車上の戦い
装飾過多の広大な敷地を突き進んだ詩音と來奈は、尾堂をやり過ごした通路を駆け抜け、別棟へと忍び込んでいた。離れに位置する別棟は本陣より警備が薄く、潜り込んだことが未だに悟られていないのか、追っ手の存在は見受けられなかった。
「珍しく圧されていたけど大丈夫? 抱き締めてあげよっか?」
「結構です」
「あっそ」
鷲掴みにされていた首元に視線が向く。來奈に目立った外傷は無く、錆びた鎖のチョーカーだけがいつも通り鈍い光を発していた。
「レイスの総督……得体の知れない力を使いますね」
「何か急激に身体が重くなったよね? 一定距離を離れたら解放されたから良かったものの……もしかして重力かな?」
「重力操作とはまた違ったベクトルの力だと思います。地面から突き上がった氷柱には速度低下が適応されなかった……まあ、今悩んだところで答えは出ませんが」
帝例政庁別棟。眼前には、先程までとは相反して落ち着き払った空間が広がる。無機質で薄汚れた灰色の天壁。手入れが行き届いていないのか、経年劣化で迸った亀裂などが放置されており、所々剥がれ落ちた壁が砂のように散らばっていた。
「そういえば奪った刀はどうしたんです?」
「初撃でどこかに飛んでった」
「……下手くそ」
「仕方ないじゃん。慣れてないんだもん」
來奈は口を尖らせる詩音を横目に散策を続ける。向かい来るレイスの連中と交戦し、時には不意打ちをし、不自然なほど順調に事は進む。狙いは駐車場であり、別棟を横切るように抜けた二人は以外にも早く目的地へと到達した。
「わあ、政府がいつも偉そうに乗り回しているジープだあ」
「車種のことは解りませんが、車高が高いですね」
「大丈夫だよ。乗る時に足が届かなくても、私が補助してあげるから」
ジープを見て目を輝かせる詩音に「チビだと言いたいのですか?」と冷たさを含んだ視線が向く。身の危険を感じた詩音は即座に謝罪をして事なきを得た。新車のお披露目会さながらずらりと並ぶ同じ車。政府カラーなのか色は黒で統一されており、煌びやかな光沢が目を惹く。
「どれを奪う?」
「どれも一緒です」
「あっそ」
発進寸前だったゾロ目ナンバーの車を襲撃した詩音は運転手を引き摺り降ろす。そのまま取り返したブーツで軽々と仕留め、跳ねるような身のこなしで運転席へと乗り込んだ。詩音は、助手席に來奈が乗ったのを確認すると即座にアクセルを踏み込んだ。
「魔改造ジープはやーい!! 合法暴走車!!」
「全く……子供じゃないんですから。それで何処へ?」
「このまま第三研究棟へ向かいたいね」
政庁の敷地内を抜け、普段の街並みが訪れる。自分達の住む街と何ら変わりは無く、ただ一つ違うのは、帝例特区には政府の息が掛かった者達が住まうということ。日常生活と代わり映えしない街並みに「調子狂うなあ」と詩音が上の空でボヤいた。
「私のナビは期待しないで下さいね、特区内の地理は知りませんから」
「子供の頃に何度か来たことがあるの。前にも言った通り、私の親は第二機構に勤めていたから」
心地の良いエンジンの駆動音が響く。外はいつの間にか暗くなっており、空では分厚い雲が疎らに散らばり始めた。
「詩音、後ろ!!」
ふいに、サイドミラーを確認した來奈が声を上げる。背後から猛スピードで距離を埋める車が一台。「うっそ!?」と仰け反った詩音はアクセルをベタ踏みして速度を跳ね上げる。車体の性能差は無く、直線距離では付かず離れずの距離間が続いた。
「同じ車だし政庁から追って来たっぽいねえ」
「殲滅しますか? 逃げ切りますか?」
「もちろん逃げる。いちいち相手してらんないよ」
大通りの曲がり角で僅かに減速した際、速度を落とすことなく突っ込んで来た車が並走する。政府の面子が懸かっているのか、衝突に対する躊躇いなど微塵も存在しない。
「來奈、伏せて!!」
夜の街中に響き渡るスキール音。助手席の男が詩音目掛けて拳銃を発泡する。割れ砕ける窓。辛うじて躱したものの、飛び散る硝子片が車内に散乱し、車の軌道が予想外に大きく逸れる。何とかハンドルを握り直した詩音は加速と同時に進路を是正した。
「詩音……腕が!!」
運転を継続する詩音の右腕には硝子片が幾つも突き刺さっており、痛々しい赤がショートパンツへと垂れ落ちて染みになっていた。だが詩音は表情一つ変えない。傷口に目もくれず、それどころか前だけを見据えて突破口を探していた。
「こんなもの何ともないよ、貴女が無事ならそれでいい」
「後で手当しますから!!」
尚も並走は続く。耳障りなエンジン音が絶えず響き、二台の車がほぼベタ付けで隣接していた。激烈な速度に振り回されて曖昧になる体幹。詩音と男の視線が交差し、互いの動向を探り合うような冷戦が続く。
「反撃します」
「逃げるからいいよ」
「いえ、奴等は詩音を傷付けた。話は大きく変わってきます」
「私は大丈夫だって。痛くないよ」
首を横に振り「そういう話じゃないんです」と苛立ち交じりに吐き捨てた來奈は、助手席の扉を開けると小柄な身体を駆使してルーフへとよじ登る。靴底に魔力を集めて落ちないように踏み締めた時、並走していた車が更に速度を上げて前へ前へと距離を広げた。瞬く間に広がる車間距離。車は数百メートル先で停止すると、助手席の男が來奈と同じくルーフ部分に上がる。手には魔力で具現させたであろう巨大な鎌が握られており、迎撃態勢を敷いたことが窺えた。
「來奈、聞こえる!?」
運転席側の扉を開けた詩音が声を張り上げる。「どうします?」との返答にアクセルを踏む力が強められた。車内に吹き込む激烈な風。視界を閉ざすように靡く髪を煩わしく思いながらも、詩音は敵から目を逸らさない。
「このまま速度をあげて左側を抜ける。一度右にフェイントをかけるから、振り落とされないよう注意して」
「解りました。すれ違いざまに殺します」
「相手にしなくていいよ」
「追って来られても面倒ですから。詩音を傷付けましたし……」
弱くなった後半部分は、エンジン音に掻き消されて詩音の耳に届かない。急激に埋まる距離。顎を引いた來奈は鋭い目付きで鎌を持つ男を睨み付けた。車が右へとブレる。それは予告通りのフェイント。本命の左に切り返された時、男はルーフ部分から飛び上がり來奈目掛けて鎌を振り下ろした。
「──ッ!!」
詩音が運転する車の上部で競り合う二人。小型ナイフで器用に往なした來奈は苛立ちを露にする。後方へと置き去りにされた車もまた、執拗く追従を再開した。
「随分とめちゃくちゃなことをしますね」
「帝例電鉄を脱線させた奴がどの口で言うんだ?」
「貴方達を一人でも多く殺せるのなら手段なんて選びませんから」
「関係の無い民まで巻き込むな」
「……民? 政府の息が掛かった者は皆殺しです。女子供も関係ありません」
「下衆共が……!!」
水平に薙がれた鎌を屈んで躱した來奈は、地面に突き立てた腕を軸に足払いを見舞う。飛んでやり過ごせば車上から落ちると考え、地の利を活かした選択だった。
「純白の炎を使役するそうだが、ここで使えばお前等二人も無事では済まないだろうな」
落下ギリギリまで下がった男は難なくやり過ごし、身体を大きく曲げて巨大な鎌を振りかぶる。両手に三本ずつナイフを握った來奈は真正面から受け止めようと神経を尖らせた。だが、皮肉にも気付く。視線が別の方角へと向いていることに。振り下ろされた鎌は運転席の上部を突き破り車内へと至る。「わっ!?」と声を上げた詩音は、突如として眼前に突出した三日月形の刃に顔を青ざめさせた。
「來奈助けて!! このままじゃ串刺しになっちゃうよ!! 痛いのやだよ!!」
「塩かタレどうします?」
「それは焼き鳥!! ふざけてないで何とかしてよ!!」
車内から響く震えた声。「惜しかったな、次は当てる」と再び鎌が振り上げられた際、來奈が男の懐へと飛び込み心臓を軽く一突きした。小柄な來奈の最小限の動きは見事に功を奏し、防御どころか反応一つ許さなかった。
「この狭い戦場で馬鹿みたいに大きな得物を振り回して……私に敵う訳がないでしょう」
抜かれたナイフを追うように吹き出した血飛沫。顔面に浴びてなお、心底興味無さげな冷たい表情が浮かぶ。そのまま男の死体を蹴り落とした來奈は後方の車目掛けて腕を突き出した。
「目障りです、消えて下さい」
夜闇の中で、一際艶やかに揺らめく純白の炎。為す術なく突っ込んだ車が皮肉にも美しく燃え盛る。車体に纒わり付く灼熱は全てを蝕み、程なくしてガソリンに引火すると地鳴りを引き起こして大爆発を起こした。爆散した部品が無差別に飛散し、道路や電柱、周囲を歩く人ですらも貫く。飛んできた硝子片を軽やかに躱した來奈は、カーチェイスを制した車が路肩で停車したことを確認すると車内へと戻った。