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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
第三研究棟
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人喰い鮫

「その身体では何も出来ない。お前は此処で終わりだ、四咲」


 痺れを切らした男は刀を抜き、蔑みの視線を向ける。眼前で立ち尽くす詩音への距離を埋めるも、背に感じた寒気がそれ以上進むことを拒んだ。


「どうしたの? 来ないんだ?」


 臨戦態勢をとっている訳でもない。ただ立ち尽くす詩音が問う。言葉そのものが凍り付いたと誤認するほど冷たい声色だった。


「死に損ないの女一人だ。数で蹂躙しろ」


 男は周囲を見渡すと顎で指示を出す。円を外側から塗り潰すように押し寄せる者達が、詩音を逃さまいと距離を埋めた。


「知ってた? 人は、死を目前にした時が最も攻撃的で最も強いんだよ」


 左目から血の涙を零した詩音が舞う。激痛を意図的に忘却した跳躍。地上の者達が宙を見上げる中、詩音は両手で左右のブーツに触れた。


 宿る純黒の翼。湾曲した刃が氷により彩られた。着地と同時に風圧で舞い上がる羽。(からす)の羽に似たそれは、闇のような空を背景にして尚、色褪せない黒を魅せる。


「良かったね、最期に見る景色が幻想的なもので」

 

 周囲の者達が虚空に見蕩れた一瞬、場を吹き抜けた風。詩音は空間を駆けると次々にレイスの首を刎ねていく。予測不能な浮遊や、浮力を使った予備動作無しの方向転換など、誰も彼女を止めるには至らない。


 まさに圧倒。たった一人の少女による蹂躙。吹き上がった鮮血が雨と混ざり、地面では赤黒い水溜まりが形成されていた。


(リク)を屠った促進剤の力か」


「そ。促進剤はもう、あんた等だけの専売特許じゃない」


 舞い上がっていた全ての羽が、漸く地に堕ちた。それを合図とするように男が地を蹴る。直線距離での急激な接近。突き出された刀の切っ先を回し蹴りで受け止めた詩音は、押し切れないことに疑問を抱く。


 そして、気付いた。


「へえ、あんたも同類なんだ」


 男は左目より血の涙を流しており、垂れ流されている魔力は先ほど殺めた者と比べ物にならない。右脚の刃で受け止めた刀を下方へと往なし、入れ違いで左脚を振り上げる。


 だがコンマ数秒、男の速さが上回った。男は身体を捻り刀を振り抜く。超反応を見せた詩音ではあるが躱すには至らず、切っ先が胴体を切り裂いた。


 肌を裂かれて迸る激痛。後方へと体勢を崩した詩音は無抵抗に地に屈する。霞み始めた視界が身体の活動限界を言わずと代弁していた。


「お前が万全なら、ある程度は殺り合えたかもな」


 徐々に千切れゆく両足の翼。上から押さえ付けるような雨が息苦しさを誘発する。重くなった四肢は言うことを聞かず、辛うじて両腕を投げ出した詩音は、諦めたのか大の字に身を晒した。


 空に向いた視線が闇を取り込む。瞳に突き刺さる雨が煩わしかった。


「国の平和に為に死ね」


 男は刀を振り上げて満身創痍の詩音を見下ろす。


「さっさと殺せば? 未来永劫呪ってあげるから」


「減らず口はあの世で叩け」


「あらら。此処までか」


 無情にも振り下ろされた切っ先が詩音を穿つ。否、弾けた金属音は刀が止められた証だった。男と詩音は同時に目を見開き絶句する。現れた第三者は二人の視線を(ことごと)く釘付けにした。


天笠(あまがさ) 日依(ひより)……?」


 仰向けになった詩音の目前で刀同士が競り合っている。力で押し切った天笠が二人の間に身を捻じ入れた。まるで、詩音を庇うように。


「今日も生憎の雨だけど、雨傘じゃないよ天笠だよー」


 間の抜けた声。だが頭が切れることを知っている。絶望的な状況下におけるレイスの主力の登場に、詩音は諦めにも似た感情を抱いた。


「やっほー、咲ちゃん。元気ー?」


「見れば解るでしょ、死にかけてんだけど」


 痛みで顔を歪ませる詩音の傍らで、男は怪訝そうな表情を浮かべて天笠を正視した。その眼差しは語る、何故邪魔をしたのかと。


「どういうつもりだ天笠」


「どうもこうもないよー? 私は咲ちゃんを助けた、それが答え」


「裏切るつもりか?」


「裏切る? まさかー。お仕事に真面目な私が、そんなことする訳ないよねー」


「どんな理由があろうと、お前はテロリストである四咲を庇った。政府に対する反逆だ。総督には伝えておく」


「五月蝿いなあ。咲ちゃんはどうせ殺すんだから、何をしようが私の勝手だよねー」


 声のトーンがあからさまに下がる。見開かれた(くま)のある大きな赤い瞳が苛立ちを物語っていた。


「──ッ!!」


 併せて、凄まじい圧力が詩音の身体に伸し掛り、骨が軋む嫌な音が耳に届く。それは男も同じであり、強制的に重心が下がり両脚を震わせていた。


 明らかに天笠の能力だと詩音が認識した時、眼前で男の首が切り落とされた。刀には血液が付着しており、素早く払った天笠は振り返ることなく納刀する。


「助けるのは今日だけだよ、咲ちゃん」


 首を失った男が崩れ落ちる。大量の血を吸った雨水は、徐々に赤い領域を拡大させた。


「あんた、どうして私を助けたの」


「一回しか言わないからよく聞いてねー」


 未だ起き上がることが叶わない詩音は、天笠の背を見据えたまま濡れた地面に身を預けている。


瑠衣(るい)を……弟を助けてくれてありがとう」


 その言葉に、帝例総合病院での記憶が蘇る。発作を起こした瑠衣を、看護師の元へと連れて行ったのはまだ記憶に新しい。


「瑠衣はねー、小さい頃から重い心臓病を患っているの」


「……聞いたよ、看護師の人から」


「手術をしないと治る見込みが無いみたいでさ、とても難しい手術だから、身体が耐えられるどうか解らないんだって」


「……そう、なんだ。どうするの? そういうのって本人の意思を尊重して決めるの?」


「私はして欲しいって言ってるんだけどさ、本人が頑なに嫌がるのー」


「やっぱり怖いよね、まだ子供だし」


 無言で頷いた天笠は続ける。


「私と瑠衣は凄く仲が良くてねー? 手術をしなければ私と会えるけれど、もしも失敗してしまえば二度と会うことは叶わない。瑠衣はさ、残された時間の中で私と過ごす選択をしたのー」


「残された時間って……」


「長くて半年だって。正直いつ死んでもおかしくない」


「そんな……」


「あー、ごめんごめん。暗い話になったね。咲ちゃんさー、傷跡痛いー?」


 振り返った天笠の表情は明るい。「痛いに決まってるでしょ」と毒づいた詩音は呆れたようにため息をついた。


「だよねー、痛いよねー」


 仰向けの詩音。剥き出しになった色白の太腿が雨に濡れて艶やかさを晒している。そこに腰を下ろした天笠は、逃れようとする詩音を押さえ付けると黒いブラウスのボタンを外してゆく。


「何してんの!? 触んないで!!」


「あのさー、咲ちゃんさー、そんな反応されたら(そそ)るかも。此処で皆に見てもらいながらしちゃうー?」


 ブラウスが完全に脱がされ、露になったのはしなやかな細身。リクのナイフで貫かれた右肩や切り裂かれた胴体が凍結している。痛々しい傷跡は、華奢な体躯にはあまりにも不釣り合いだった。


「はあ!? 意味解んないんだけど!! 死ね!!」


 力を振り絞り拳を振り上げた詩音。片手で軽々と受け止めた天笠は、そのまま腕を押し下げると体重を掛けて拘束した。


 詩音は歯を食い縛り天笠を睨み付ける。言うことを聞かない身体での抵抗は叶わない。実質、されるがままの状態だった。


「乱暴しないでー? 瑠衣を救ってくれたお礼に、今日だけは咲ちゃんを助けてあげるからさー」


 天笠はそう言うと、詩音の身体に口を近付ける。そのまま軽く舌先を突き出すと、あろうことか傷口を舐め始めた。


 短い声を発した詩音の身体が無意識に脈打つ。到底理解の追い付かない状況に恐怖を感じているのか、僅かに身体が震え始めた。


「やめてよ……痛い!! 離して!!」


「あのさー、咲ちゃんさー、何処が痛いのー?」


「え……?」


 ふと違和感に気付く。先程まで詩音の身体を蝕んでいた激痛が、まるで嘘のように消え去っていた。


 顔を上げた詩音が剥き出しになった自身の身体を確認するも、そこには何の傷跡も無い。ただ色白の肌が雨を弾いていた。


「嘘……あんた何したの……?」


「私ねー? 人の傷を食べることが出来るんだ。制約があるから乱発は出来ないけどさー。レイスの一部からは人喰い鮫だなんて呼ばれているんだよ。女の子なのに酷くないー?」


 手を差し出した天笠は優しく微笑む。視線を泳がせて迷った詩音ではあるものの、観念したのか、手を取ると身を起こした。痛みは感じない。感覚を確かめる為に何度か開閉された手が、難なく普段通りの挙動を示した。

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