崇高な理想
「吉瀬さん!! 仲間割れはやめて下さい!!」
二人の元に駆け寄ってきた少年が叫ぶ。赤い瞳が宿すのは懇願の色。名を呼ばれた吉瀬は、バツの悪そうな表情を浮かべると霞の構えを解いた。
「瑠依、違う。この女は反政府を掲げるテロリストだ。今すぐここから逃げろ!!」
「でも吉瀬さんと同じバッジを付けてるよ!!」
瑠依と呼ばれた少年は、詩音の襟元で煌めくバッジを指差す。そこに疑いの念は無く、まだ穢れを知らない純粋な瞳が煌めいていた。
「よく見てみろ!! 政府の誇りを引き裂くように十字傷が刻まれているだろう!!」
この場で誰よりも早く動いたのは詩音。冷酷な表情を浮かべると瑠依の後ろへと周り、首筋に純黒の氷柱を突き付けた。卑劣な人質作戦に「どういうつもりだ」と吐き捨てた吉瀬が怒りを露にする。
「ごめんねえ。吉瀬君の言う通り、お姉さんは悪い人なの。ちゃんとテレビで情報を仕入れておかないと駄目だよ?」
「そんな……」
「死にたくなければ動かないで。私は女子供だろうと平気で人を殺すから、それを肝に銘じておいて」
瑠依の耳元で囁いた詩音は、再び吉瀬へと視線をやる。
「ねえ吉瀬君、どうする? どういう繋がりか知らないけれど、この子の名前を知っているということはそれなりの関係だよね。殺しちゃおっかな? それとも、可愛いからお持ち帰りして無理矢理犯すのも良さそうだねえ。良い声で泣いてくれたりして」
背筋に言い知れぬ寒気を感じた瑠依。恐怖に慄いているのか、小刻みな震えが詩音の身体にまで伝わる。身動き一つ取らない彼は大きく息を吐き出し、勇気を振り絞って乾き切った口を開いた。
「レイスは正義。民を護り、国を導き、平和の為に力を尽くす存在なんだ。大人になって病気が治ったら、僕のことも仲間にすると約束してくれたんだ」
「あは、かっこいい。お姉さん惚れちゃうかも。じゃあさ、あんたはレイスに入ったら何がしたい?」
「僕は……誰も悲しまない平和な世を創りたい」
「素敵だね。でもね? 瑠依。誰も悲しまない平和な世なんて存在しないんだよ? 崇高な理想だけじゃ未来は変えられないの。幸せな人の影には、それ以上の不幸な人が居る。笑っている人の影には、それ以上の泣いている人が居る……私達のようにね」
声の抑揚が急激に落ちた。過去を思い返した詩音は、口角を血が出るほど強く噛み締める。どれだけ願っても覆らない凄惨な過去が、何度も何度も頭の中を犯した。
「そんな人達も全部救うんだ。“世界を変えたければ仲間と手を取り合え。そして、手を取り合える人で在ることを誇りに思え”吉瀬さんが僕にそう教えてくれたから」
「じゃあ瑠依は、レイスに所属したら私達を救ってくれるの?」
「全ての人を救いたい。なぜ反政府を掲げるのか、貴女達の話が聞きたいです」
氷柱の先端は首筋を向いたままであり、場は未だ緊迫状態が続いている。身体が強ばっているのか、瑠依が唾を飲み込んだ際の音がやけに大きく響いた。
「話も何もレイスの連中は簡単に人を殺──」
「やめろ四咲」
強い語気で遮られた言の葉。声を被せた吉瀬は悲しみを孕んだ顔をする。既に戦意は喪失しているのか、身体中を迸っていた蒼白い電流は嘘のように消失していた。
「レイスは正義なんでしょ? だったら嘘をつくなんてご法度だよ。現実を知ってなお、瑠依はレイスに所属したいって言うかな? 言う訳ないよねえ?」
「瑠依を離せ。貴様の要求を呑む」
「私はここで決着をつけたいんだけど。吉瀬君さあ、そろそろ目障りなんだよね」
「場が悪い、関係の無い者を巻き込むな。ましてや子供だぞ」
「はあ? 笑わせないでよ。関係の無い者を巻き込んで、死に至る人体実験をしているのはどこの組織?」
答えられないと言わんばかりに目を逸らした吉瀬が、悟られないよう視線だけで周囲を見渡す。だが突破口など存在するはずもなく、全てを諦めたように数歩後ずさった。
「もういい。私からの要求は二つ。一つ目、來奈を返して」
「その必要はない」
顎を使い視線を誘導した吉瀬。そこには悠々と歩み戻って来る來奈の姿があり、彼女が戦闘を制したことが伺えた。眼前から注意を逸らさずに状況を確認した詩音は、來奈の無事に内心胸を撫で下ろしながら二つ目の要求を口にする。
「じゃあ二つ目。この子に手を出さないと約束するから、武器を捨てて全員撤退して」
目を細めた吉瀬が瞬間的な思考に耽る。詩音が約束を守るという確証は無いと、固くなった表情には疑念の色が浮かんでいた。
「どうするの? 従わないなら今ここで瑠依を殺す。原型が解らないくらいに抉ってからね。処刑広場じゃ敗けたけれど……今度はあんた等が降伏する番だよ」
「……いいだろう」
要求通り刀が投げ捨てられる。次いで吉瀬は、三台の車に手を上げて合図を出し、自身もその内の一台に乗り込んだ。排気音を撒き散らしながら去り行く車。入れ違いで戻って来た來奈は、状況を説明しろと言わんばかりに二人を交互に見据えた。
「あ、えっと……」
先ずは瑠依が解放される。「怖い思いをさせてごめんね」と謝罪の後、詩音は今し方の出来事を身振り手振り説明した。第三研究棟で行われた人体実験と、來奈に関する情報だけを除いて。
「そうですか、吉瀬を上手く撤退させたようですね。無事で良かったです」
頷いた詩音は「來奈も無事で良かった」と微笑みながら瑠依の頭を優しく撫でる。手の流れに逆らわない柔らかい髪が、さらさらと指の間を抜けた。
「本当にごめんね。怖い思いをさせたね」
「……どうして殺さないの?」
「敵意の無い子供にはさすがに手を出せないよ。でもそっちの小さいお姉さんは怖いから気を付けてね。何をされるか解らないから」
肩を落とし「はいはい」と面倒臭そうにする來奈を横目に、詩音は真っ直ぐに瑠依を見つめる。数秒間視線を釘付けにした後、何かに気付いたのか低く唸って見せた。
「ねえ瑠依。私達、何処かで会ったことある?」
「え……?」
間の抜けた声。不思議を絵に書いたような表情が浮かべられるも、詩音の曇った思考は未だに晴れない。右に左にと執拗く首を傾げる彼女は、顎に手を添えて切れ長の目を最大限に稼働させた。
「何か見たことある気がするんだよね」
「詩音のことですから、ただの勘違いでしょう」
「酷い。絶対違うもん」
「なら何処で会ったのです?」
「それは……」
「ほら、答えられない」
膨れた詩音は來奈の頬を抓ろうと腕を伸ばすも、一瞬で手の甲が叩き落とされた。二人が小競り合いをする中、突如として激しく咳き込んで地に膝をついた瑠依。そのまま浅い呼吸を繰り返した後、胸を押さえて苦しみ始めた。
「瑠依……!?」
額に滲む脂汗がただ事ではないと物語る。瑠依を無理矢理に背負った詩音は「來奈、先導して!!」と声を張り上げ、意図を察した來奈は眼前の帝例総合病院へと駆けた。




