電鉄内攻防戦
時刻は昼前、久方振りの晴れ間に鳥達が唄う。降り注ぐ陽光は穏やかで、戦闘で軋んだ身体を優しく抱擁するように包み込んだ。帝例電鉄への乗車を目的とした二人は、拓けた最寄りの駅へと至っていた。
「通勤時間は外したはずですが、まさかここまで人が多いとは思いませんでしたね」
何処を見ても人ひとヒト。誰しもがそれぞれの目的地に向かって忙しなく歩みを進めている。そんな喧騒の中でありながら、詩音はふわふわと上の空で話を聞いていない。無理矢理に叩き起されたのか、艶やかな黒髪が明後日の方向に跳ねてしまっていた。
「四咲さん、聞いてます?」
「う、うん聞いてたよ?」
「私は今好きな食べ物を言いましたが、何と言ったか答えてもらえますか?」
「焼きそば」
無言で抓られた頬。目をバツにした詩音は涙目になり意識を覚醒させる。反射的に押さえられた頬が僅かに熱を発した。
「酷い。昨日から抓られ過ぎて頬っぺが痛いよ」
「私は乱暴者なので」
「すーぐ手を出すんだから。手が早い女の子はモテないよ?」
「寝癖バッチリの貴女よりはマシでしょう」
「私の方がモテモテだよ。來奈はチビだもん」
むっとした來奈が再び手を出そうとした時、プラットホームを煽るように強い風が吹き抜ける。髪を抑える詩音とスカートを抑える來奈。そんな二人の少女を嘲笑うように、先端を尖らせた帝例電鉄が飛び込んで来た。
「そんなに時間は掛からないはずだから」
車窓から覗く内部には人が疎らに居るものの満員とはほど遠い。一般人に紛れて一番後ろの車両に乗り込んだ二人は壁際を向いて僅かに顔を伏せた。
「帝例特区へ直通ということは政府の息が掛かった者達しか居ない。用心してね」
「暴れます? 皆殺しでもいいですよ。政府の息が掛かっているだけで殺す対象になりますから」
「まさか。野蛮なことを言わないで。辿り着く前に死んじゃうよ」
最後尾で眼下に広がる街並みを眺めながら、ひそひそと小声で会話を交わす二人。まるで静止画の連続のように切り替わる外の景色。昨日とは打って変わって快晴で、車窓から差し込む陽の光が温もりを齎していた。皮肉にも心地の良い揺れが続き、正体を悟られないまま順調に進む電鉄。ふいに外の景色が暗闇となり、長いトンネルへと入る。闇に蝕まれた車内で鳴り響いた優しい鈴の音が、理想郷たる帝例特区へと入った報せだった。
「何も見えないね」
「この速度ならすぐに抜けるでしょう」
「どさくさに紛れて触ってもいい?」
「駄目です」
「不慮の事故を装って触るのは?」
「駄目です」
「振動で身体がよろめいたフリをして触──」
「駄目です」
下らない会話を交わしている内にトンネルを抜ける。待っていたと言わんばかりに明るさを取り戻す視界。だが、開けた景色は先程とは正反対の状況を突き付けた。
「これ、どういうこと……?」
「恐らく最初から気付かれていたのかと」
「え、マジ?」
座席に腰掛けていた者達や音楽を聴きながら立っていた者達。その全てが二人への敵意を剥き出しにし、進路を防ぐように立ちはだかっていた。共通しているのは明白な敵意。喉元に突き付けられた殺意が息苦しさを誘発する。ふいに眼前で一人の男が魔力を練り上げ、即座に反応した詩音がショートブーツより刃を突出させ脚を振り上げた。
「結局こうなるんだよねえ」
刃が反射する光により虚空が一瞬煌めいた。あまりの速さに反応すら赦されず首を跳ねられた男。切断部より噴水の如く吹き出す血が周囲を赤く染める。それは至る所に付着し、車内の空気を一変させた。
「全く……どっちが野蛮なんですか」
投擲された一本のナイフが、応援を呼ぼうとしていた男の喉元を的確に貫く。地に落ちる端末。体勢を低くし即座に駆け抜けた來奈は端末を踏み壊し、ナイフを回収すると近くの者を無差別に切り刻んだ。躊躇いの無い殺戮行為に僅かに場がどよめく。混乱を横目に、吊革に捕まり身体を持ち上げながら華麗に回転した詩音が、数人の首を一気に刎ねた。
「ちょっと!! 私まで殺す気ですか!!」
即座に屈んだ來奈の頭上を刃が通過する。コンマ一秒躱すことに成功した來奈は、切り裂かれてはらりと舞った数本の髪の毛を見て顔を青ざめさせた。
「小さいから当たらないよ」
「先に死にます? 髪の毛切れたんですけど」
「……ごめんなさい、前言撤回します」
反撃を試みる者達は二人のペースに飲まれて次々に命を散らしてゆく。窓に飛び散った血液が独りでに垂れて、白昼には不相応な野蛮さを晒した。小さな息遣いの連続。得物が空を切る風切り音と同時に敵の身体が裂ける。優勢かと思われた中、吊革に捕まっていた詩音がぐるぐると目を回し地面へと落ちた。無防備となった懐に蟻の如く群がる者達が一斉に牙を剥いた。
「……四咲さん!?」
即座に援護へと跳んだ來奈が、華麗に詩音を抱きかかえて離脱する。「狭いから手すりに脚をぶつけた」と脛を抑えて涙目になる詩音が適当に放り出された。
「次の車両からも来てますね……キリが無い」
魔力を高めた來奈を、慌てふためいた詩音が制する。掴まれた腕が不服だったのか、來奈の表情が不機嫌そうに歪んだ。
「邪魔しないで下さい!!」
「流石に此処で炎は駄目だって!! 爆発して死んじゃうよ!!」
「だったらどうするんですか!!」
適当に放り出された為に「痛たた……」と立ち上がった詩音は、空気が凍て付くほどの冷たい魔力を練り上げる。急激に下降する温度。辺りには絶対零度の魔力が蔓延り始めた。
「私が何とかするから」
一人の少女がただ散歩しているように余裕綽々と歩む詩音。そんな彼女に攻撃を加えた者達が次々と凍結してゆく。音を立てて凍り付いては音を立てて砕ける。それはまるで死の連鎖。死神が通過した景色と形容しても差し支えはなかった。
「へえ……強いじゃないですか」
車両の中心付近で歩みが止まる。命の凍結を恐れる者達は距離を取り、次の一手を窺う如く神経を尖らせていた。
「良いの? 端に寄っちゃって」
意味深な言葉と共に刃を煌めかせ、華麗な後方宙返りを決めた詩音。瞬間、何かが切り裂かれたような不快な音が響く。それは徐々に激しさを増し、唐突に景色が歪んだ。
「え……?」
困惑する來奈の眼前で車体ごと切り裂かれた車両。真ん中より後方が、激動する景色に押し流されてゆっくりと遠ざかる。制御を失った切り裂かれた側の車両は暴れ狂い、人を奮い落とし、線路と噛み合わないのか小刻みな振動を繰り返していた。
「今の後方宙返りで一周斬ったんですか!?」
「そ。詩音ちゃんキックだよ」
「呑気なこと言ってる場合ですか!! 残党が飛び移って来ますよ!!」
「大丈夫だよ、任せて」
飛び移ろうと試みる者達に向けられた手が冷たい魔力を発する。全てを遮断する純黒の氷壁が車両の切り口を隙間なく塞いだ。切り離された車両は制御を失って脱線し、映画のワンシーンさながら白昼の街並みの中へと突っ込む。けたたましい轟音と悲鳴。そして巻き上がる瓦礫や黒煙が被害の甚大さを物語った。
「めちゃくちゃしますね」
「炎を使われるよりはマシだよ。辿り着く前に二人とも死んじゃうでしょ? 馬鹿かジャンキーでもない限り解るはずだよ」
「後半は聞かなかったことにします」
半分になった車両は静けさに包まれる。残存勢力は皆無であり、二人が最後尾の車両を制した瞬間だった。即座に次の車両に視線を向けた詩音が小さく仰け反り固まる。そこには雲霞の如く押し寄せる新手。「やっば……」と冷や汗を流した詩音は連結部分の扉を凍らせて時間稼ぎをする。
「來奈、上に出よう」
「えっ!?」
地獄でも走り抜けたのかと錯角するほどの車両内。肉塊や首を刎ねられた死体が無造作に転がる。天井にまで飛び散る血液。その赤に紛れた昇降ハッチが指差された。
「ほら、お願いね」
來奈の両脚の隙間に首を入れた詩音は、強制的に肩に座らせて立ち上がる。有無を言わさない肩車。「ちょっと乱暴過ぎでは!?」と吐き捨てた來奈は渋々とハッチを開けて車両上部へと飛び乗った。
「四咲さん手を出して下さい、引き上げます」
「おてて繋ぐの恥ずかしい」
胸の前で両手を抱いた詩音は、まるで恋する乙女のように頬を赤らめる。後ろで手を組んだり髪型を直したりと、あからさまな時間稼ぎが行われた。
「建前はいいんですよ。本音は?」
「……体重バレない?」
「さあ? 引き上げられなかったら察して下さい」
細い指同士が絡み合い手が繋がれる。同時に、凍結した連結部分の扉が凄まじい勢いで破砕した。粉々になった扉の破片が縦横無尽に空間を裂く。即座に手を離した詩音は氷壁で自身を護り抜いた。
「うっそ……最悪……」
現れたのは記憶に新しい過ぎる存在、天笠 日依。繊細な金髪の隙間から覗く隈のある赤い瞳が、周囲の状況を把握せんと微かに泳ぐ。昨日、詩音に抉られた左腕には包帯が巻かれていた。