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相反する白と黒  作者: 葵(あおい)
激動の帝例特区
24/56

促進剤の副作用

「と、いう訳です」


 車に戻った來奈により全ての事情が説明される。叩き起こされたのか、微睡みながらハンドルを握る詩音は「ふーん」と適当な相槌を打った。


「來奈姫、超有能じゃない?」


 お褒めの言葉は飛び出したものの、夢に未練でもあるのか視線は虚空を泳いでいる。上の空とはまさにこのことで、察した來奈が小さくため息をついた。


「そうですね、來奈姫は超有能です。ところで、今私は好きな食べ物を言いましたが聞いてました?」


「焼きそば」


 返答と同時に伸びる手は詩音の頬へ。強く抓られ目をバツにした彼女は、夢より意識を回帰させると泣きべそをかいた。


「いい加減、頬っぺ千切れちゃうよ」


「泣かないで下さい、貴女が悪いんですよ。人を使っておいて自分だけ寝るなんて」


「仕方ないじゃん。私サングラス似合わないんだから」


「……まだ根に持ってたんですか」


 面倒臭そうに肩を落とした來奈は、場を仕切り直すと「どうします?」と判断を仰いだ。車内には思考を急かすようにアイドリング音が響いており、小さく唸った詩音が横目で來奈を流し見る。


「何ですか、もう」


「行きたいんでしょ? さっきの子が気になるって顔に書いてあるよ」


「べ、別にそんなんじゃありません。政府の悪巧みを暴けるかもしれませんし、鉢合わせになれば皆殺しにするだけですから」


「もう、來奈姫ったら優しいんだから。でもね……時に優しさは命取りになるよ」


「……解ってます」


 ハンドルを握り直しながら「じゃあ決まりだね」と詩音。周囲を歩く者達と同じ方向へと向かった車は、僅か十分足らずで帝例総合病院へと至った。そこは、帝例特区の最西端にあたる海に面した港湾都市。港には一隻の巨大な船が碇泊(ていはく)しており、緩やかな波に揉まれて上下に揺り返していた。


「大きいねえ」


 少し離れた位置から帝例総合病院を見上げる詩音。首の可動域を目一杯使い、それでもなお視界に収まり切らないほどの堅牢な建物が(そび)えていた。中央に巨大な円形噴水の座す前庭に、珍しい植物で構築された緑の螺旋が彩りを添える。その中で一際存在感を放つ巨大な建物が帝例総合病院であり、政府の要人を護る為か防弾仕様の窓が規則的に羅列していた。


「総合病院を(うた)うくらいですからね」


「ほんっと人多いね」


 夜闇の中で淡く目立っているのは、閉められたカーテン越しに透ける光。人が窓際を通る際のシルエットが至る部屋で見受けられた。ほどなくして、歩道を歩いていた集団が二人へと追い付く。政府の城に興味など示さず正面入口に辿り着いた者達は、吸い込まれるようにして内部へと消え入った。


「身寄りの無い人……こんなにも居るんですね」


 顔が割れている為、隣接した駐車場に停めた車の影に隠れる二人。ぼうっとした表情で人の流れを眺めていた詩音は、解せないと言わんばかりに唸り声を発した。


「ねえ、來奈。治験ってさ……」


「恐らく考えていることは同じかと。身寄りが無い人を集めている時点で殺す気満々でしょう」


「ここで大暴れして混乱を起こせば、中には助かる人も居るかもね」


「条件の一つにありましたが、治験を受けられるのは帝例特区に住まわない者達ですからね。助ける価値はありますが、助ける暇はありません」


「さっきの子、助けたいくせに。ちょっと妬いちゃうかも」


「だから違うと言ったでしょう。まあ……情報代として、目の前で死にかけていれば一度くらいは手を差し伸べてあげてもいいですが」


 フードから垂れる紐を指に巻き付けた來奈は手遊びを始める。先ほどの少女を思い出しているのか、視線はあちらこちらと忙しなく動いていた。落ち着きの無い視線が周囲を何往復もした頃、何かを見付けた來奈が静かに息を飲む。


「やはりここも黒のようですね」


「あらら、本当だねえ」


 排気音を轟かせながら敷地内に入り込んだ四台の軍用車。現れたレイスの連中が正面入口を警護するように陣形を組み、執拗に周囲を警戒し始める。全員武装をしており、只事でないことは明白だった。


「大麻の葉は焼いたから促進剤の流通はいずれ収まると思うけれど、それでもまだこんな下衆(げす)いことが行われているとはね」


「……目的が解りません」


「少し寄り道になるけれど、直接聞くのが早いでしょ」


 飛び出した詩音を追うように生温い潮風が吹き、ジメジメとした嫌な感触が肌に纒わり付く。「まさかの正面からですか」と呆れた來奈は即座に別ルートで援護に回った。


「やっほー、四咲 詩音でーす!!」


 茂みをぶち抜き飛び出した詩音は手当り次第に牙を剥く。ブーツの仕込み刃は一撃で柔肌を抉り、首を刎ね、次から次へと命を削り取った。だが、詩音の登場に場は(どよ)めくどころか空気一つ変わらない。落ち着き払ったレイスの連中は各々に臨戦態勢を取っていた。


「その自己紹介やめたらどうです?」


 挟み撃ちの要領で茂みから飛び出した來奈。詩音が討ち漏らすであろう者達が的確に仕留められ、戦況は圧倒的優勢へと傾く。瞬く間に制圧した二人は凛と立つも、夜を切り裂くようなエンジン音が場を掻き乱す。駆動したのは四台の内の一台であり、來奈に向かって猛スピードで突っ込んだ車が明白な殺意をチラつかせた。


「來奈……!!」


「来ないで詩音ッ!!」


 助けようと身を乗り出した詩音を突き飛ばした來奈。そのまま小さく跳躍してルーフ部分にナイフを突き刺し、鯉幟(こいのぼり)のようにぶら下がる形で車と共に敷地外へと姿を消した。來奈を追う為、自身の車の元へ戻ろうとした詩音は、痺れるような魔力を感じ取り足を止める。残った車は三台。眼前の車から降りて来たのは吉瀬であり、応えるように場の空気が重苦しいものへと裏返った。


「吉瀬君さあ、ほんっと執拗いよね。いい加減うざいんだけど」


「執拗いのは貴様だ四咲。奪われた車の位置情報がこちらに近付いて来るのを見て察したよ」


「何だ、バレてたんだ」


「どういう経緯でここに至った?」


「さあ? どうしてだろうね? 促進剤の臭いに釣られちゃったのかも」


「そうか。ならば貴様も治験に参加させてやろう。ここで四肢は切断してやるがな」


「あらら、自分でゲロっちゃうんだ?」


 冷戦を裂くように緩やかな波の音が響く。流れるような動作で腕を稼働させた吉瀬が刀の柄に手を添えた。取られた明白な臨戦態勢。真正面から挑発に乗る詩音もまた、ブーツの先端でトントンと軽く地面を叩いた。


「来い……四咲」


「いいよ? 吉瀬君。私と(あそ)ぼっか!!」


 先制を仕掛けたのは詩音であり、前傾から地を蹴り一直線に距離を埋める。首狙いで振り上げられた右脚に対し、容易く反応した吉瀬が切り落とそうと刀を薙いだ。だが脚は既に折りたたまれており、刀は皮肉にも虚空を切り裂く。ぶち込まれた初手からのフェイント。壊れた人形さながら、ぴたりと動きを止めた詩音がほくそ笑んだ。


「喜びなよ? 可愛い女の子と密着出来るなんて、あんたは世界一の幸せ者だから」


 そして、瞬時に重心を落とし吉瀬へと肉薄する。そのまま強く押し込んだ詩音は、巨大な円形噴水へ吉瀬もろとも飛び込んだ。二人分の重さを受けて飛び散る水飛沫。舌打ちと共に振り抜かれた刀を、詩音は左脚の刃で軽く往なした。


「可愛い女の子だと? 野蛮な逆賊の間違いだろう」


「逆賊? 義賊って言ってくれると嬉しいな。まあ、どっちも違うけれど」


 幾度となく続く刃同士の反発。短い金属音が何度も弾け、その度に刹那の火花で虚空が彩られる。噴水口より降り注ぐ水が、(またた)く火花を撃ち抜いては掻き消した。


「あれあれ電気ウナギ君? どうしてお得意の電流を使わないのかな? あ、そっかあ……こんな所で使えば自分も巻き添えだし、電気ウナギって自分の電流で感電しちゃうもんねえ」


「……最初からそれが狙いか」


 一際強い反発により距離が生まれる。絶え間なく降り注ぐ水で全身を濡らす双方は、水分で重くなった髪の隙間より覗く瞳をぶつけ合った。


「ねえ、促進剤を開発している目的は? 五年前から開発されていたことも全部聞いたよ」


 何故、内部の人間以外に知り得ない情報を持っているのかと、吉瀬の表情が僅かに揺らぐ。未だ互いに間合い内。指先の動き一つ見逃さまいと、両者は精神を研ぎ澄ませていた。


「……我々は政府だ。この国の平和と繁栄の為に決まっているだろう」


「はあ? 意味解んないんだけど。それで無差別に人を殺すんだ?」


「違うな。殺しているのではない。結果として死ぬだけだ」


「へえ、この期に及んでまさかの屁理屈?」


「ならば逆に()く。全ての人間が幸せな国など存在すると思うのか?」


 提示された問いは紛れもなく正論だった。噴水に浸かってしまった自身の足元へと視線を落とす詩音。反論の余地はなく、喉元で突っかえた言葉が行き場を無くして痛みを発した。


「それは……」


「人の命も、物事と同じで取捨選択が必要ということだ」


「命に優劣をつけないでよ。あんた等にそんな権利は無い。政府や帝例特区の人間が死のうがどうでもいいけれど、関係の無い人まで無差別に殺すのは赦せない。もしかして神様にでもなったつもり?」


「全ては導く為、そして平和の為だ。解るだろう? 多少の犠牲は必要であり、綺麗事では国は治まらん。(しるべ)を無くした国家は破滅への道を辿る。貴様等のような反乱因子を野放しにしていても同義だ」


「多少の犠牲ねえ……だったら、独裁体制を敷くあんた等がその犠牲とやらになりなよ」


 鼻で笑いながら「下らん戯言を」と吐き捨てた吉瀬は続ける。髪の隙間から覗く紅蓮の瞳は、遥か遠い国の未来を見据えているのか微塵も揺らがない。


「促進剤の開発を進める理由、だったな。答えてやる。促進剤を接種した者を、兵器として海外へ派遣する為だ」


「はあ? それって人身売買じゃん」


「接種された者は、人の限界を超えて本来以上の力を発揮する。戦場においては、数百人をたった一人で引き受ける重役も可能だろうな」


「何が言いたいの……?」


「まだ解らないか? 身寄りが無くどうしようもない者に高い値がつくんだよ。買った国は戦争を制し、領土や物資の奪い合いにおける戦況を大きく覆す。対し、この国には膨大な資金が流れ込み国全体が潤う」


「あんた等さあ、いつか身を滅ぼすよ。促進剤を接種した者達に反乱を起こされてしまうかもねえ。潰し合ってくれるのなら、私達は(たの)しく傍観させてもらうけれど」


「残念だったな。そうならない為に、我々も順に接種を行っている。この国を導く為に我々は最も強く()らねばならない。貴様も処刑広場で見ただろう? 左目から血の涙を流す者を」


 未だ記憶に新しい光景を思い出して声を漏らした詩音。たった一人の戦力でありながら、単独では太刀打ち出来なかった事実が思い返される。併せて、嫌な予感が脳裏を駆け巡った。


「それって……」


「ああ、残念ながら完成したよ。一度でも接種すれば半永久的に効果は持続するが、暫くは効果が出ない者も居る。そして、初期の頃から改善されない副作用が一つ……左目の視力を失うことだ」


 來奈と出会って、促進剤により変異した青年と母親の死を見届けてから僅か一日半。詩音は、こんなにも早く事態は進んでしまったのかと嘆く。だが胸中を最も掻き乱したのは、促進剤を接種した者は左目の視力を失うという事実だった。




 ──來奈と初めて会った日、彼女は左目を失明していると言っていた。




 無意識に会話を思い返した詩音は、自身でも驚くほどの嫌な鼓動の高鳴りに遭った。

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