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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
降り頻る雨の中で
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相合傘

 フロントガラスに打ち付ける雨が視界を閉ざす。篠突く雨は収まるどころか、より激しさを増していた。


 第三研究棟を脱出して数十分。帝例政庁を目指して車を走らせていた詩音は、窓の外に見覚えのある人物を見付けて停車する。路肩に停まった際、控えめなスキール音が響いた。 


 詩音が見付けたのは、船での治験の際に関わった竜胆(りんどう) 海音(かいね)だった。


「海音……? まだ帝例特区に居たんだ」


 手入れの行き届いていない枝毛の多い髪は、湿気にやられて完全に垂れてしまっている。海音は傘をさしながら咥え煙草をしており、前を見据えたまま迷いの無い足取りで歩んでいた。


 ふいに、彼女は薄暗い路地裏へと曲がる。目を細めた詩音は声を掛けるのではなく尾行をする選択をした。時刻は十八時。雨のせいで、空の暗さは真昼から何も変わらない。街を行き交う人も(まば)らで、普段通りの日常がそこにはあった。


「こんな所に一体何の用……?」


 後を追い路地裏へ。どっと押し寄せる重苦しい空気や、鼻を突く換気ダクトが()き散らす臭い。雨も相まってか、それ等がより強く蔓延っている。


 薄汚れた路地裏は、政府により護られた華やかな表通りとは真逆の表情をする。汚れを含みドス黒く変色した雨水。壁にこびり付いた何の汚れか解らない()み。まるで、日常から非日常へと切り替わる入口だった。


 細い十字路や廃材の散乱した通路を超えた奥。海音は、帽子を深く被った年配の男と話し込んでいた。近くの角へと潜んだ詩音は、片目を覗かせて一部始終を探る。


「怪しさがあからさま過ぎるよねえ」


 無意識に漏れた独り言に急いで口を覆う。幸い聞こえていなかったようで、海音と男の密談らしきものは続く。


 男は懐に手を忍ばせると、小さな四角い容器に入った液体を取り出す。それを受け取ろうと伸びた海音の手。だが、何を思ったのか直前で踏みとどまると、首を横に振って受け取りを拒否した。


 恐らく麻薬だろうと思考した詩音は事の成り行きを見据える。海音が何かを話し、それを聞いた男が渋々と踵を返しその場を去った。


「誰か居るんだろ? こそこそしてないで出て来なよ」


 一人になった海音が紡ぐ。逃げるか否か。鼓動を跳ね上げた詩音は短い思考の(のち)、気まずそうに視線を落としながら姿を晒した。


「誰かと思えばあんたか、四咲」


 驚きと呆れが混ざったような視線が向く。敵意は微塵も無い。詩音は、「ごめんね、偶然見付けたから後を追い掛けて来ちゃった」と軽く両手を挙げて苦笑いをした。


「別に怒ってない。それで? 今のやり取り見たんだろ?」


 敵意は無いと言わんばかりに両手をあげ続ける詩音。「別に警戒してないから下ろしなよ」と海音は目を優しく細めた。


「離れていたから会話は聞こえなかったよ」


「ある程度察しただろ? 顔に書いてある」


「……あんた自分でヤク中だとか言ってたから、麻薬を買おうとしていたのかなって」


 気まずそうに落ちる視線。床の亀裂を無意識に目で追った詩音は海音の言葉を待つ。


「その通りだよ。あたしはさっきの男から麻薬を買うつもりだった。帝例特区は政府の息が掛かった連中ばかりだろ? つまり、政府の監視下に置かれていて見回りなども少ない。麻薬の取り引きには打って付けなんだよ」


「でも受け取らなかったよね、そこは見てたよ」


 後頭部を雑に掻いた海音は気怠そうな唸り声を発した。


「どうしてかな、受け取る寸前に黒瀬に言われた言葉を思い出してさ」


「來奈の言葉?」


「“目を逸らしたい過去があるから麻薬に溺れるのですか? それは逃げなんじゃないですか? 抗うことすらしないのですか?” 今でも鮮明に覚えてる。一言一句頭から離れないんだ。あたしも焼きが回ったかな」


「何言ってんの。見たところ歳変わんないじゃん」


「……まあね」


 詩音の横を通り過ぎた海音は辿って来た道を戻り始める。黙って後ろに続く詩音。高い壁に囲まれた路地裏で、まるで日差しのように降り注ぐ雨だけが律動的な音を発していた。


「あたしが麻薬を接種してから船を降りる時、麻薬は今ので最後にして下さいって黒瀬が言っただろ? 普段なら耳を貸さないようなありふれた言葉が……何故だか頭の中をぐるぐるしててさ」


 路地裏を抜ける寸前で立ち止まった詩音。振り返った海音が不思議そうな表情を見せる。


「此処から先は人目に付く。反政府の私と一緒に居たら、最悪の場合あんたにも危害が及ぶ」


「いいよ、もう。危害が及べば跳ね除ける、火の粉が降り掛かれば薙ぎ払う。あたしだって……死ぬまでは戦ってやるさ」


「海音……?」


「あたしさ、雨……好きなんだ」


「奇遇だねえ、私も好きだよ」


 それを聞いた海音の口元が僅かに緩む。


「四咲、少し歩こうか」


 そう言って傘をそっと寄せた海音は、詩音が濡れないよう気遣う。唐突な相合傘だった。


「私はもうびしょ濡れだから大丈夫だよ」


「女がそれ以上身体を冷やしてどうする。大人しく入ってなよ」


「もしもあんたが男だったら惚れるような台詞だね」


「茶化すな馬鹿」


「……ごめんね、素直に入れてもらうよ」


 足並みを揃えながら雨水に侵食されたアスファルトの上を歩く。景色は灰色。道路を行き交う車の排気音や、信号が変わる際の聞き慣れた電子音が、雨音と混ざって心地良い喧騒を齎していた。

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