屈辱の降伏
茫洋な空間を晒す処刑広場。電鉄に轢き殺された者も多く、灰色の地面には引き摺られたように赤黒い血液が付着している。千切れた四肢の散乱や血の臭いが、突如として訪れた非日常を物語っていた。だが全滅には至っていない。斑に生き残るレイスの連中。襟元に身に付けられた白銀のバッジが、燃え盛る炎を反射して赤々と煌めいていた。
「こんにちは、四咲 詩音でーす」
十字傷の刻まれたバッジをひけらかしながらの挑発。集まり始めた者達に先制を仕掛けたのは以外にも詩音だった。圧倒的に不利な戦闘。囲まれれば終わると理解しており、陣形を組まれる前に身を捻じ入れる。そんな様子を落ち着いて見据えていた來奈は周囲を見渡し目を見開く。横転した電鉄の上より、詩音目掛けて銃を構える男が居た。
「二時の方向上!! 狙われています!!」
端的に伝えたことが功を奏し、放たれた銃弾は空を切る。即座に五本のナイフを抜き放った來奈が、華麗な身のこなしで男の喉元を掻っ切った。
「あまり前へ出ないように!! 敵の戦力は未知数です!!」
最前線で暴れる詩音は集まり始めた者達と攻防を繰り広げており、今のところ圧されるような要素は無い。そんな暴れ馬を横目に的確に援護に回る來奈は、電車内と違い開けた景色の中、存分に能力を使役して襲い来る者達の数を減らす。
「此処を切り抜けなきゃ本来の目的は果たせない」
眼前の敵の首を刎ねた詩音が來奈の元へと駆ける。背を合わせた二人は神経を尖らせながらも、肌に伝わる安心感に口元を緩めた。
「電鉄が思ったよりも多く轢き殺してくれたみたいですね」
「でも此処は、レイスの本拠地である帝例政庁の真ん前。油断したら一瞬で喰われるよ」
「珍しく真剣ですね」
「珍しく、は余計かな?」
足元には電鉄の衝撃で捲れ上がった地面の残骸が散乱する。これまでに反政府を掲げる多くの者が見せしめで殺められた処刑広場では、肌に纒わり付くような形容し難い怨念が漂っていた。
「長引けば援軍が来る」
「解っています」
背で反発した二人は、それぞれに能力を使役して空間内を暴れ回る。純白の炎と純黒の氷は決して混じり合わず、互いの主張を喰らい合うように蔓延した。戦況は明らかに優勢。二人の少女による一方的な蹂躙が行われた。そんな中、一人の者に視線が向く。他の連中とは違い、肌を削り取るような魔力を練り上げる男が居た。
「何か強そうなのが出てきたねえ」
男の左目からは血の涙が滴っており、細い線が頬を伝って地へと堕ちた。軽い前傾姿勢が取られたと思えば姿が消失する。次いで、不自然に空気が揺れた。
「──ッ!!」
何かを察した詩音が前方に左脚を振り上げる。刹那、金属同士の衝突音が木霊した。振り下ろされた刀とブーツから突出した刃が競り合う。
「……重っも」
食い縛られた歯が衝撃の重さを物語る。脳裏にまで伝った衝撃が身体の芯を揺さぶるも、対する男は涼し気な表情で更に力を込めた。
「餓鬼共の快進撃もここまでだな」
容易く押し切られた詩音は跳ねるように地面に身体を打ち付けた。一連の流れを見ていた來奈はナイフを三本挟んだ右手を振り下ろすも、超反応を見せた男が軽々と塞き止める。
「少しは強いみたいですね」
反発した衝撃で右半身を大きく引き、その際の捻りで体重を乗せた左手を突き出す。だが攻撃は通らない。まるで予想通りと言わんばかりに來奈の口元が歪んだ。
「いいんですか? 私にばかり気を取られていて」
刹那、背後より迫る体勢を立て直した詩音。純黒の魔力を纏った刃が男の胴体を深く抉る。激痛に後退する男。その隙を逃さまいと、來奈のナイフが首を刎ねた。
「お尻は大丈夫ですか? 吹き飛ばされていましたが」
「二回目だからちょっと擦り剥いたかも」
「心配して損しました」
鮮血を撒き散らしながら倒れた男。警戒を解かずに周囲へと視線を向けた二人は同時に驚愕を示す。既に集まり始めた者達が包囲しており、その誰しもが左目から血の涙を滴らせていた。
「あの血の涙、何かの力かな?」
「確かに歪な魔力を感じますね。今殺した男と同じ強さを持つ者がこれだけ居れば、さすがに骨が折れますよ」
「さすが帝例政庁。でも……殺るしか無いよ」
覚悟を決めた詩音は、何かに気付き來奈を抱きかかえて地を蹴る。ほぼ同時に二人の居た位置を穿った蒼白い閃光。電流の迸る音が幾つも重なって、稲光に似た短い光が何度も瞬いた。
「──ッ!!」
僅かに肌を掠め表情を歪める詩音。即座に身体の自由が効かなくなり、不可効力で抱えていた來奈が放り出された。
「四咲さん!?」
「ごめん……ヘマしちゃった」
「すみません、私が気付かなかったばかりに」
小さく痙攣する身体が自由を奪われた事実を代弁する。この電流はどこかで見たことがあると思考した來奈は、閃光の飛来した方角を睨み付けた。来訪する一人の男。整えられた真黒の髪より覗く紅蓮の瞳。見覚えのある姿を目の当たりにし、静かに目が細められた。
「やはり貴方でしたか、吉瀬」
「天笠からの応援要請など珍しいと思い出て来てみれば……やはり貴様等か」
皮肉にも互いに顔見知り。そして望んでもいない援軍。視線だけを左右に流した來奈は明らかに分が悪いことを悟り顔を顰める。
「随分と派手にやったようだな。数え切れない者を殺し、帝例電鉄を脱線させ、此処に至るまでの街中でも大規模な爆発が起こった。全て貴様等の仕業だろう」
「そうだとしたら?」
「勘違いするなよ黒瀬」
右手を上げて合図を出した吉瀬に応え、一人の男が詩音の首元に刀を突き付ける。炎を反射して赤く煌めく切っ先には詩音の柔肌。少しでも動けば喉元を掻っ捌かれることなど想像に容易い。
「我々は話をしに来たのではない。場を収めに来たんだ。この状況、余程の馬鹿では無い限り理解出来るはずだが」
「來奈!! 私のことは気にしないで!! 隙を見て逃げて!! あんた一人だけなら何とか逃──」
腹部に深く食い込む靴先。蹴り抜かれ大きく嘔吐いた詩音は、血と胃液の混じった液体を吐き出す。そのまま何度か咳き込むと、虚ろな瞳を虚空へと向けた。
「……四咲さん!!」
食い縛られた歯が怒りを代弁する。この状況下で発散する術は無く、行き場を無くした感情が胸中を掻き乱した。
「お前が従わなければ四咲 詩音は今ここで殺す」
「來……奈……私はいいから……!!」
再び蹴り抜かれた詩音が声にならない唸り声を発して更に吐血する。遠のく意識を繋ぎ止めることは叶わず、來奈の名前を呼びながら静かに気を失った。
「……もう、やめて下さい。お願い……します」
「武器を捨てろ黒瀬。貴様等の巫山戯たお遊びもここまでだ」
抗うことなく手に持ったナイフが投げ捨てられた。五本のナイフがそれぞれに地を叩き、敗北を示す鐘の如く悲しげに響いた。
「降伏……します……」
丸腰のまま膝をついた來奈。この状況を覆すのは不可能だと判断した故の降伏だった。
「武器を回収しろ。四咲の靴もだ。そいつのブーツには刃が仕込んである。そして何か仕掛けが無いか政庁で調べろ」
「四咲と黒瀬の身柄はどうしますか?」
「地下牢にでも閉じ込めておけ。尋問で仲間の存在を吐かせ一網打尽にする。政府に楯突いた報いだ。それと四咲よりも黒瀬に気を付けろ、そいつは何を仕出かすか解らないからな」
的確な指示を出した吉瀬は余裕綽々と場を収め踵を返す。身柄を拘束された二人は処刑広場での戦いに敗北し、政庁地下牢へと投獄されることとなった。