出されたナイフは難なく肌へと到達した。




 ──完全に捕らえた。




 そう確信した來奈は、最低限の動作で振り返った吉瀬と視線をぶつける。吉瀬の目に浮かぶ色はどこまでも深く冷たかった。刹那、身体の芯をへし折るような電流が迸る。媒介は吉瀬に触れたナイフ。切っ先から即座に全身へと伝った電流は、数多の神経を遮断し來奈の超反応を停止させた。


「う……ぁぅ……」


 速度を殺すことはままならず、それでいて身体の自由は効かない。來奈は何度も身を弾ませながら、降り(しき)る雨に犯されきった地を滑りゆく。小刻みに痙攣する身体を制する術は無く、二人が去りゆく背を見据える來奈は口角を強く噛み締めた。感電状態は時間にして僅か数秒で終わりを迎える。だがその数秒は、尾堂と吉瀬を撤退させるには十分過ぎる猶予だった。


「私としたことが……油断しました」


 身体を起こす。小さな痺れは残るものの支障は無い。立ち上がった來奈は服をはたくと、手のひらに付着した泥に苛立って顔を(しか)める。そのまま吹き飛んだ際に手放したナイフを拾い上げ、足早に帝例政庁へと歩みを進めた。

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