挟み撃ち
「來奈……!!」
來奈の周囲では絶命するレイスの者達が無操作に投げ出されており、先程までは圧倒的優勢だったことが見て取れる。何故たった一人に覆されたのか、答えの出ない疑問が湧いては消えてを繰り返した。
「来ないで下さい……逃げ……て……詩音……!!」
懇願するように吐き出された言葉が弱々しい抑揚をする。恐らく尾堂から武器を取り返そうと試みたのだろう。足元には五本のナイフとショートブーツが、まるで持ち主を求めるように悲しげに転がっていた。
「その汚い手を離しなよ……尾堂!!」
真正面からの対峙。同時に放たれた鋭利な氷柱が尾堂へと牙を剥く。だが不可解なことに、突き刺さる寸前で氷柱の動きがコマ送りの如く鈍い軌道を描いた。まるで低速再生。氷柱を鷲掴みにした尾堂はお返しと言わんばかりに投擲する。
「え……?」
刹那の事象だった。詩音が投げ返されたと認識した際、既に頬が裂け、白い肌を一筋の血が伝う。肩口を撃ち抜くように通過した氷柱は、背後の壁に当たると派手な音を立てて砕け割れた。
「やあ、四咲君。お初に御目に掛かる。君の話は常々聞いているよ。政府に反逆する者が居るとね」
「だから何? 來奈を離せって言ってんの!!」
身体を前に捻じ入れて繰り出された回し蹴り。だがそれすらも低速再生さながら本来の力を発揮しない。尾堂は詩音の脛を押して下方へと流し、片手で軽々と往なしてみせた。
「女の子の生脚に気安く触れないでよ、おじさん?」
「私をおじさん扱いとは本当に面白い子だ。どうだ? 我々の仲間に入らないかい?」
「レイスに入るくらいなら自害した方がマシだねえ!!」
手のひらを大きく開き地面を叩き付ける。冷たい魔力を帯びた無機質な床は凍り付き、尾堂の足元より鋭利な氷柱が複数本突き上がった。先程までとは違い不可解な速度低下は起こらず、來奈から手を離した尾堂は後方へと小さく跳ぶ。首を締められていたことにより大きく咳き込む來奈。即座に武器を回収した詩音は、來奈ごと抱きかかえると大きく距離を取った。
「すみません……油断しました」
伸びてしまった胸元を正した來奈が詩音の隣で凛と立つ。視線は尾堂を見据えたままで、次なる行動をいち早く察知しようと神経が研ぎ澄まされた。
「気にしないで、無事ならそれでいいの。それよりも、このおじさん尾堂っていうんだけれどレイスの総督らしいよ?」
「総督……?」
「そ。レイスを率いる長。さっき向こうで聞いたから間違いない」
「そうでしたか。やけに強いのも頷ける」
ナイフを拾い上げた來奈は手に馴染む感覚に安堵し手中で軽快に捌く。六本揃った得物。感化されるように増した殺意が瞳を通じて溢れ出た。
「君達の目的を訊こうか。返答次第では此処を通してもいい」
尾堂を警戒しながらブーツを履いた詩音は裸足から解放されて胸を撫で下ろす。トントンと靴先で地面を叩いて馴染ませた彼女は、反撃に備えて体勢を低く落とした。
「別にいいよ。あんたを殺して勝手に通るから」
「それはあまり関心しない。状況を見て発言をした方がいい」
身を迸るような魔力に気付き振り返った來奈は目を見開く。背後では、挟み撃ちの要領で道を塞ぐ吉瀬が既に臨戦態勢をとっていた。紅蓮の瞳が言い知れぬ圧を放ち、退路など無いことを物語る。
「吉瀬君さあ、ほんっと執拗いよね。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」
「事ある毎に我々に牙を剥いていたのは貴様の方だろう四咲。余計な仕事を増やすな、目障りだ」
吉瀬が魔力を練り上げ、蒼白い電流が周囲で瞬く。意外にもそれを制したのは尾堂だった。「さあ、目的を訊こうか」と再度の問い掛け。口角を吊り上げた詩音は來奈の腰に手を回すと無理矢理に地を蹴る。
「第三研究棟に用事があるの。あんた等政府が隠蔽した五年前の真実を知る為にね!!」
尾堂の横をすり抜けながら攻撃を試みる詩音。だが、先程と同じく不可解な速度低下が起こる。コマ送りになる景色の中、尾堂は流れるような動作で刀を抜いて振り下ろした。
「ほう……面白い」
刀が捕らえたのは詩音ではなく、攻撃を遮るように具現化した純黒の氷塊。触れた刀身が瞬く間に凍結し、それは柄部分へと至り、更には腕をも侵食する。即座に刀を投げ捨てた尾堂は氷を叩き割ると、低速のまま横を通過した詩音達の背を見据えた。その距離僅か二メートル。しかし状況は大きく変わる。尾堂から一定の距離を確保した彼女達は本来の速さを取り戻し、一目散に通路を駆けてゆく。敵前逃亡真っ只中、完全なる逃げの一手だった。
「総督、ここは私が追います」
「放っておけ」
追撃を制止された吉瀬は「やはり故意的に逃がしましたね」と苛立ちを見せる。静かに納められた刀。頭部分に乗せられた手が感情を代弁して僅かに震えていた。
「第三研究棟へ行くそうだね。何処で情報を得たのかは知らないが、自分の目で真実を確かめてもらうのが早い」
「貴方は本当に性格が悪い」
「四咲君が望んだことだろう。もしも真実を知った上で第三研究棟を生きて出られたのなら、必ず私の元に帰って来るだろう」
含み笑いをしながら踵を返した尾堂が、顎髭を触りながら満足気な顔をする。その半歩後ろに付き従う吉瀬が捲し立てた。
「帝例特区に切り離された車両が突っ込み、街は大騒ぎです。部隊を向かわせ対応に当たっていますが、特区内にテロリストが居るとなれば民も不安になることでしょう。先程の大規模な脱線も奴等の仕業です。四咲はともかく、黒瀬においては危険過ぎる。早急に処理するべきかと」
「あの程度の餓鬼共、驚異にすらならないよ。ところで天笠はどうした?」
「帝例電鉄最後尾の車両で四咲と交戦。拘束された挙句、車両ごと切り離されて街へと突っ込んだそうです」
「あの街中の大爆発か。全く……真面目にやれと伝えておけ」
額に手を当てて首を振る尾堂。日頃から彼女には手を妬いているのか、小さな溜め息まで添えられた。
「四咲達を追うそうですが止めますか?」
「好きにさせておけ。どうせ彼女は誰の言うことも聞かん。それより計画は進んでいるのか?」
「はい、今夜が決行です。私もこれから向かいます。それに、船には六が居ますのでご安心を」
「随時報告しろ」
「……御意」
振り返った吉瀬は、詩音達が走り去った方角を静かに見据える。政府に牙を剥く氾濫因子の存在が、彼の中で次第に存在感を増してゆく。目を背けるように戻された視線が、言い知れぬ感情を孕んで揺らめいていた。