過去への道を抉じ開ける為
「さて、そろそろ過去への道を抉じ開けようか」
「いつでもどうぞ。覚悟は出来ています」
互いに一切の躊躇いは無かった。
眼前に手を翳した詩音は純黒の魔力を放つ。着弾点は液晶付きのゲートであり、分厚い氷に覆われた精密機械は、皮肉にも役目を果たすこと無く沈黙する。
「どうせバレていますし、凍らせる必要も無かったでしょう」
「こうした方が悪者みたいじゃん」
「実際悪者でしょう」
「そ。だからこそ好き勝手暴れるの。人の命を弄んだのだから、このくらいの代償は背負ってもらわなきゃ」
凍結したゲートを潜り奥へ。建物内は白亜の通路が何本も伸びている。通路の左右には大きな強化硝子の張られた部屋が羅列していた。
部屋内はまるで研究室。見た目では用途不明な機材や、実験対象を寝かせる為であろう拘束具付きのベットが並ぶ。時折見受けられる切れかけの照明が、小刻みに明滅することで不気味さに拍車を掛けていた。
「──ッ」
その光景を目の当たりにした來奈が喉元を押さえて吐き気に抗う。脳内にチラつく過去の片鱗。瞬時に察した詩音は何を言う訳でも無く背を優しく擦った。
「大丈夫だよ、來奈。私が傍に居るから」
「すみません。足手纏いで」
「ううん、そんなこと無い。私はあんたのことが大切。だから何度立ち止まってもいい。立ち止まる度……私も一緒に脚を止めるから」
そのまま來奈の背を抱く詩音は、周囲から突き刺さる視線に苛立ちを覚える。強化硝子の向こう側、白衣を纏った者達が二人へと舐め回すような視線を注ぐ。誰一人逃げ出そうとする者は居らず、むしろ活き活きと、それでいて不敵に瞳を輝かせていた。
数分で落ち着きを取り戻した來奈は、俯いていた顔を上げる。「大丈夫?」との問いに強く頷く事で応えた。
「私達、凄く見られていませんか?」
「さっきからずっとだよ」
通路の真ん中で立ち止まる二人。左右の部屋からは未だ視線が降り注いでいた。
「鬱陶しいね……殺す?」
「今はいいでしょう。目的を果たしてからでも遅くはありません」
とは言うものの、來奈を小さな違和感に遭う。周囲を観察した彼女は難しい顔をして思考に耽った。
「この人達……見覚えがあるような……」
「勘違いだと思うよ? 五年前の事件、第三研究棟に招集された者達の中に生き残りは居なかったから」
「……恐らく私の考え過ぎです。片鱗を覗かせる過去が、自らの意志や思考と混同しているのでしょう」
「もしもあんたの言い分が正しいのなら、この人達は幽霊ってことになっちゃうからね」
「確かに、馬鹿馬鹿しい話ですね」
先導する來奈。舌を突き出して左右を挑発する詩音が後に続く。どれだけ進めど景色は変わらず、強化硝子の向こう側より視線が降り注ぎ続けた。
そして、一つの過程が生まれる。周囲の者達は二人ではなく來奈のみを見ていた。その証拠に、詩音が少し離れても、降り注ぐ視線は來奈を捕え続けていた。
「どういうことだろう? 來奈だけモテモテじゃん」
「さあ? 身に覚えがありませんが。というか寒くないですか?」
進むにつれて肌を突く冷気。詩音にとっては些細でも、來奈にとっては到底普通とは思えない異様なものだった。警鐘を鳴らす身体。鼻水を手で拭った來奈は、詩音の黒ブラウスで拭くと悪びれる様子も無く歩み続ける。
「酷い……」
「ポケットティッシュ持ってます?」
「拭いてから聞くとか順序逆じゃない? ハンカチもポケットティッシュも持ってたのに。そのくらいは持っていて当然、社会人のチケットっていうでしょ?」
「敢えてツッコミますと、チケットって映画でも見る気ですか? まあ、エチケットはバッチリですね」
僅かに湿ったお気に入りのブラウスを見、詩音の肩が大きく落ちた。
「どうする? 別れ道だよ」
唐突に、道が二手に別れた。
左右を見比べても一切の違いは無いが、明らかな温度差が生じていた。右側に伸びた通路の奥より、肌を突く冷気が犇々と伝わってくる。顔を見合せた二人は、何度か瞬きをし合うと視線を眼前へと回帰させた。
「こういう場合は閃きで決めるのが一番。例えば利き腕に合わせたりね。私は左利き、あんたは?」
「右利きですが」
即、交渉決裂。「じゃあ、間を取って真ん中ぶち抜いて進む?」という稚拙な提案が一瞬で否定された。
「寒いのは嫌いですが右へ行くべきかと」
「やけに自信満々だねえ」
「この歪な冷気……もしも促進剤を冷凍保存しているとしたら? あくまで憶測ですが、可能性はゼロではないでしょう」
「あんたの言う通りだね。促進剤があれば全て破棄しよう。レイスの連中全てに行き渡ってしまえば厄介過ぎるから」
早く行けと言わんばかりに、顎で道の先を示した來奈。彼女は少しでも暖を取る為に、先導する詩音の後ろにぴったりと張り付いて続く。
「そんなに寒い? 全然じゃん」
「氷使いが言えば皮肉にしか聞こえませんよ」
「じゃあ、あんたの炎で暖かく出来ないの?」
「出来ますが、熱いだとか言って文句を垂れるのが見え見えですので」
「確かにすぐ文句を言いそうだね」
「貴女のことですよ。他人事みたいに言わないで下さい」
尚も歩みは続き、通路の最奥へと至る。道を拒んでいるのは少し錆びた金属扉。触れても反応は無く、到底開かないであろう事が見て取れた。
「さすがに來奈の出番だよね」
「仕方ありませんね」
言われるがまま前へと出た來奈。純白の炎を纏った小型ナイフが、何の抵抗も無く扉の中央を切り裂いた。焼き切られた金属の匂いが辺りに充満し、鼻を摘んだ詩音がそそくさと内部へと身を捻じ入れた。
「うーん、適温適温」
「そんな訳ないでしょう。こんな所に居たら凍え死にますよ」
余りの冷気に白い霧が立ち込めている。広大な空間には、所狭しとカプセルに酷似した楕円形の装置が並んでいた。それは、硝子張りになった上半分から内部の状態が確認出来る造りになっている。
通り過ぎながら中を確認した來奈が足を止める。表情は引き攣り、無意識に短い声が発せられた。
「詩音……!!」
視線の誘導のままに中を覗き込んだ詩音は、目を見開き息を呑んだ。
「人、だよね……?」
装置の中では一人の女性が瞼を閉じている。生死は定かでは無く、ただ眠っているだけのようにも見えた。
「もしかしてコールドスリープってやつ?」
「珍しく意見が合いましたね。ちょうど同じことを考えていました」
「だとしても、こんなことが行われているだなんて初めて知ったよ」
「一体何の為でしょうか? メリットなど無い筈ですが」
それから十五分程の探索が続く。装置は空のものもあり、人が入っているのは約半分程度。その誰しもが生命活動を閉ざしているのか、静かに瞑目していた。
「ざっと百人といったところですね」
紡ぐや否や可愛げにくしゃみをした來奈。体温の低下が著しく、身体が僅かに震えを主張する。さすがにこれ以上は危険だと判断した詩音は、冷たくなってしまった來奈を抱えると部屋を後にした。