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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
第三研究棟
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親友であるが故

「いかにもって感じだねえ」


「侵入が悟られている以上、もたもたしている暇はありませんよ」


 偉そうな正面入口が、まるで両手を広げて挑発するように聳え立っている。見るからに堅牢な建物だが見張りは存在せず、変に勘繰った詩音が視線だけで周囲を探る。結果、敵意は無し。そのまま建物全体を舐め回すように見据えた彼女は、誰の出入りも行われていない正面入口を指差した。


「ぶち破る? それともスマートに通過しちゃう?」


「普通に入ります」


 大きな車が数十台横並びになっても通れるであろう広過ぎる間口。ザラついたスモーク硝子は(おの)が身を(てい)し、内部の景色を完全に閉ざしていた。


「行くよ、來奈」


 入口に近付く詩音。即座に感知した硝子張りの扉が自動で開く。エントランスは驚くほどに無機質で、白で統一された天壁や電灯が異様な不気味さを晒していた。複数台設置された監視カメラが広大なエントランスを見下ろしている。その真下では、人を識別する為か、文字が羅列した液晶付きのゲートが横並びに鎮座していた。


「さすが政府の施設。思った以上に厳重ですね」


「あれを通らないといけない訳か」


「危険物を持っていないかどうかの検査ですかね。言ってしまえば、空港の保安検査と同じですよ。まあ此処では、個人の識別などにも使われているのでしょうが」


 そう述べた來奈は目元を押さえて静かに屈み込む。消え入りそうな声で「すみません」と紡ぐ彼女に、異変を感じ取った詩音がすぐさま寄り添った。


「どうしたの!?」


「幸か不幸か、記憶の片鱗が見えましてね。私は間違いなくこの場所を知っている。そして……間違いなくこの場所に居た」


「過去に居た場所に戻って来ることで……まさか記憶が戻りつつあるの?」


「残念ながら、この場所に関する記憶だけです」


 目元を抑える小さな手。指の隙間から零れ落ちた涙が地を濡らす。それを隠すように屈んだまま背を向ける來奈だが、震える背を(さす)った詩音が全てに気付き「大丈夫だよ」と優しく囁いた。


「気付かれましたか。ですが生憎、私にもこの涙の理由は解りません。無意識に流れて……止まらないんです」


「きっと……辛いことがあったんだよ、此処で。あんたが泣くなんて珍しいね」


「笑っていいですよ。理由も解らず、記憶すらも定かではない。なのに涙が止まらない……さすがに可笑(おか)しいでしょう」


「ううん。何も可笑しくない、可笑しくなんかない。來奈は空白の一年を抱えながら、それでも折れずに必死で生きて来た。重い脚を止めずに前を向いて歩いて来た。そんなあんたを笑える奴なんて居ない」


「詩音……」


「もしも來奈を笑う奴が居たら、私がぶっ飛ばしてあげるから。私の親友を馬鹿にするなとね」


 珍しく感情的になったのか、地に落ちる涙が次から次へと続く。背を震わせて咽び泣く來奈は、未だはっきりと覚醒しない過去に苛立ちを抱いていた。嘲笑うように脳内で(もや)がかる記憶。よほど思い出したくない過去が思考を拒絶しているのか、凄まじい吐き気が何度も揺り返していた。


「少し……休ませて下さい……」


 壁際に寄り嘔吐する來奈。励ました詩音は、以前してもらったように後ろから優しく抱き締める。介抱の甲斐あって呼吸が落ち着きを取り戻し始めた頃、建物の入口より複数人の足音が響いた。


「執拗いねえ、もう追い付いて来た」


 連中を睥睨(へいげい)しながら「此処で待っててね」と諭した詩音は、來奈に背を向けて立ち上がる。小さなその背は、來奈の目にはとても頼もしく映った。


「私も……一緒に……」


「大丈夫だよ、あんたは休んでて」


 優しい声色とは相反する魔力が蔓延り始める。身体を芯から凍結させてしまいそうな、歪な冷たさだった。


「こんなの……すぐに終わるから」


 対峙するは数十人。襟元には誇りを示すバッジ。各々の手には、刃物や銃火器など殺傷力の高い得物が握られている。來奈を残したった一人で歩み寄った詩音は、迫り来るレイスの連中に感情の読めない瞳を向けた。


「あんた等さあ、空気くらい読みなよ」


「反逆者が何を言うかと思えば」


「こうなったのはあんた等のせいだよ? 促進剤さえなければ、人の命を弄んでさえいなければ……私達が反政府を掲げることも無かった」


「国の繁栄、そして平和の為だ」


「だろうね。吉瀬君もそんなことを言ってたよ。全ての人間が幸せな国など存在しない。そして平和の為には多少の犠牲は必要であり、綺麗事では国は治まらないと」


「それが我々政府のやり方であり、国民に寄り添った結果だ」


(しるべ)を無くした国家は破滅への道を辿るらしいよ? それも吉瀬君が言ってた」


「だったらさあ」と続けた詩音は拳を握り締め苛立ちを見せる。


「あんた等政府が堕ちなよ。それも多少の犠牲ってことでいいよね? 今まで散々、人の命を弄んできたんだからさ」


「話にならんな、殺せ」


 先頭の男が右手を挙げて合図を出す。後方の二人が左右に割れ、ほぼ同時に刀を抜き放った。


「何処からでもおいで」


 視線だけで動きを追う詩音。挟撃の要領で迫り来る二人を冷静に見据え、素早く右脚を振り上げた。左側で乾いた音が鳴る。首を刎ねられた男がぐらりと傾き地に屈した。


 飛び散った血飛沫には誰一人見向きもしない。残る一人が刀を振り下ろすも、刃が望んだ軌道を描くことは無かった。腕を凍らせて受け止めた詩音。氷の硬度が刀のそれを上回り、一瞬の反発が生まれた。


 繰り出された上段回し蹴り。反応すら赦されず二つ目の首が地面に転がった。刹那、一息ついた詩音の額を目掛けて一発の弾丸が飛来する。弾道を目で追うも、防ぐ素振りは一切見受けられなかった。


「惜しかったねえ。さっき撃ってきたでしょ? 私はあの瞬間からずっと飛び道具を警戒していた。あそこで見せなければ殺れてたかもね」


 歪に吊り上がる口角。無から具現化した純黒の氷壁が弾丸を的確に遮っていた。(まばた)き一つ行われず。弾速と熱を以てしても氷壁を貫くには至らない。凍結した弾丸は地に落ち、軽快に弾けて砕け散った。


「構うな、畳み掛けて殺せ。黒瀬と比べれば雑魚だ」


 再び指示を出した男が目を見開く。理由は至極単純。眼前に居た筈の詩音が、自身の背後に位置する集団の中央に移動していた為だった。


 圧倒的な速度は認識すら赦さない。ブーツの靴先で軽く地を叩いた詩音は、ムーンサルトの要領でその場を離脱して距離を取った。


 ほぼ同時に、靴先の触れた地面より冷たい純黒の波紋が拡散する。零度を撒き散らす無数の輪は、重なり、捻れ、全ての者達の足元を凍結させた。


「あまり()めないでね。残念だけれど、來奈より私の方が強いよ?」


 動きを封じられた者達を囲うように氷壁が沸き上がる。そして空間が鳴き、地鳴りが引き起こる。氷壁は上方へ伸びる過程で角度を付けて折れ曲がり、重なり合うように結合した。


 それはまるでクリスタル。七角形を描いた神秘的な純黒の氷が、全ての者達を内部へと閉じ込めた。


「抵抗しても無駄だよ? その中では生という概念は手のひらを返す」


 興味無さげに踵を返した詩音。靴音に混じって口元が小さく動いた。


「氷点下七千度、深淵なる絶対零度『冷酷無慙の黒結晶(エル・クリスタロス)』」


 刹那、純黒の氷が瞬いた。そして全方位へと破片を撒き散らしながら弾け割れる。場に残ったのは静寂のみであり、内部に閉じ込められた者達の姿は何処にも無い。


「って、もう聞こえてないね」


 口元からは、まるで冬だとでも言わんばかりの白い息が漏れた。詩音はそのまま來奈の元へと戻る。具合は大分良くなったのか、壁際に備え付けられた白い長椅子に腰掛けていた。


「こっちは終わったよ。具合はどう?」


「お陰様でマシになりました、ありがとうございます」


 感謝の言葉とは裏腹に口が尖っている。視線が合ったと思えば、來奈は勢い良く顔を背けた。


「どうしたの? 機嫌悪いの?」


 來奈の顔を覗き込む詩音。


「会話は聞こえていましたから。詩音が私より強い? そんな訳ないでしょう」


「あらら、バレちゃった? でも実際私の方が強いかもじゃん」


「それだけは有り得ません」


「そんなこと無いもん!!」


 頬を膨らませた詩音を横目に立ち上がった來奈。大きく伸びをした彼女は「さあ、行きますよ」と先陣を切る。だが靴音は一つ。後ろで立ち止まったままの詩音に視線が向いた。


「何をしているんです? 早く行きますよ」


「あのさ……來奈」


「どうしました?」


「此処からは……私一人で行く」


 俯いた詩音が視線を泳がせる。


「……え?」


「此処には、來奈にとって思い出したくない過去が必ずある。さっきみたいに苦しそうに吐いて、感情がぐちゃぐちゃに乱れて泣いて、そんなあんたを見ていられないよ」


 ため息をついた來奈が距離を埋める。そして詩音の眼前で立ち止まり無言で視線を合わせた。身長差があるため僅かに見上げる形の來奈は、口元を緩めて小さく微笑む。


「やっぱり優しいですね、貴女は」


「優しいんじゃない、逆だよ。真実から逃げないと、覚悟を決めて此処に来た來奈の脚を止めようとしてる。それも……私の我儘で」


「詩音、本当は解っているのでしょう? この戦いは一人でどうにかなるものじゃない。二人居ても戦況は五分(ごぶ)にすらならないんです」


「……解ってる」


「だったらこのまま一人で行かせるとでも? 私は貴女と離れるのが怖い、昨日そう言いましたよね? 一人で行けば間違い無く死にます。私は親友を、詩音を……失いたくないんです」


 「それに」と続けた來奈は、一歩先に進むと振り返らずに続ける。


「もしも私が吐いてしまったら、もしも私が泣いてしまったら……その時は寄り添って下さい」


 背中越しの表情は読めないが、声には強い芯が通っている。何度も言葉を反芻する詩音は、どうするべきかと思考に(ふけ)った。


「ねえ、詩音。私が苦しい時は助けて下さい、傍に居て下さい。貴女が苦しい時は私が傍に居ますから……ね?」


「來奈……」


「それが親友では? どちらか一方が重荷を背負ってしまえば、それはもう親友とは呼べないと思います」


 目を見開いた詩音は言葉を噛み締める。こんなにも簡単なことが何故解らなかったのかと、自身に対する情けなさを胸の奥底に押し込めた。


「……來奈の言う通りだね。ごめん、変なこと言って。“一人で行く”だなんて、あんたに掛ける言葉を間違えた」


「じゃあ、もう一度チャンスをあげます」


 振り返った來奈が微笑む。視線を合わせて力強く頷いた詩音は、想いを伝える為に薄い唇を開いた。


「此処から先、知りたくなかった過去や辛いことがあると思う。でも大丈夫、あんたの隣には私が居る」


「まあ、及第点ということで」


「判定厳しくない?」


「人に厳しく自分に甘く、なんてどうです?」


「いいね、それ」


 視線をぶつけて微笑み合った二人は、並んで立つと覚悟を決めた表情を見せる。

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