Scene06: 【回想】土曜の地下鉄にて
昨日――土曜のことである。
仕事を終えた私は、帰宅するため地下鉄に乗り込んだところだった。
帰宅時間帯で混んできていたけれど、空いていた空席を運良く見つけ、腰を下ろして顔を上げる。そして、私の真向かい、対面しているロングシードに腰掛けている若い男と一瞬目が合った。歳は二十代半ばほど。頭の脇を刈り上げたツーブロックの髪を、ソフトリーゼントにしている少しやんちゃそうな印象。
私はすぐに目を逸していた。けど、視界の外れに見えるツーブロくんは、ジャケットに手を突っ込んだままずっとこちらを見続けている。目を凝らしたり、瞬かせたりして、なんだか熱心に。
なんだろうなぁ、やだなぁ、怖いなぁ、なんて稲川淳二風に思っていると、不意に、ツーブロくんが立ち上がり、吊り革につかまる人を縫って迫ってくる。あれ?、ほんとなんだこいつ?、とまじめなって席を離れようとしたところで声をかけられた。
「あのぉ? ナオヤのお姉さんじゃないっすか? そうっすよね?」
「私の愚弟を知ってるんですか?」
「やっぱりそうだ! ナツキさん!」と、愚弟という言葉づかいか、それとも私の声色で断定したのか、ツーブロくんが無邪気に笑う。「俺っすよ。ミツヒサっす!」
「どちら様でしたっけ?」
「えぇ~っ!? ……忘れちゃったんすか? ナオヤと中高一緒で、よく家に遊びに行ってたじゃないっすかぁ」
「ああぁ~!」私は今思い出しましたというフリをして、「声かけられたときに声音とテンプレキャラみたいな喋り方で気づいてたよ」と笑う。愚弟という言葉は、ミツヒサくんのいる前でナオヤを呼ぶときによく用いていたものだった。
「さすがナツキさんっすね。再開早々Sっぷりがパないっす」
再開は5,6年ぶりだろうか。ヘアスタイルが坊主頭からだいぶ進化して無精髭も加わったけれど当時の面影がある。笑ったときに目尻に深くできるシワは変わってなかった。
今何やってるの?、などと社交辞令的会話を交わす中、ミツヒサくんと視線が合わないことが気になりだす。目を見て話す私に対し、彼はずっと顎をなでつけながら私の顔をじろじろ舐め回すようにしているのだ。いやらしいという感じではなく、何かを探しているように。
「私の顔に何か付いてる?」と尋ねてみる。
「あっ、すんませんっす。むしろ付いてないのが気になって。昔、顔にホクロがありませんでしたっけ?」
化粧で消していることを告げると、ミツヒサくんは「ああ、そうっすよねぇ!」と納得。それから、「そのホクロって、――」と続けてきた。消してる時点で本人がホクロを気にしていることを察して自重しろよ、と思うが、「ここと、ここと、ここにあったっすよね?」と、彼は自らの右頬、左頬、額を順に線で結ぶように指差す。それは私にとって忌まわしきしぐさなので、控えめにキレた。
「その動作、次やったら簀巻きにして仙台湾に沈めるからね」
「も、申し訳ないっす! でも、合ってるってことっすよねぇ」と、頭を下げたミツヒサくんが、なにやらぶつぶつ心の声を口から垂れ流しはじめる。「ホクロの位置も一致してるし。ハツキって、やっぱナツキさんのことかぁ? よく考えたら一文字違いだしな」
「一瞬でわかるよね?、一文字違いは」
反射的にツッコんでしまうと、
「あれ? 今の聞こえちゃってました?」
頭を上げ戻したミツヒサくんの表情が、待ってました!、という表情を浮かべている。
なるほど。私に詮索して欲しいようだ。
「ホクロが一致って何? ハツキって誰?」
「怒らないで聞いてくれまっす?」
そこは小さい〝っ〟要らないだろうと思いつつ。
「もったいぶらずに教えなさい、怒らないから」
「ちょっと人の耳をはばかるので、耳打ちでいいっすか?」
「……はいどうぞ」
と、少しイライラしながら片耳を差し出す。
ミツヒサくんが声を弱に絞ってささやいた。
私は地下鉄車内ということも忘れ、大声を上げてしまった。
「近親相姦ンンンンンンンンっ!?」
無数の耳目がどっと向けられ、後にも先にも経験することのないであろう恥ずかしさのあまり、錯乱した私は、とりあえず、まれにみる速力をもってミツヒサくんのみぞおちへ、おもいっきりグーパンをめり込ませた。