女は愛嬌
「ここはどこですか?」
大麻が栽培されていた民間企業より車で約一時間。詩音の家へ帰宅すると思い込んでいた來奈は、想像とは違った景色に首を傾げる。眼前には小汚い建物。雨風に晒され風化した建物には蔦が絡み付いており、上部には文字が掠れた看板が掲げられていた。
「読んでみて?」
「えっと……ガンショップ・エポン」
「そ。ちなみにエポンというのはウエポンから取ったらしいよ。ほんと、センス無いよね」
「可愛い……」
「うん?」
「いえ、何でも」
二人を感知してドス黒いスモークガラスの自動ドアが開く。メンテナンスが行われていないのか、歪な駆動音を立てた自動ドアは半開きの状態で止まってしまった。
「うっわ、煙草くさ」
入るや否や顔の前で手をひらひらとさせた詩音。店内は狭く、教室一つ分程度の敷地しかない。外観とは相反して小綺麗に保たれた店内。規則正しく陳列する棚には様々な刃物類が展示されていた。「ガンショップでは?」という疑問を吐き出さずに飲み込んだ來奈は、奥のカウンターで煙草を咥える年配の男を発見する。
「おう、お前か詩音」
低いが良く通る声。無精髭を生やした白髪の男性は、即座に見ていたテレビを消すと二人に向き直った。
「久し振りだね、志木爺」
「ジジイ扱いすんな。で、そっちのちっこいのが黒瀬か」
ちっこいの、という言葉に一瞬むっとした來奈だが悟られないよう表情を是正する。棚に並ぶ刃物類は丁寧にメンテナンスされているようで、そのどれもが切れ味をアピールするように光を反射していた。
「そ。私の嫁。んで、このおじいさんが志木さん」
間を取り持つ詩音に「誰がおじいさんだ糞餓鬼」と野次が飛ぶ。慣れっこなのか気にした様子もない詩音が、來奈に手のひらを向けて紹介して見せた。
「初めまして、黒瀬 來奈です。嫁ではありませんが宜しくお願い致します」
深々と行われた会釈を目の当たりにした志木は目を丸くする。驚いているのか視線が二人の間を何度も往復した。
「お前とは違って礼儀がなっているじゃないか、詩音」
「まあまあ、そう言わないでよ」
「それで? 久し振りに顔を見せたと思えば嫌味でも言いに来たのか? 俺は今忙しいんだ」
「どうせまたギャンブルでしょ。いつも負けているんだから、いい加減やめときなよ」
壁際の椅子に腰掛けた詩音はショートブーツの靴底を軽く弄る。中から湾曲した得物が突出し、三日月を模した刃が店内の薄暗い照明を反射して鈍く煌めいた。
「ねえ、志木爺。刃のメンテナンスをして欲しいの」
刃を取り外した詩音はそのままカウンターへ置く。少し欠けた刃を流し見た志木だが、鋭い眼光はそのまま詩音を射抜くように捉えた。
「……金は?」
「うーん、出世払いで」
「何度目だ? 一度でも払ってから言え」
「どうせギャンブルに使うじゃん。だから出世払いで!!」
「鈍臭い糞餓鬼が出世ねえ……」
志木は顎の無精髭を触りながら、商品の鑑定さながら詩音を査定する。彼からすればどこからどう見ても糞餓鬼であり、金の成る木になど微塵も見えなかった。
「するもん」
「仕事もせずに政府とドンパチやっているだけのお前が、一体どこで出世するんだ?」
「とにかくするの!! 絶対するもん!!」
話を切り上げて口を尖らせた詩音は、來奈のレッグシースより六本のナイフを抜き取り、自身が差し出した刃の隣に並べた。
「これも見てあげて」
状況を理解した來奈が小さく会釈をする。
「……お願いします」
「おう、詩音にツケとくぞ」
これからも出世払いにしてくれと駄々をこねる詩音を横目に、來奈は静かにカウンターへと歩み寄る。並んだ得物を見ていた志木が顔を上げ、煙草の灰を落としながら目を合わせた。
「何だちっこいの」
「女は愛嬌とはよく言いますが、それを踏まえた上で反論するのなら、小さいのも存外悪くないのでは?」
「愛嬌なんて知るか、女は胸で決まるんだ胸で。お前も詩音も断崖絶壁。不合格だな」
カウンターに両手をついた來奈は「考えが古いですよ。まあ、それはともかく」と紡ぎながら身を乗り出す。至近距離で視線が交わり、志木は慌てて咥えていた煙草を灰皿へと置いた。
「一つ教えて下さい。何故、名乗っていないはずの私を知っていたのです?」
「そりゃあお前……」
説明するのが面倒だとでも言わんばかりにテレビがつけられた。つい一時間ほど前、何者かにより襲撃を受けた民間企業。画面内では純白の炎により蝕まれた建物が音を立てて崩れ落ちている。次いで、映像が切り替わる。詩音と來奈が暴れ回る映像だった。天笠 日依との戦闘も繊細に残されており、一通りの映像が流された後、二人の顔写真が大きく映し出された。
「なるほど、大々的に世間の敵とされた訳ですか」
「あらら。大麻の栽培には一切触れず、ただテロリストに襲撃されたという事実無根だけを述べる……さすがやり方が汚いねえ」
「当然でしょう。都合の良い情報だけを垂れ流すのは、政府の息が掛かった報道機関の常套手段なんですから」
「まあね。これで私達も晴れて賞金首。政府に追われる身となった」
「もしかして怖いんですか?」
「怖い? まさか。両親が殺された五年前の事件を秘密裏に追いかけようとしていたけれど、これでもう……コソコソ身を潜める必要は無くなった」
黙って話を聞いていた志木が大きなため息をつく。刃に指の腹を這わせて状態を見ているのか、浮かぶ表情は芳しいものではなかった。
「暴れるのは結構、政府とドンパチやるのも結構。だがな糞餓鬼共、武器はもう少し丁寧に扱え」
「えっ!?」
「初めて見た黒瀬のナイフはともかく、いつもメンテナンスをしてやっているお前の刃が、何故ここまで刃こぼれしているんだ」
「いっぱい戦ったもん」
「昇降機のケーブルも斬ってましたもんね」
志木の額に青筋が浮かぶ。
「馬鹿かお前。まあいい、そこで座って待ってろ」
惰性で返事をしながら壁際の椅子に腰掛ける詩音。倣った來奈が隣に腰を下ろす。少し空いた感覚を埋めるように、來奈が詩音側へと椅子を寄せた。
「志木爺ね、ああ見えて元政府の人間なんだよ」
「……え?」
「レイスのような戦闘部隊ではないけれど、武器の手入れやメンテナンスに長年携わっていたそうでね」
「それが何故、四咲さんが武器を見てもらうような巡り合わせに?」
「歳で政府を抜けてから趣味の武器屋を初めたみたいでね。私が両親を失ったのは五年前だと話をしたでしょ? 十三歳の頃に偶然拾われてね。その頃はまだ子供だったから志木爺が支えてくれたの。命の恩人でもあるんだよ」
「そうでしたか。元政府の人間の前で、反政府思想を掲げるのはいかがかと思いましたので」
「志木爺がそんなこと気にする人に見える?」
カウンターに向けられる視線。先程までの荒い態度とは相反して、武器の手入れを行う眼差しは真剣そのもの。「到底見えませんね」と口角を上げた來奈に「でしょ」と詩音が微笑み返した。