世界は2度死ぬ
心が消えた。
理由は分からないけど、ある日突然消えた。
「嬉しい」「悲しい」「辛い」「幸せ」……何も感じなくなった。
だから私は、少し世界から距離を置こうとした。
そんな日々が私の人生だって、自分で勝手に決めつけて──
・・・
目覚まし時計に起こされるようにして、私は目を覚ます。この時間に起きるのも慣れてきた。
昨晩仕込んでおいた食材を調理し、簡単なお弁当を作りながら、朝ごはんを作る。昔は1時間以上かかっていたけど、今ではだいたい15分くらいで終わる。
朝ごはんを食べ終え、朝の支度を終えて玄関で靴を履いてドアを開けた。
「いってきます」
誰もいない家の中で、私の声が寂しく木霊する。昔はもっと騒がしかったはずなのに、今は廃墟みたいに静まり返っている。
もう一度、「行ってらっしゃい」の声を聞きたい。また軽く言い合いをしながら父と一緒に玄関をくぐりたい。そんな叶わない願いを心に置きながら、私は学校への道を歩く。
「おはよう!今日も早いね」
「おはよう。そういう心こそ」
「私は委員会の仕事があるからね〜。実はこの時間でもギリギリなのである」
「それ、胸張って言うこと?」
「あいや〜、今日も奈華は手厳しい」
10分ほど歩いたところで心と合流した。心とは小学生の頃から一緒に通ってたから、同じ高校に通えると知った時はとても嬉しかった。私の事情を知っているのは、高校内では先生と心だけだから。
「あはは。まぁでも、今もこうやって一緒に通えるのは嬉しいよ」
「む〜……またそうやって誤魔化して」
「本心だよ?」
「なんで疑問符つけるの?!」
そんな他愛のない会話を続けているうちに、学校が見えてきた。
「じゃ、私は委員会の仕事があるから」
「うん。それじゃ、また後で」
「それじゃね〜!」
正門前で心と別れ、私は教室に向かった。時間が時間だから、教室には私しかいない。誰にも邪魔されることなく、誰にも見られることなく物思いにふけられる。その時間が好き。
1歩1歩、ゆっくりと階段を上りながら、学校内の独特な空気を肌で感じる。
「やっぱり、心地いいな〜」
この空気が、私は心地いい。どこにでもあるようなのに、ここにしかないって感じがするから。
そうこうしているうちに、教室に着いた。今日も一番乗り。1歩進む度に軋む床の音がうるさく感じるほど、この場所は静か。
「さてと……」
少し足音を抑えながら、自分の席に座った。机に頬杖をついて、外の景色を眺める。何かを見るわけでもなく、ぼーっと外を眺める。
いつもならこの時間に色んなことを考えるけど、今日はそんな気分じゃない。
「……あれ?」
無心で外を眺めていた時、不自然なものが目に入った。学校関係者の物にしては大きすぎる車。2階からでも分かるほど、周囲を警戒している助手席に座った男。
「!?」
一瞬、目が合った気がした。私は思わず目を逸らしたけど、もしかしたら……
そんな思いを振り払おうと、もう一度外に目を向ける。
「……あっ」
そのことを後悔した時には、もう既に手遅れだった。委員会の仕事で偶然1人になっていた心を、黒服を着た男2人で車に乗せて、そのまま走り去ってしまった。
心が誘拐されたと認識した時、私はどうしようもない絶望感に襲われた。
2人居た男の内1人と、完全に目が合っていたことに気づかないほどに。
・・・
あれから3日間のことは、正直何も覚えてない。「心が消えた」という事実だけが、私の中をずっと渦巻いている。
「……電話?」
誘拐現場を目撃してしまってから3日後、私の家に非通知で電話がかかってきた。
いつもなら無視していたのに、無意識のうちに電話をとっていた。私の心は、自分でも制御出来ない程にボロボロになっていたみたいだ。
「もしもし……」
『お前、箕輪 奈華か?』
「……はい。そうですが……」
知らない男の人の声。悪寒が走った。
『丁度いい。おら。大事な友達だぞ』
男の人の声の後、何かを殴るような音が聞こえた。もう、震えが止まらなかった。
『な…………か……?』
「心!!」
『わ…………たし……ご…………』
「大丈夫なの?!ねぇ心!心!!」
電話越しに聞こえる弱々しい声。我慢できなくなって、私は絶叫に近い叫び声を上げていた。
『話は終わりだ。よし、お前ら──』
私は、その場にへたりこんでしまった。足に力が入らない。受話器を耳から離したくても、話すことは出来なかった。
『やれ』
男の冷酷な声の直後、怒号と悲鳴……殴る音や踏む音、何かが潰れる音が聞こえてきた。
「あ…………あぁ……」
本能は、理解を拒んだ。でも、私の脳は……完全に理解してしまった。心は、今殺されているんだってことを。
『……このことを外部に漏らしたら』
永遠とも思える絶望の音が途絶えた後、男は静かな声で私にトドメを指した。
『次はお前だ』
「……!」
その言葉を最後に、電話は切れた。
体の震えが止まらない。電話が切れた今でも、受話器を元に戻すことが出来ない。声を発そうとしても、音にならない息がひたすら漏れていくだけ。
私はもう、完全に壊れてしまった。
ゴトッ
受話器が地面に落ちる。体の力が抜ける。目の前が真っ暗になっていく。絶望は、簡単に私を蝕み尽くした。
・・・
目の前に映る光景は、あの日の景色。何度も何度も夢に見た、あの悪夢の夜。
私はあの日、偶然生き残ってしまった。その夜のことを誰にも言わないことを条件にして。
それは、私が10歳になってすぐの夜。私の家は強盗殺人事件の被害に遭った。殺されたのは、必死に私を守ろうとしてくれた両親だけ。
何も出来ない私の目の前を、真っ赤に染めていく血。人間のものとは思えない両親の悲鳴。一切の躊躇いもなくナイフを振るう冷徹な男性の目。
「お前は見逃す。ただし、このことを誰にも言うな。言ったら殺す」
という、私を呪った静かな声。
私は、少しづつ冷たくなっていく両親の間で、ただただ、震えて朝を待つことしか出来なかった。
・・・
少しづつ、目を開く。少し短い廊下の先に、見慣れた玄関がある。
「……あの夜も……」
この場所は、あの夜両親が殺された場所。不思議と、ずっとここにいたくなる。
「もう……いいよね」
両親もいなくなった。唯一の支えだった心も殺された。皆、私に見せつけるみたいに。
もしかしたら、また誰かが同じように殺されるかもしれない。それなら、私がこの世界に存在する意味ってあるの?
「ないよね……」
自問自答。でも、それが私の心からの答えだった。
私は、もう一度ゆっくりと目を閉じる。
その場所にあるであろう、両親の温もりを感じられるように。
この世界から逃げ出すように……
また、3人に逢うために──
ただノリと勢いで書いたんです許してください