過去の亡霊
「……私の両親は帝例特区第二機構に勤めていたのだけれど、実験の日には第三研究棟に招集されていたの」
「第二機構に勤める者達の大半が、その日は第三研究棟へ集められていた。それは知ってるよー? でも君のご両親の話は初めて聞いた」
「たぶんあんたの上は知ってるよ。で、さっきの話だけれど、來奈は残された五年前の映像を確認した。私の両親を殺したのは、促進剤を接種されて自我を失い暴れ回った來奈だったという訳」
「それって、君達が一緒に居ない理由にはならなくないー?」
「來奈は、促進剤で化け物になった義理の両親を自分自身の手で殺している。第三研究棟の出来事の後に拾ってくれた人だね。そこからは政府を恨み、政府の息が掛かった者を皆殺しにする為に戦っているの」
「つまり」と前置いた詩音は皮肉の笑みを浮かべる。
「両親が政府の人間だった私も、言ってしまえば來奈の敵になる。政府の息が掛かっているどころか、私の中には穢れた血が流れているって言われちゃった」
「なるほどー? 皮肉な話だねー。で、どうするのー?」
「隠す必要も無いから教えてあげる。さっきも言ったけれど、來奈は五年前の映像を見た。尾堂が彼女の母親を殺したのも確認している筈。そして來奈は“すべき事が出来ました”と残して私の前から消えた」
「映像は全部見たのー? 最後まで見るには管理者権限がいる筈だけど。私も最後までは見たことないんだよねー」
「それは解らないけれど、知りたかった真実には辿り着けた」
「ということはさー、ナナちゃんの目的は仇討ちになるね。せっかく地下牢から逃げ出せたのに、もしかして帝例政庁に舞い戻るつもりー?」
「憶測だけれどね」
「間違い無く死ぬよー? 咲ちゃんはそれでいいのー?」
「決別した以上、彼女はもう敵。五年前の事件は悲劇を生んだ。來奈も、あんた等政府も容赦しない」
「あのさー、咲ちゃんさー、乗り込んだところで戦いにすらならないよ? 一人で何が出来るのー? 相手が誰だか解ってる? 国の最高権力だよー?」
「あんた等が最高権力を名乗っていられる時代はもう時期終わる。いい加減、その座から堕ちなよ」
「咲ちゃんこっわー。そんなこと言うんだ」
大袈裟に両手を上げて驚いた天笠。
「最後に一つ質問。あんたどうして生きてんの? 帝例電鉄で殺り合った時、切り離された車両ごと街に突っ込んだ筈だけれど」
「あの時言った筈だよねー? 応援要請は既に終えたから、後は時間を稼ぐだけでいいって。私さー、出勤途中はプライベートだと捉える派だからさー、時間外労働は致しませーん」
「故意的に私の氷に拘束されて戦線離脱したって訳? あんたほんと狂ってるよ、何考えてるか解んない」
「じゃあ、さようなら」と踵を返した詩音が何かに気付き足を止める。視界が悪い雨の中、話し込んでいた二人を囲う第三研究棟の者達。先程のレイスとは違い、みな白衣を纏っていた。
それは過去の亡霊。
五年前に囚われたままの、二度と時を刻むことの叶わない哀れな屍。
集まった数十人の目は虚ろだが、詩音と天笠から視線が逸らされることはない。ふいに、一人が大きく咳き込むと夥しい量の血を吐き出した。時間差で他の者達も同じ挙動を見せる。
「何が起こってるの」
「厄介だねー。促進剤の実験に使われた者達だよ」
目の前で両腕が捥げ、代わりに分厚い巨木のような真黒の腕へと生え変わる。変異していない両脚の細さが、分厚い上半身との対比で歪に映っていた。
それは、詩音と來奈が初めて出会った日に見た、促進剤に犯された青年と同じものだった。
「咲ちゃんは行きなよー」
天笠は懐から一枚のカードを取り出すと、詩音が纏う黒いブラウスの胸ポケットへと静かに差し込んだ。
「入口のシャッターはそれで開けられるよー」
「あんたはどうすんの?」
「私は彼等を葬って、せめて安らかに眠ってもらうつもり。もう自我は無いから、レイスである私にも襲い掛かって来るからねー」
詩音の肩に手を置いた天笠が前へと出る。周囲を囲う者達は、巨木と化した両腕を振り子のように震わせながら、今か今かとタイミングを窺っていた。
「放っておけばいいじゃん。こんな数を相手に出来る訳ないでしょ」
「咲ちゃんさー、私達は平和を謳う政府の人間だよー? もしも外に被害が出てしまったら仕事を投げ出したことになるよね。それに言ったでしょー? 今日だけは助けてあげるって」
「後味悪いからこんな所で死なないでね。あんたはいずれ、私がこの手で殺してあげる。だから……必ずこの場は生き伸びて。約束だよ」
喉を鳴らして含み笑いをする天笠。肩越しに振り返った彼女は詩音と目を合わせた。
「その約束受けてあげる。でもさー、咲ちゃんさー、何か忘れてない? 私、武闘派集団レイスの幹部だよ? 誰相手に心配してるのー?」
天笠の左目より零れ落ちる血の涙。目を見開いた詩音は「なるほど」と皮肉を孕んだ表情を見せた。
「あんたも接種したんだ。吉瀬君でさえまだなのに」
「吉瀬っちはしないよー。婚約者から、そのままの貴方で居て欲しいって止められているからね。結婚式も来月にあるみたいだし、出席が楽しみだよー。同僚代表で私が歌を歌うんだ。たくさん練習したんだよー?」
「なるほど。人で在ることに拘っていたのはそれが理由か。それに結婚式で歌うのがあんた? 下手過ぎて会場が凍り付いたりして」
「私とっても歌が上手なんだよ? 今度一緒にカラオケ行くー?」
「ふざけないで。あんたと馴れ合う気は無い」
「あのさー、咲ちゃんさー、私傷付いちゃうよー?」
唐突に、周囲の者達の一人が詩音に飛び掛る。予備動作無しでの跳躍。空中で身体を大きく捻り、分厚い腕を勢い良く叩き付けた。
止めたのは天笠。刀と競り合う腕に刃が沈むも、あまりの分厚さに切断には至らない。歯を食い縛る天笠は「早く行きなよー」と詩音を急かした。
「次は……敵同士だから」
「もちろんだよー。またねー」
互いに助け合うのは一度だけ。これで貸し借りは無しだと思考した詩音は、受け取ったカードを手に入口へと駆けた。
その背を目で追っていた天笠は、競り合いを無理矢理に押し返すと膝をついた。外套を脱ぎ捨てた彼女の胴体と右肩が血濡れており、まだ新しいであろう傷が深々と刻まれている。
「咲ちゃん我慢強いねー。こんなの抱えて戦ってたんだ」
天笠 日依は他人の傷を喰らうことが可能。否、正確には自身に移し替える為の魔法だった。命よりも大切な弟を救われた事実が、詩音の傷を全て引き受けるという決意の後押しとなった。
それでも尚、彼女は立つ。
再び飛び掛って来た者の懐に潜り込むと、寸分違うこと無く心臓を一突き。歪な咆哮をあげた化け物は力無く腕を垂れ下げると、容易く生を手放した。
「さてー、早く殺んないと私も死んじゃうねー」
血濡れた刀身に魔力を込めた天笠は、そのまま空へと向けて投擲する。不規則に回転しながら空へと至った刀は、一定の位置で切っ先を地上に向けて静止した。そして、振動を伴い無数に増殖。闇に蝕まれた黒い空が刀に覆い尽くされた。
身を削る魔力が周囲に蔓延る。本能で危機を感じ取った化け物達が一斉に行動を起こした。全方位からの殺意の応酬。それでも天笠は一歩も動かない。
だが──嗤っていた。口元に狂った笑みを浮かべて。
『重きに堕つる月剣』
独白と共に、親指と中指を摩擦させて指を鳴らした。
刹那、光を纏った全ての刀が降り注ぐ。光が瞬く空。虚空に尾を引く線状の残光。光の雨さながら降り注いだ刀は、周囲の者達の心臓を的確に穿ち抜いた。
押し寄せるように蔓延った静寂。生存者は皆無。そこに生命の残り火など微塵もチラつかない。
「ごめんねー? 私まだ死ねないからさー」
刀の切っ先は地面に突き刺さり、串刺しにされた者達は地に屈することすら叶わない。凄惨な光景の中、刀に宿った光が熱を発する。それは瞬く間に温度を跳ね上げ、死した者達は光に灼かれて消失した。
文字通り何も無くなった景色。刀は魔力粒子となり虚空へと還る。血液で赤く染まった地面は、雨により蹂躙されて直ぐに灰色へと回帰した。
「──ッ!!」
詩音から引き受けた傷が激痛を主張する。膝をつき崩れ落ちた天笠は吐血すると、懐から通信機のような端末を取り出した。そしてボタンに指を走らせた後、耳に当てると応答を待つ。
『天笠か。どうした?』
聞き慣れた声に表情が綻ぶ。
「ハロー、吉瀬っち。いきなりで申し訳ないけど助けてくれないかなー? 傷を負って動けないのー」
『お前は、四咲達を追って第三研究棟へ向かった筈じゃなかったのか?』
「そうだよー? そこで咲ちゃんと交戦の末、割とやばめに負傷したの。痛いよー、死んじゃうよー」
両足をバタつかせる。詩音を助けたとは口が裂けても言えない。天笠の胸中には僅かな罪悪感が渦巻いていた。
『医療班をすぐに派遣する。それまで何としてでも耐えろ』
「ありがとう吉瀬っち。後さー?」
『……何だ』
「六が……咲ちゃんに殺されちゃった……」
震える声。曖昧な抑揚が、孕む悲しみを代弁する。喉奥から突き抜けた衝動が、目頭を通して外へと零れ落ちた。
『……そうか』
「そうかって、それだけなの? 同じ組織の仲間じゃないの? ねえ……そんな冷たい反応しないでよ吉瀬っち!!」
『天笠、これが俺達レイスの、いや……政府としての最前線だ。いつ仲間を失うか解らない、いつ自身が命を落とすか解らない。それでも、大切な者の為に平和を謳い続ける。今までだってそうしてきた筈だろう』
「そんなの解ってるよ……解ってるんだよ……!! でも心が追い付かないよ……どうしたらいいの……」
『いいか天笠。泣いているだけでは戦って散った六に対する冒涜になる。仲間の死から目を逸らすな、仲間が生きた証を忘れるな。それが……俺達に出来る唯一の弔いだ』
「……うん、そうだね。ごめんね? 取り乱しちゃって」
熱を帯びた目元に腕を当てた天笠。乱雑に拭われた涙が袖に吸い込まれては、雨に打たれて温度を失った。
「六は平和への想いが人一倍強かった。悲しい想いをする者が居なくなるように願ってた。だから私は、彼の想いを叶える為に前を向く。そして……未来永劫忘れない」
『お前にそんな風に言わせるとは、六も大した男だ』
「ねえ、吉瀬っち。もしもさ、もしも……私が死んでしまったら……その時は、泣いてくれる?」
『何を馬鹿なことを言っている。頑丈なお前が殉職など微塵も想像出来ないがな』
受話器越しの声に優しさが宿る。無言で聞き入っていた天笠は満足げに口元を緩めた。
「ふふ、聞いてみたかっただけ。ところで、二人きりの会話の時はいつもみたいに呼んでって言ったよね?」
『死にかけている奴が何を言っている。今は生き残ることだけを考えろ』
「私さ……吉瀬っちが平和の為に戦う姿を見てレイスに志願したんだよね。子供の頃に面倒を見てくれて、優しくて、私にとっては幼馴染を超えた最高のお兄ちゃんだった」
『だったらまだ死ぬには早いだろう。俺よりも先に逝くことは赦さん』
天笠は電話越しに首を横に振る。
「ううん、生き残ろうよ。二人とも」
『……そうだな。話はこの辺にしておく。なるべく動かず、雨を凌いで医療班を待て』
「了解。ありがとね、吉瀬っち」
『医療班の能力があれば傷などすぐに塞がる。回復すれば倒れるまで労働させてやるから覚悟しておけ。あと、歳上には敬語くらい使え』
「了解でありますー」
『馬鹿かお前は。とにかく死ぬなよ……日依』
「うん……ありがとう」
優しい笑みを浮かべた天笠は、通信を切ると黒に塗り潰された空を仰いだ。
「結局名前で呼んでくれるんじゃん。ツンデレ鬼上司め」
ぼうっと霞む視界の中に、至る方向から雨が飛び込んで来る。六を失い闇に堕ちかけた天笠の胸中は、吉瀬の言葉により一筋の光を取り戻した。




