純白の太陽
去り行く二人の背を見送った來奈は、向き直って尾堂を正視する。まるで表情の仮面を脱いだように、紺色の瞳には殺意と憎悪が渦巻いていた。
「話は終わったかい?」
「お陰様で。それにしても傍観とは、下衆な貴方にしては随分と紳士的ですね」
「どうも君達は、言葉に棘を宿す癖があるらしい」
「当然の報いだとは思いませんか? 人の命を弄んだのですから。この期に及んで平和の為だとかほざくのでしょう?」
「ああ、その通りだよ。いいのかい? このままだと四咲君も死んでしまうよ? もちろん、平和の為にね」
「私は貴方を殺して天笠を追います。詩音には手を出させない。彼女は……私がこの手で必ず護る」
「四咲君には生き残る意志など無いと見えるけれどね」
尾堂は、詩音との戦闘時に投擲した刀を拾い上げると、刀身を舐めるように様々な角度から見据えた。
「……何が言いたいのです」
「さっき見ただろう? 二人が戦闘場所に選んだのは帝例政庁だよ。敵陣ど真ん中に自ら足を運んだ、きっとこの戦いを最期だと考えているのだろうね」
僅かな焦燥感が体内を犯す。だが來奈は、少しでも詩音を疑ったことに対して強い罪悪感を抱いた。
「いいえ。詩音は必ず天笠を殺して生き延びる」
「どうしてそう言えるんだい?」
「私の親友だからです」
そう言い切った來奈の表情に一切の迷いは無い。そのまま太腿に手を這わせると、レッグシースより五本の小型ナイフを抜いた。
右手に三本、左手に二本。指の隙間に挟まれたナイフは雨に晒され、まるで泣いているように切っ先から雨水を滴らせていた。
「何かと思えば稚拙な感情論とは」
「確かに稚拙な感情論かもしれません。ですが、私は学んだのです」
「……学んだ?」
「誰かを信じることは言葉から始まる。自身の心の内を音にして伝えることはとても大事だとね。私は詩音に伝え損ねていることがあります。それを伝える為にも、こんな所で斃る訳にはいきません」
顎を引き臨戦態勢。低めに保たれた重心が隙の無さを物語る。
「四咲君を殺すと言ったり護ると言ったり、先程から話に統一性が無い。君の本当の望みは何かな?」
「言うと思いますか?」
「面白い小娘だ。そうだ良いことを教えてあげよう。天笠が飛び降りてきた上空のヘリは、報道機関のものなんだ」
「だから何ですか?」
虚空を仰いだ來奈は顔面に突き刺さる雨に辟易する。
「この戦いは全ての国民達に届けられる。もちろんあの距離だから音声は拾わない。君達がいくら政府の素性を暴こうが、それが知られることは無い」
「随分と貴方達に有利ですね。反政府を掲げる者が画面の向こう側で処刑され、それは反政府を謳うことへの抑止力となる。言わば私達は見せしめだと」
「さすが君は頭が良い、話が早くて助かるよ。さあどうする? さすがに潮時だと思うがね」
「潮時なのは貴方ですよ……尾堂ッ!!」
雨に犯された地を、まるで縫うように駆ける。見据えるは尾堂の首のみ。來奈はただ、胸の内で湧く殺意に身を委ねた。
軽く飛び上がり跳躍。遅れて、軌道を辿るように茶色い髪が尾を引く。華麗に身を翻し、空中でかち合う視線。尾堂は一歩も動かない。
「不用意に近付くとでも思いましたか?」
投擲されたナイフが各々に鈍い光を発する。狙いは空気抵抗の範囲外ギリギリの地面。尾堂を囲うように突き刺さった五本の得物は、それぞれが魔力の線で繋がり合い、円形の領域を成した。
跳ね上がる魔力濃度。円の内側に閉じ込められた尾堂が僅かに表情を変える。身を撫でる灼熱。限界点まで到達した魔力が、行き場を失って唐突に爆ぜた。
迸る火柱。純白の炎が空を突く。降り頻る雨でさえ即座に蒸発し、辺りの景色が純白に感化されて白に染まった。
広大な処刑広場には空へと昇る純白の炎のみ。それは飛んでいたヘリでさえ穿ち、堕ちた機体は轟音を立てて砕け散った。
衝撃で捲れ上がった地面が宙を舞い、嘲笑うように巻き起こる熱風が肌を灼く。瞬きせずに事の行く末を眺めていた來奈は、冷め切った冷酷な表情を晒していた。
「私は少し、君のことを甘く見ていたようだ」
外套は焼かれ、覗く肌は部分的に焦げ付いている。姿を見せた尾堂は、雨を受け入れるように両手を広げた。
「私は逆に、貴方のことを買い被っていました。武闘派集団レイスを纏める総督ともあろう者が、大したことありませんね。これでは政府も底が知れる……拍子抜けです」
「面白い子だね。まるで悪党みたいな台詞だ」
「ええ、その通りですよ? 政府に牙を剥く時点で私達は悪党。国から見れば極小数の氾濫因子なのですから」
俯き、不気味な含み笑いをする尾堂。視線を上げると同時に口角が大きく吊り上がる。
「私はレディーファーストでね」
「初撃は譲ってくれたと? 随分と余裕ですね。その懐の広さが自身の死を招くとも知らずに」
「さて、反撃といこうか。政府に牙を剥く氾濫因子の処刑……最も嫌で心の痛む仕事の時間だよ」
「──ッ!!」
まさに消失。空気抵抗を利用した移動が、まるで空間転移に似た速さを見せる。出現時点は來奈の前方。「ナイフを投擲した丸腰の君に何が出来るかな?」と刀を煌めかせた。
距離を埋められたことで來奈の動きが鈍る。そこに例外は無い。だが、尾堂が近付く寸前に両手を大きく引いていた來奈は、この状況下でありながら嗤っていた。
何かに気付いた尾堂が刀を引く。背後から飛来するのは地面に突き刺さっていた筈の五本のナイフ。切っ先は全て尾堂へと向いており、明白な殺意が物語られていた。
ナイフの柄部分には魔力による細い糸が繋がっている。それを手繰り寄せることで背後を制したと思われたが否、尾堂は鼻で笑うと前方に視線を戻した。
「興醒めだよ。幾ら速度があろうとも、私に近付いた時点で全ては無に帰す」
「……でしょうね。だからこそ背後に注意を向けさせたのです。時間を稼ぐ為に」
速度低下の中、時間を掛けて自身の手を地面へと至らせた來奈。流し込まれた魔力が熱を主張する。
ここで初めて、尾堂は焦燥を見せた。
予兆無く湧き上がった炎が肌を掠め後退させる。自由が戻った來奈は華麗に跳ねると、手繰り寄せたナイフを器用に指の間に収めた。そしてあろうことか、小細工無しで尾堂へと突っ込み身を捻じ入れた。
「黒瀬君、感情だけで動──!!」
強制的に途切れた言の葉。爪の如く持たれたナイフが、真正面から尾堂の胴体を切り裂いた。見開かれた目が映すのは血を吹き出す自身の胴体。そして、追撃を試みる來奈の姿だった。
「もしかして、その領域内に居れば無敵だとでも思いました?」
突き出されたナイフは惜しくも防がれる。振るわれた刀により軌道が大きく逸れた。即座に後退した來奈。そのままナイフに付着した血液を振り払った。
「一体何が起こったというのだ」
空気抵抗を齎す領域は問題無く纏われている。思考を巡らせる尾堂に畳み掛けるように、來奈は重ねた手のひらを突き出した。
「詩音の残した情報のお陰です」
周囲から螺旋を描きながら収束する魔力。雨が堕ちる前に蒸発してゆく中、まるで此処が聖域とでも言わんばかりに來奈の表情が変わる。
憎しみに苛まれた顔だった。
身構える尾堂の眼前で純白の球体が形を成してゆく。糸のように宙を泳ぐ魔力は全て來奈の手中に吸い込まれ、その身を以てして球体の巨大化へと貢献した。
「残念だが私に魔法は効かない」
「果たしてそうでしょうか? 空気抵抗が意味を為さないよう、膨大な質量で押し潰せばいい」
周囲に散乱する瓦礫が魔力に感化されて浮遊する。砂煙で濁る視界。曖昧となる景色の中で、來奈は前方目掛けて球体を解き放つ。
「燼滅しろ──『純白の太陽』」
炎の奔流が前方一帯を薙ぎ払う。削り取られてゆく景色。あまりの反動に靴底が後方へと滑る。浮いた爪先から衝撃に足を掬い上げられ、來奈は身体を何度も打ち付けながら地を転がった。
そのせいで球体の軌道が大きく逸れる。狙いであった筈の尾堂へ直撃はせず、純白の太陽は熱を撒き散らしながら遥か遠方へと流れた。
刹那、遠い場所で瞬いた白い光。何処かに衝突したのか、顔を覆う程の眩い火柱が立ち込める。数秒足らずで熱が届き、処刑広場は台風の如く激烈な風に見舞われた。
例えるなら、死神が通過したと錯覚する荒れ果てた景色。來奈はただ、その一部始終を目を逸らさずに見ていた。