メンヘ來奈
「吉瀬の情報が正しければ、治験の後そのまま海外に運ばれるのが目に見えています」
「それより、あんた身体大丈夫なの? 船に乗り込めば絶対戦闘になるよ」
「私の相手は雑魚でしたから。心配するのなら吉瀬と殺り合った貴女の方です。後からビリビリされても困りますので」
心配しつつもジト目が向く。詩音は肩を回したり飛び跳ねたりと可動域を目いっぱいに見せ付け、何の異常も無いことを得意げに示す。蛇足と言わんばかりに浮かぶドヤ顔が、説得力を更に後押ししていた。
「大丈夫だよ、詩音ちゃんの超天才的なアイデアでビリビリは攻略したから。ちょっとは痺れたけれどね」
「結局喰らってるじゃないですか」
巨大な円形噴水の座す前庭を駆け抜け、巨大な船が碇泊する港へと向かう。進む度に吹き抜ける潮風が身体に纏わり付き、深呼吸を催促するような海の香りが漂っていた。
「ところでさっきの誓約書の話ですが、詩音の話を聞く限りでは謝礼を支払う気など微塵もないのでしょうね」
「そりゃあね。促進剤を接種されたら後は海外で勃発する戦争の兵隊にされるだけ。むしろその見返りで政府が儲かっちゃうし、最悪の人身売買だよ」
「能力を持たない者が接種しても戦力になるのでしょうか?」
顎に手を当てる詩音。二人は視線を合わせると小さく首を傾げ合う。
「それはさすがに私達の方が強いんじゃない? 最も厄介なのは能力者が促進剤を接種することだよ。処刑広場で殺り合った者も、たった一人であそこまで強かったから」
「吉瀬は接種していないのですよね?」
「うん、吉瀬君はしないと思うよ。理由は知らないけれど、人で在ることに拘っているみたいだから」
「人で在ることに……?」
「そ。でも詳しくは解んない。さすがにそこまでは話さなかった」
心を落ち着けるのは揺り返す波の音。灯りがほとんど無い港で、巨大な船だけが煌びやかな光を発している。一際目を惹くのは最も高い位置にあたるマストトップであり、そこには目が眩むほどの光を発する球体状の光源が取り付けられていた。
「近くで見ると、何かチョウチンアンコウみたいな船だねえ」
「あの光っている球体をエスカに例えたのですか?」
「エスカって?」
「光っている提灯の名前ですよ。知らずにそんな例えをしたのですか?」
「やっば。來奈姫、割と賢い」
船舷からは梯子に近い金属製タラップが降りており、数え切れない人が順番に乗船してゆく。既に麻薬に侵されていると錯覚するほどに、我先にと押し合いが生じていた。
「ねえ、來奈」
そんな様子を静かに見据えていた詩音が立ち止まる。足を止めて振り返った來奈は「どうしたのです?」と静かに目を合わせた。
「瑠依も言っていたけれど、この国にとっての正義は間違いなく政府であり、不協和音や反乱因子と呼ばれる存在は私達の方なの」
「何を今更。貴女が私に、最初にそう言っていたじゃないですか。正義の味方やヒーローでも何でもないし、寧ろ犯罪者やテロリスト寄りに位置する者だと。その言葉をはっきりと憶えていますよ」
「……うん。でもよく考えるとさ、この計画を阻止しなければ国は潤い、より多くの人が救われる。言い換えれば、少ない犠牲で多くの者が生きられる」
「何を言い出すかと思えばそんなことですか」
「なんてね。少し葛藤する詩音ちゃんを演じてみただけ。犠牲の上に成り立つ正義なんて正義とは呼ばない。帝例特区の者が死ぬのならまだしも、関係の無い人が巻き込まれるのは見ていられない」
「貴女こそ肝に銘じておいて下さい。時に優しさは命取りになりますよ。私達は私達の為に戦えばいい。ただでさえ最初から不利なんですから」
「まあ……そう簡単には死ねないよね。あんたとデートする約束だから」
「そういうことを言っている訳じゃなくてですね……」
俯き、ほんのりと紅潮する頬。「解ってるよ」と優しく囁いた詩音は金属製のタラップを登って行く。船内で疎らに行き交う人々がゾンビのような低い唸り声を発しており、その誰しもが謝礼に目を眩ませているのか虚ろな瞳を晒していた。
「お金ってそんなにも大切なのかな? 大金をチラつかせられたら、死んでしまうリスクでさえ平気で冒してしまうのかな」
「よく言うじゃないですか。世の中、愛か金かと」
待ってましたと言わんばかりに「ああ、その話題ね」と歴戦の猛者さながらの雰囲気を醸す詩音。そのまま人差し指を立てると得意げに口を開く。
「そりゃあ、愛だよ」
「え?」
「え?」
「お金ですね」
「お金なの?」
「お金ですね」
「本当にお金?」
「お金ですね」
どちらからともなく顔を見合せる二人。信じられないと言わんばかりの表情が互いに浮かぶ。縄張り争いをする獣のように絶対に負けられない二人は、視線間でバチバチと火花を散らした。
「あのさあ、お金で愛は買えないよ? もう少し現実見たら?」
「それ本気で言ってます? お金さえあれば何でも買えますよ。自分好みの格好良い人を見付けたら、お金をチラつかせて付き合ってもらえばいいのです」
人差し指と親指でコインの形を作った來奈は、心底悪そうな顔で口角を吊り上げた。大口を開けて歪ませた詩音があからさまな呆れ顔を見せる。
「あんたメンヘラ? 可愛い顔してえげつないこと言うね。付き合ってもらう為に金銭が発生している時点で、それは愛とは呼ばないの。お互いに好きだからお付き合いしたい、それが愛だよ」
「なら、愛だけで生きていけるとでも?」
「当然じゃん。愛があれば争いは起こらない。結婚するならそういう人が良いな」
「貴女こそ現実を見るべきかと。容姿がとても綺麗なのは認めますが、服もその辺で脱いだままですし、自分の部屋も片付けられない人が結婚なんて出来るとでも?」
「あらら。來奈姫もしかして妬いてるの? うちの娘はやらん、的な?」
「むしろ早々に持って行って貰いたいですね」
舌戦と共に甲板へと上がった二人は、意地を張り合い顔を逆方向に背ける。鉄板の敷き詰められた床は、船の豪華さとは裏腹にところどころ錆びており剥がれかけている箇所も見受けられた。潮風が直に身体を撫でて通り過ぎては残り香を置いてゆく。風と同じく緩やかな人の流れの中に、來奈が声を掛けた少女が混ざっていた。短い声を発した來奈が駆け出し「待って下さい!!」と声を張り上げる。気付いた少女は心底面倒臭そうにため息をついた。
「どうしてあんたが此処に居る? 治験の条件、教えたはずだけど」
「治験の真実、持って来ました」
「真実……?」
手入れの行き届いていない枝毛の多い髪が靡く。ふわりと宙を泳いだ金色の髪が、暗闇の中やけに鮮明に映えた。
「貴女が望んでいた謝礼など支払われませんよ。それに接種される薬は促進剤と呼ばれる違法麻薬です。力を手にする代わりに、左目の視力を失うそうです。レイスの上層部から聞いた話なので間違いはありません」
鼻筋の通った中性的な顔が明白に歪み、思考を巡らせているのか視線が僅かに泳いだ。周囲を見渡した彼女は、辺りの者達が盲目的になり過ぎていることを察して息を飲む。
「仮にそれが本当だとして、あたしに教えてどうなる? あんた等テロリストには何のメリットも無い」
「政府の思い通りに事を進めない、それだけで大きなメリットとなります。政府を叩き潰すのが私の目的ですから。この治験は身寄りが無いことと、帝例特区に住まう者以外であることが条件でしたね? つまり貴女に政府の息は掛かっていない。見殺しには出来ません」
「だったらあたしに言う前に、すれ違ったひと全員に声を掛けるべきだった。あんた胡散臭いんだよ。あたしと同じヤク中の臭いがするし」
僅かに膨れた來奈は続ける。
「私をどう思おうが貴女の自由です。ですが貴女がさっき言った通り、私は反政府を掲げるテロリストです。そんな私が講釈を垂れて誰が信じるのです?」
自身の立場を改めて示す為、襟元のバッジが指差された。身に付けられた獅子を象った白銀のバッジ。誇りを引き裂くように刻まれた十字傷が政府への敵意を語る。
「話を続けます。促進剤を接種すれば人の限界を超えた力を発揮します。少し前までの促進剤は人を化け物へと変える凶悪な薬でした。改良はされたそうですが、薬に絶対はありませんから」
「その副作用が左目の失明という訳か」
「……はい。更に言うと、促進剤を接種した者を海外へと売り飛ばし、勃発している戦争の兵隊とする。それがこの治験の目的です。謝礼どころか儲かるのは政府のみ。言い方は悪いかもしれませんが、貴女達は人身売買のモルモットに自ら志願したという訳です」
全てを察した少女が声を上げて嗤う。彼女は來奈を信用したのか、船を視界に収めて「馬鹿馬鹿しい話だ」と悪態をつき、瞳の奥に殺意をチラつかせた。




