喧嘩両成敗
テーブルを挟んだソファに向かい合って座る二人は押し寄せる疲労に辟易する。目まぐるしく変わる環境に心が追い付かないのか、唸り声を発しながら二人して項垂れていた。
「色んなことがありましたね。大麻を燼滅出来たのは政府にとって大きな痛手となったでしょう」
「來奈のお陰だよ。炎の中を潜った時は死を覚悟したけれど」
「お互い様ですよ、四咲さんも強かったです。昇降機のケーブルを切った時は気が狂ったのかと思いましたが」
微笑みながらナイフを取り出す來奈。左右の手で三本ずつ慣れた手付きで捌かれる。切れかけの明滅する照明を反射するナイフが各々に違う表情を晒した。
「もしかして、今から私って殺されるの?」
「まさか。殺すなら背後からブスっといってますよ」
「可愛い顔して怖いこと言わないでよ」
胸を撫で下ろす詩音は隣に脱ぎ捨てた外套を置く。「先に畳まないから片付かないんですよ」との指摘に「後でやるから」と駄々がこねられた。
「志木さん凄いですね。こんな表情をするナイフは見たことがない。新品どころか、それを遥かに凌駕する煌めきです」
「すーぐ人を殴るけれど腕は確かだからねえ」
「すーぐ人を煽る四咲さんが悪いんですよ」
「でも最後の拳骨から護ってくれたじゃん」
「泣かれると面倒なので」
「ひっど!! 女の武器は?」
「涙って言うとでも? 女の武器は力です。それも全てを叩き潰すほど圧倒的な、ね」
可笑しくなり口元に手を当てる詩音。倣った來奈もまた含み笑いをした。カーテンの隙間から覗く空は雲を払い、本来の夜が姿を取り戻している。執拗かった雨はいつの間にか上がっており、主導権を取り戻した三日月が煌々と照っていた。
「四咲さん」
ナイフ捌きを続けていた來奈が唐突に動きを止める。銀色の持ち手をする小型ナイフ、その刃先を握った彼女は詩音へと柄部分を差し出した。
「ん? どうしたの?」
反射的に受け取る詩音。見た目よりも軽量な小型ナイフは、持っていることを忘却しそうなほどに軽い。試しに振ってみようかと思考が行われたものの、そういう時はロクなことにならないと解っているのか行動は静止した。
「御守り代わりに一本貸してあげます」
「気持ちは嬉しいけれど、私は見ての通り詩音ちゃんキックの方が得意だから。ナイフの心得なんて無いよ?」
心得は無くとも興味は有るのか、ナイフが様々な角度から眺められる。ナイフに映る自身と目を合わせた詩音は、バレないように鏡代わりにして睫毛の手入れを行った。
「例え心得など無くとも、向かって来る相手の体重を利用して突き刺すだけでいい。そこに力は必要ない。相手が速ければ速いほど、ナイフは殺傷力を増しますから」
「うーん? 難しいね」
「まあ、使う必要はありません。言った通り御守り代わりですから。奇跡的に銃弾を防いでくれるかもしれませんし、防いでくれないかもしれません」
「防いでくれなきゃ死んじゃうよ?」
「その時は私が護ってあげます」
「何それ、こっちの台詞なんだけど。私が來奈を護ってあげる」
つけっ放しのテレビでは未だ昼間の出来事が語られている。二人の存在は世間一般に知られ、言葉の通り四面楚歌となった。街中でも警戒態勢が敷かれているようで、今後の行動に制約が掛かることは明白だった。
「そういえば、お風呂をお借りしてもいいですか?」
「いいよ、一緒に入る?」
「入りません」
「いいじゃん!! ね?」
「……この変態」
首を背けて脱衣場へ向かう來奈の背に、悪戯心を含んだ視線が突き刺さる。にやにやと吊り上がった口角。詩音はナイフをテーブルに置くとソファで膝立ちになった。
「あれあれ? もしかして、私より胸が無いのが恥ずかしいんだ?」
脱衣所へと向かう足が止まる。「今なんて?」と肩越しに鋭い視線が向けられた。
「貧乳來奈姫って言ったんだよ?」
「四咲さんよりはありますが。貴女は私よりも身長が高い割に胸は無い。縦に伸びる為に栄養を使ってしまったのでしょうね。でも嘆く必要は無いですよ? 小さい方が好きな男の人もきっと居ますから。出会えるかどうかは、別として」
一に対する百のカウンター。煽っておきながらムキになった詩音は唇を横一文字に結ぶ。
「あれ? もしかして図星ですか?」
「私の方があるもん」
「じゃあ確かめます? 私は今から入浴しますが、もしも不服なら一緒に来ればいいですよ」
「へえ? 言うね。なら白黒つけようか」
プールに入る子供のように騒ぎながらも二時間ほど入浴が行われ、出て来た二人は互いに表情を曇らせる。結果は言うまでもなく引き分け、まさに喧嘩両成敗となった。
「ま、まあ元気出して行こうよ。別に胸が無いからって結婚出来ない訳じゃないし、それに、それに……」
「声、震えてますよ」
自身のシルエットの薄っぺらさにしくしくと泣き始める詩音。突き付けられた現実。「泣きたいのは私ですよ」と優しく背が摩られた。「せめて一緒に寝よ?」という詩音の提案にベッドに入った二人は、身体を包み込む温もりに安堵する。
「明日……五年前の真実を知れるのかな」
「見付かるといいですね。そもそも帝例特区にはどうやって至るつもりですか? 中に入るには帝例電鉄に乗車しなければならないはずですが」
「もちろん乗るつもりだよ」
「間違いなく戦闘になりますよ」
「向かって来るのなら迎え撃つ。帝例電鉄となればレイスが居る可能性もあるから、それだけは気を付けなきゃいけないけれど」
「むしろ好都合です。私は貴女と同じで復讐の為に生きていますし、一人でも多く殺せるのならこの身がどうなろうと構いませんから」
布団を目元まで被る來奈。僅かに覗く紺色の瞳が詩音を真っ直ぐに捉えていた。対する詩音も真似をして目元だけを露出させる。
「そんな寂しいこと言わないでさ、一緒に生きて帰ろ?」
「何故です?」
「何故ってそりゃあ……亡くなったあんたの義理の親も娘には生きて欲しいだろうし、それに何より、私も來奈と離れたくない」
言うや否や「そうだ!!」と声を弾ませた詩音は続ける。
「帰って来たらデートしない?」
「私の知っているデートは異性とするものですが」
「いいじゃん、固いこと言わないの。ね? 決定」
「ほんと、強引なんですから」
そうは言いつつも声色には優しさが宿る。「解りましたよ」と渋々承諾した來奈は毛布に隠れた口元を緩めた。
「そういえば気になっていたのだけれど、そのチョーカーは大事なものなの? 錆びているのにお風呂の時も外さなかったし」
首元のチョーカーに手を掛けた來奈は何度か揺するように引っ張ってみせる。金具は完璧に錆び付いてしまっており、それでいて切れるような太さでもない。諦めに似たため息が吐き出された。
「どうしても外れないんです。記憶を無くす前は身に付けていなかったのですが」
「十三歳から十四歳の途中までだっけ? 記憶を失っている間に何があったのだろうね」
「解れば苦労しませんよ」
「辛いことがあったのならまだしも、そうでないならいずれ思い出せるといいね」
「……はい」
疲労が何度も揺り返し、瞼が次第に重くなっていく。寝返りを打って背を向けた來奈に抱き付いた詩音は「おやすみなさい」と優しく囁いた。音も無く静かに更けていく夜。決戦前夜が幕を閉じた。




