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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
第三研究棟
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例え、視える世界が半分になったとしても

「どういうつもりだァ、四咲」


「船で來奈を傷付けてくれたみたいだね」


 鼻で笑ったリクは口角を吊り上げる。


「なるほど、報復のつもりか。考えも無しに行動する奴だとは聞いていたが、情報に間違いは無かったなァ」


「私をどう思おうが自由だけれど、來奈を傷付けたことは赦さない」


「赦さない? 今まさに目の前で人を殺した奴が、一体どの口で言うんだァ? 邪魔をするならお前から殺す。その後に黒瀬も引き裂いてやるよ」


「私達を殺すのは平和の為だってね? 馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうよ。あんた等政府も所詮は砂上(さじょう)楼閣(ろうかく)。掲げる理想は稚拙な空想論。諸悪の根源である、あんた等が消えた方が平和になるんじゃない?」


 無数の棘を孕む言葉。煽り口調で紡いだ詩音は、目を細めて蔑むような表情を浮かべる。


「身の程を知れ、四咲。黒瀬ならともかく、お前みたいな雑魚が残ったところで足止めにもならねェよ!!」


 体勢を低くして地を蹴ったリクは、回転を加えて身を大きく捻る。即座に是正された体幹と共に振り下ろされたカランビットナイフが宙を泳いで煌めいた。


「あんたさあ、言葉には気を付けた方がいいよ?」


 鋭利な切っ先は詩音に至らない。弾けた甲高い音は得物が止まった証。詩音の細腕は凍結しており、振り下ろされたナイフを的確に受け止めていた。


「本気で来なよ」


 目を見開き距離を取ったリクが僅かに動揺する。まるで何かを見定めるように、未だ一歩も動かない詩音を直視した。


「それとも今のが本気? 政府直属の割にはレイスも大したこと無いねえ」


 可愛げに首を傾げる詩音。動作と相反して、凍りつくような表情は何も読み取れない。そんな彼女に対して舌打ちをしたリクが、腕を薙ぎ払ってナイフを投擲した。


 瞬きすらせずに蹴り落とした詩音の眼前にリクが迫る。状態はほぼ肉薄。繰り出されるナイフの応酬と競り合うブーツの仕込み刃。得物同士の衝突は剣戟さながら幾度となく続く。


 その最中、リクの口角が大きく吊り上がった。有り得ない角度から振り抜かれたナイフが詩音の頬を掠める。


「終わりだァ!!」


 張り詰めた状況下で生まれた一瞬の隙。それを逃さまいと突き出されたナイフ。手首を往なした詩音ではあるが、軌道が逸れる際に切っ先が肩を掠める。次いで迫った二撃目はまたしても有り得ない角度からだった。


「──ッ!!」


 まるで地面から湧き上がった斬撃。上体を反らしながら躱す詩音の腹部に蹴りが叩き込まれる。体内を駆け巡る激痛と衝撃。詩音は大きく嘔吐きながら後方へと吹き飛び、並んだベッドの一つに身体を打ち付けた。


 瞬間的に麻痺する身体機能。だが辟易する間は無い。頭上より迫るリクがナイフを振り下ろす。辛うじて身を投げ出して転がる詩音。先程まで居た場所にナイフが突き刺さり、凄まじい切れ味が代弁された。


「どうしたよォ!! さっさと掛かって来い!!」


 体勢ままならない状況で、リクの繰り出した蹴りを腕で止めた詩音。そのまま衝撃を下方へと逃し、身体を捻って脚を振り上げる。後ろに逆上(さかあ)がって体勢を立て直す際、ブーツから突出した刃がリクの胴体を切り裂いた。


 鮮血を撒き散らしてなお猛るリクは、更なる追撃を試みて靴底に魔力を集める。だが地は蹴られない。何かに気付いたのか静かに足が止まった。


「來奈から聞いた通り、あんたは影に(まつ)わる能力を使う。意味不明な所から飛んで来る攻撃が厄介だねえ」


 俯く詩音の口元から漏れ出る白い息。まるで冬さながら等間隔に吐き出される息は、虚空に拐われては消えてを繰り返していた。


「でもね……此処からは通用しないよ」


 魔力の波長が変わる。急激に下降する気温が空間を嘲笑うように拡がり始めた。その中で佇む詩音はゆっくりとした動作で顔を上げる。


 左目から、血の涙が零れた。


「自ら促進剤を接種したか」


「そ。これは自分の意志。親友の隣を歩く為に、そして護る為に。視える世界が半分になっても……私は來奈と共に生きる選択をした」


「護る? 共に生きる? 笑わせるな。反政府を掲げるテロリスト風情が随分な口を利く」


「私達には私達の生き方がある。知りたい過去がある。護りたいものがある。その為には政府もレイスも邪魔なの」


「政府と殺り合って本気で生き抜けるとでも?」


「正義は必ず勝つってよく言うでしょ? あれは悪を恐れて戦いもしない腰抜け共が、正義が勝つと願って抱いた幻想に過ぎない」


 血の涙を指先で拭った詩音は、舌で舐め取ると恍惚の表情を浮かべる。


「教えてあげるよ、(リク)。正義が勝つ時代は終わったの」


 靴先で地を叩いた詩音に応え、湾曲した刃が勢い良く突出する。鈍く煌めく刃は純黒の氷を纏い姿を変えた。


 ブーツの先端と後端に、鋭利に尖った氷の翼が具現化する。それは一切の混じり気の無い漆黒。淡く煌めいたと思えば、次の瞬間、翼が瞬く間に開いた。


 華麗に浮遊した詩音。重力の概念を無視した、美しくも規則性の無い動きがリクを翻弄する。移動した軌跡を彩る魔力残滓が消え入るよりも早く、頭上を取った詩音が右脚の踵を振り落とした。


「なんてね」


 衝突寸前で不自然に動きが止まる。空中でありながら自由自在な動作だった。ふわりと靡く黒ブラウスが慣性の影響を受ける。身体を前へ倒した詩音は一回転すると、左脚の踵を振り下ろした。

 

 予測不能なスイッチ。だが、リクの瞳が強く煌めき鋭さを帯びる。

 

「どれだけ早く動こうが、お前の存在を裏付ける影だけは誤魔化せない」


 まるで超反応だった。堕ちて来た翼をナイフで弾いて軌道を変える。詩音は体勢を崩したと思われたが否。普通では考えられない不規則な旋回を見せ、身を大きく翻した。


 振り抜かれた右脚は喉元を狙うも僅かに届かず。躱したリクと入れ違うように、認識不能な角度からのナイフが飛来する。だが、鋭利な切っ先は詩音に至る寸前で凍結。そのまま砕け割れると跡形も無く消失した。


「早く私を殺さなきゃ來奈が戻って来ちゃうよ? あの子強いから、さすがのあんたでも二対一は不利だよねえ」


「口だけは達者だなァ、四咲よォ!!」


 敢えて挑発に乗ったリクは天井目掛けて腕を突き出す。手のひらに収束し始めた漆黒の魔力が、歪に蠢いては膨張と収縮を繰り返す。


 ──何かを吸い寄せている?


 巡らされた思考は唐突に終わりを迎える。周囲の異変に気付いた詩音は目を見開いた。


「何……これ……」


 並ぶベッドが半透明に透けていき、(しま)いには跡形も無く消失した。それ以外にも、ベッドに取り付けられた機械や、先ほど割れ砕けた窓の破片ですら例外では無かった。


 形あるものが(ことごと)く消えていく。目を疑う光景に立ち尽くす詩音。そんな彼女の身にも異変が起こる。


「え……?」


 詩音は気付く。自身の影が揺らぎ、少しずつ千切れてはリクの手中に吸い寄せられていることに。警鐘を鳴らす本能。僅かに透け始めた自身を見、心臓が締め付けられるような鼓動の高鳴りに遭う。


「もう遅せェ!! 影を吸われたモノは実体を()くし、最期には存在すらを無くす」


「さすがに洒落になんないよ」


 地を蹴った詩音が能力の発動を止めようと蹴りを繰り出す。実体化したリクの影が、翼を模した刃を止めたと思えば、ぐにゃりと崩れて詩音を拘束した。


 黒く粘り気のある魔力が、詩音を締め上げて身体を這う。主導権を奪われた四肢。落ちた視線は、ゆっくりと時間を掛けて千切れゆく影を映す。影が削られる度に透けて薄くなる身体が、迫る死期を言わずと物語っていた。


 周囲には既に何も無い。ただ茫洋で無機質な空間だけが広がっていた。


「あんた強いねえ」


 曖昧になり始めた意識の中、詩音は冷たい笑みを浮かべる。唐突な気温の低下に薄い霧が立ち込め始めた。


 拘束されてなお、鋭い眼光は色褪せない。足元より拡がる零度の波紋が空間を侵食し、辺り一体を尽く凍結させた。瞬間、詩音は実体を取り戻し、四肢を拘束する影すらも消え失せる。


 端的に言うならば闇。


 天井や壁、視える景色全てが純黒の氷に覆われた。能力が中断された事実に目を見開いて驚愕を露にするリク。周囲を泳いだ視線は真っ直ぐに詩音へと回帰した。


「何をしやがったァ」


「純黒に覆われた無機質な空間。幻想的で綺麗でしょ?」


 それは皮肉。無邪気な少女のように声が弾む。


「『黒之領域(グレイシア)』。純黒の氷に蝕まれたこの場所は、あんたと私だけの世界」


 抑揚が裏返り、深く冷たい声色へと変わる。ネオンの光を宿した水色の瞳が妖しく煌めいた。


「いい加減気付いた? 辺りは全て純黒。影など存在する余地も無い」


 影の消失、そのカラクリを理解したリクが顔を歪める。苛立ちと怒りを孕んだ醜い表情だった。


「能力を封じた程度でもう勝った気か? 四咲よォ!!」


「あんたの能力は危険過ぎる。だから私は賭けに出た」


 右腕を前方に向けてゆっくりと上げる詩音。応えるように、地から湧いた鎖が手首に巻き付いた。じゃらりと重苦しい音を立てた氷の鎖は振り子さながら揺れ動く。


「さあ、リク……私と(あそ)ぼっか」


 螺旋を描いて宙を泳いだ鎖が、離れた位置に居るリクの右手首にも巻き付いた。まるで両者を繋ぐ手枷(てかせ)。繋がれた二人は視線をぶつけ合った。


「これで逃げ場は無いよ?」


「自ら退路を断ったのはお前だ」


「あんたを生かしておけば驚異になる。必ず此処で殺す」

 

 足元の翼で浮遊した詩音が前へと身を捻じ入れた。振り抜かれた右脚を屈んで躱したリク。狙うは一点。踏ん張られた軸足目掛けてナイフが突き出された。


「遅いよ」


 無理矢理に身を翻すことで宙へと身を投げ出した詩音。虚空に尾を引いた髪が僅かに切り裂かれてはらりと散る。「やっば」と髪を押えた詩音は苛立ちを見せた。


 重力を無視した不規則な動きで回ったのは背後。即座に放たれた回し蹴りがリクを捕らえるも傷は浅い。背から滴る鮮血を諸共せず、振り返り際に視線がぶつかった。


「純粋な体術のみで殺り合う選択をするとは、俺も()められたもんだァ!!」


 手首のスナップを効かせてナイフを投擲したリク。至近距離での投擲は完全に予想外。得物は深々と詩音の右肩を貫いた。


「やる……ねえ!!」


 迸る激痛にぶれる視線。リクは首を刎ねようとナイフを水平に振るうも、上半身を後ろに反らして躱した詩音は、流れるようなムーンサルトを見舞う。その際、翼を模した刃がリクの胴体を抉った。


 それでも尚、歯を食い縛ったリクは怯まない。間を置かず、後方へと着地する詩音を追う。(おぞ)ましい殺意を孕んだ肉薄。詩音は、右肩に突き刺さったナイフを無理矢理に引き抜いて応戦する。


 弾けた音。甲高いそれは得物同士の衝突音。刀と同様、詩音に刃物の心得などある筈も無く、初撃でナイフが弾き飛ばされる。


 切っ先を曖昧に振り回しながら遠ざかるナイフが地面に落ちるよりも早く、がら空きになった懐にリクが身を捻じ入れた。


 心臓目掛けて突き出された得物を往なした詩音は、神経を研ぎ澄ませ反撃を試みる。互いの得物同士が幾度となく衝突し、純黒に蝕まれた空間内で、哭くように火花が散り続けた。


「五年前を旅した気分はどうだァ?」


「あんた何か知ってるんだ? 今日が促進剤を用いた実験だとか言われけれど、全く意味が解んないんだよね」


「第三研究棟は五年前から時を刻んでいない」


「それは予測の範囲内。でもその言い分だと、政府の仕業だということになるけれど」


「……五年前のあの日、一命を取り留めた者達が居た。もちろん公にはされていないが、政府は生き残った者を治療した。そして人体を冷凍保存し、記憶を改ざんし、延命して来た。何故だか解るか?」


 競り合う双方。交わる視線だけが意志を押し付け合う。「さあ?」と答える詩音に対し、リクがほくそ笑んだ。


「命を有効活用する為だ。解り易く言えば、度重なる促進剤の改良……その実験における被検体とする為」


「あんた等さあ、社員すらもモルモット扱い? 相変わらず下衆いことするね」


「都合が良かったんだよ。真相を調べても、あの事件では全員死んだという情報を掴まされるようになっている。そうすれば無条件で被検体が手に入るだろう? 仕方ないよなァ、これも平和の為だ」


「馬鹿みたい。何が平和よ。どれだけ民から支持を得ようとも、あんた等は所詮……好き勝手に人の命を弄ぶ組織に過ぎない。平和という言葉を盾にしているだけに過ぎない」


 競り合いを力で押し返した詩音。予測不能な動きで浮遊した彼女は左脚を振り上げる。ブーツに宿る翼の刃がリクへと至り、肩口から腰にかけて深く抉った。


 同時に、リクのナイフが詩音の腹部を貫く。まさに相討ち、互いは大きく仰け反ると苦しげな表情で崩れ落ちた。


「終わりだよ、リク」


 震える身体を無理矢理に律し、口角から血を流す詩音が立ち上がる。そして、ナイフを一思いに引き抜き、迸る激痛に耐えながら傷口を凍結させた。傷の深さを物語るのは覚束無い足元。それでも尚、彼女は歩みを止めない。


「正義は必ず堕つ。そして私の勝ち。何か言い残すことはある?」


 既に満身創痍のリクに跨った詩音。手には腹部から抜いたナイフが握られており、冷め切った水色の瞳が、様々な感情に犯されては鈍い色を発していた。


「お前等には天罰が下る。政府に牙を剥いたことを死ぬまで永遠に嘆き続けろ」


「あっそ。じゃあ、さよなら」


 ナイフの切っ先が躊躇い無く落ちた。寸分(たが)うことなく穿たれた左胸。跳ねるように脈打った身体から血が流れてゆく。


「天罰ねえ……」


 純黒の氷が消失して回帰する景色。凍結させた傷跡を押さえながら立ち上がった詩音は、カランビットナイフのリングに指を通し華麗に捌く。その(かたわ)らで、互いを拘束していた氷の手枷が砕け割れた。


「私達は平気で人を殺す。でもさあ、人の命を弄ぶ政府がそれを言っちゃ駄目だよ」


 貫かれた右肩と腹部が痛みを主張する。同時に身体を駆け巡る不快感。脚を縺れさせて崩れ落ちた詩音は込み上げる衝動を吐き出した。


 真っ赤な血が地面を侵食してゆく。何度も咳き込む詩音は、負傷し過ぎたと苛立ちを露にした。壁際に凭れ掛かって座ると宙を仰ぐ。大きく吐き出された吐息が思考を幾らか冷静にした。


「五年前の真実には辿り着けたかな?」


 來奈を導いた、純黒の氷による階段は未だ溶けずに煌めいている。階段を登るように最下段から最上段へと視線を上げていく詩音。視線が一番上へと至った時、瞳は待ち侘びた來奈の姿を映した。


 交差する視線。「私、勝ったよ」と示すように、詩音は無言のまま右腕を突き出した。安堵したのか表情を緩めた來奈は、階段を駆け下りると詩音の身を案じて寄り添った。

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