狂ってるよ。あんた、やっぱ。
「咲ちゃん、六は? 此処に来てた筈だけど見当たらないのー」
「……殺したよ」
目を伏せた天笠は「そっか……」と消え入りそうな声で紡いだ。
「咲ちゃんさー、一つ覚えておいて」
背を向ける天笠。震える声は、雨音にさえ掻き消えてしまいそうなほどに弱々しい。
「私達にも、大切な人は居るんだよ」
「……どういうこと?」
「私は弟が大切。弟を護る為なら私はどうなっても構わない。吉瀬っちには、目が見えないけれど将来を約束した婚約者が居る。六は、身寄りの無い子供達に自分の姿を映して面倒を見ていた。皆それぞれ、大切で護りたい人が居る」
「何それ。あんた等レイスに同情でもしろってわけ?」
「ううん、違うよー。私達は敵同士でも、誰かを大切に想う気持ちは変わらない。人を殺すってことはさ……命と、その人の帰りを待っていた者の心まで奪うんだよ」
「随分と好き勝手なことを言うね。元はと言えばあんた等が悪いんでしょ? 政府が促進剤なんて野蛮なブツを開発しなければ、こんな戦いすら起こらなかったのに」
「あのさー、私いま十九歳なんだ」
目元を拭った天笠が振り返り何度か瞬きをする。視線を合わせた詩音は言葉の意味を思考した。
「だったら、五年前の促進剤による人体実験が行われた際、あんたはレイスに居なかったどころかまだ子供だった」
「そう。だから私は、あくまで残されたデータでしか事実を知り得ない。でもねー? 吉瀬っちは既に政府で働いていて、レイスに居たんだよねー。しかもさー、今みたいに既に幹部だったらしいよー」
「……何が言いたいの?」
「吉瀬っちはさー、促進剤が人を化け物に変えるという事実を知らなかったらしいよ。上から聞かされていたのは、僅かな身体能力の向上という話だけだったらしいよー」
「え……?」
『促進剤は国の繁栄の為に作られた薬ですよ? だから様々な世代の人に託すのです』
研究棟内での女性の言葉が頭を過ぎる。顎に手を当てた詩音は視線を落とした。
「つまり、事実を知っていたのは上だけだったと? レイスの幹部にすら周知されていなかったと?」
「咲ちゃんさー、さすが話が解るね。言う通り、上と第三研究棟の一部の人間しか知らなかったらしいよー。吉瀬っちはさ、人が化け物に変わる様子を見て凄く心を痛めたんだって。こんな筈じゃなかったのにってさ」
「でも結果として、吉瀬君もその事実を知ったあんたも今や政府の犬じゃん。やり方に賛同したからこそ、そっち側に居るんでしょ?」
「国を平和にしたいと願う政府を信じているからね。私達レイスはさ、皆この国が大好きなんだー。護りたい人が笑って、そして安心して暮らせる世の中にしたいよね」
「あんた等の総督、尾堂だっけ? そいつに都合の良いように使われているだけなんじゃないの。どうせ促進剤の件を隠していたのも尾堂なんでしょ」
「総督はこの国のことを第一に考えているよー?」
「レイスの幹部連中にさえ情報を隠蔽するような奴が国を第一に考えている? 笑わせないで。尾堂は、誰も逆らえない圧倒的な権力が欲しいだけ。力でこの国を支配することしか考えてないよ」
「そんなこと言わないでよー」と戯けた天笠。詩音の肩に置かれた手が即座に振り払われた。
「触んないで」
「ねえ、咲ちゃんさー」
「前にも言ったけれど、その呼び方やめてくんない? 四咲なんだけど」
「ごめん、気を付けるねー。ところで咲ちゃんさー、ナナちゃんは一緒じゃないの?」
「……知らない」
「えー、いつも一緒に居るよねー? 喧嘩でもしちゃったのー? 話くらい聞くよー?」
「知らないってば。どうして敵のあんたに言わなきゃならないの」
「恋バナみたいな感じで軽々しく暴露してよー?」
「意味解んない」
気怠そうにため息をついた詩音は濡れた髪を搔き上げる。未だ空模様は芳しくなく、篠突く雨が視界を跨ぎ続けていた。
「あのさー、本当にそれでいいの?」
「何が? もう行きたいのだけれど」
「私が言うのもなんだけどさー。時間は有限、大切な人を失ってから後悔するんじゃ遅いんだよ。まあ私としては、二人がバラけてくれた方が殺しやすいからいいけどねー。君達が一緒に居ると厄介だからさー」
髪を伝った雨水が目に入ったのか、隈のある大きな赤い瞳を擦った天笠。繊細に整った金髪が湿気を含んで顔に張り付いている。詩音は「忠告どうも」と吐き捨てると踵を返して背を向けた。
そして、一度足を止める。
「ねえ、天笠」
「んー? 日依でいいよー?」
「冗談はやめて。あんたと馴れ合う気は無い」
「ううん、冗談じゃないよー? お互いのことを深く知ってさ、たくさん話してさ、過去を曝け合ってさ、あわよくば仲良くなんてなっちゃってさ、それから……殺し合おうよ」
「……狂ってるよ。あんた、やっぱ」
「咲ちゃんにだけは言われたくないかなー。で、何を言いかけたのー?」
可愛げに傾げられた首。小さく咳払いをした詩音は、自身の身体を軽く撫でると傷が消えていることを再確認する。
「一度だけしか言わないからよく聞いて」
「んー?」
「助けてくれて……ありがとう」
「あのさー、咲ちゃんさー、勘違いしないでー? 私は瑠衣を救ってもらった恩を返しただけ。それが無ければ、この場で弱り切った咲ちゃんを平気で殺していたよー」
「それでもだよ。あんたのお陰で、私は過去の精算に向かうことが出来る。さようなら、これで貸し借りは無し。次に会う時は……容赦しないから」
雨のなか静かに歩み始めた詩音。その背を見つめていた天笠が呼び止める。
「まだ何か用?」
「ナナちゃんと何があったのー?」
「あんたに言う必要ないでしょ。さっきも言った筈だけれど?」
「じゃあさー、情報交換しようよー?」
「別に聞きたいことなんて無い」
「ナナちゃんのお母さんに関する話だとしても?」
詩音の表情が変わった。僅かに揺らいだ瞳は興味の代弁。完全に向き直った詩音に、「肯定と受け取るよー」と天笠が投げ掛けた。
「五年前の実験の際、被検体の十人が第三研究棟に連れて来られた。失踪事件として揉み消してね」
「それは吉瀬君から聞いた」
「でもねー? ナナちゃんのお母さんだけ気付いちゃってさ、第三研究棟まで取り返しに来たんだよねー。私の娘を返して下さいって、最後まで退かなかった。もちろん、私がこれを見たのは残された映像でだけどねー」
「それでどうなったの……?」
最悪の予感が胸中を犯す。詩音は、自身の問いを僅かに悔いた。
「総督が殺した。能力も持たないただの人だから、刀で斬られてすぐに死んじゃってた」
「──ッ!!」
詩音が大きく足を踏み出す。掴まれたのは天笠の胸ぐら。怒りを露にした詩音と、あくまで冷静な天笠の温度差を孕んだ視線が至近距離で交わった。
「苦しいからやめなよー」
「あんた等さあ!! ほんっと下衆いことするよね!!」
小刻みに震える腕が詩音の怒りを代弁する。髪の隙間から覗く様々な感情を含む瞳が鈍い色を発していた。
「私に怒りをぶつけても無駄だって、本当は解ってるんでしょー? 咲ちゃん馬鹿じゃないもんねー」
掴まれて尚、天笠は表情を変えない。
「あのさー、咲ちゃんさー、さっきも言ったけれど君達も同じことをしているんだよー? 君達が殺した人は誰かの親かもしれないし、誰かの大切な人かもしれない。それとも何ー? 自分達だけが辛いとでも思ってるのー?」
「元はといえばあんた等が蒔いた種でしょうが……!!」
五年前の真実を知った來奈は尾堂の元に向かったのではないか。詩音は怒りに飲み込まれることなく、自身でも驚くほど冷静に思考を巡らせていた。
「次は咲ちゃんが話す番だよー?」
胸ぐらを掴む腕を取った天笠が力で押し返す。
「それとも、約束破って何も話さずに帰るー? 別にそれでもいいけどさー、咲ちゃんはそんな筋の通せない人じゃないよねー?」
視線を泳がせた詩音は観念したのか、小さく息を吐き出して心を鎮めた。




