3話 継承
父王は、近年体調が優れなかった。特に最近は、病床に伏す時間が増え、ほとんどの政務を官吏に任せていた。
リウスは、父の死が近いことを感じていた。だから最近は、過ぎし日の姿を想う日が増えた。
リウスの父は、堅実な王であった。十日に一度の市を始め、国の発展を促した。また、水路を伸ばし、農地を広くした。山の際にまで農地が達したのは、この時代のことである。
こういった公共事業の労働を支えたのは、兵役にある若者であった。父の時代は、この国の歴史からいえば平和な時代であった。だから、兵は余っていた。余る兵を、うまく労働に割いたといえる。
一方で、父は兵の強さを保つことを怠らなかった。二十日に一度、全ての兵に山岳訓練を課した。この内容は、少年ほどの重さの砂袋と鉄槍を担ぎながら、山岳においてさまざまに布陣するというものであった。
陣の名を叫ぶ兵長の声が響く時、走らない者は、打たれる。だが、日々の生活を穏やかに送ってきた者で、峻険な山を一日中走りつづけられる者は居ない。誰もが初めの一年は、打たれつづけることとなるのが、この山岳訓練であった。
この訓練は、民衆にたいそう不評であった。そして群臣は、その不評を察知していた。王を諫める者もあったが、この点に関して王は断固として譲らなかった。
少年だったリウスは、その姿を恐れてもいたが、強い意志を持って王業を成し遂げるというありかたに、小さくない敬意を抱いていた。
その父王が、今は病床にある。
過去を思っていると、一人の官吏が現れ、静かに言った。
「陛下がお呼びです」
リウスは、懐古の世界からゆっくりと現実に戻り、自室を出て父王の寝室へ向かった。
王の寝室の前でアマデウスと鉢合わせたとき、リウスはこの呼び出しの意図が、遺言を伝えることであり、さらに言えばその内容は王位に関することであると察した。
リウスたちは、王の寝室に入った。そこには、行政長官のファラードが既に居り、厳しい面持ちで立っていた。この男は、二十年来この王に仕えている。入り口から右手の寝台に、絹の布に覆われて身を横たえた王があった。王はしかし、目を見開いていた。王は、三人をそれぞれ見つめてから、言った。
「私は、もうすぐ死ぬ」
王のことばに、リウスは沈黙した。そのとおりだと感じていたからである。しばらくの沈黙の後、アマデウスがかぼそい声で言った。
「気弱なことをおっしゃらないでください。お父様」
「自分のことは自分がよくわかる。そういうものだ。それ、窓を開けてくれないか」
王の寝室の奥には一つだけ小窓があり、木枠が嵌められている。アマデウスが、すぐさまその木枠を取り外した。
寒風が流れ込んだ。王は咳き込み、それからゆっくりと息をついた。窓の外には、わずかな地面があり、一本の木が植えてあり、そして城壁がある。木は葉を散らしつつあった。王はそのわずかな景色を、じっと眺めた。そして、急にリウスの方へと振り返った。
「リウスよ。お前は、十年後のこの国に、何が必要だと考える」
リウスに、緊張が伝わった。それに気を払い、しばし考えてから、リウスはゆっくりとことばを紡いだ。
「この国に足りないものは、確固たる法です。人が安心して国の統治に身を委ねうるのは、民と官とに法があり、その矩を超えないことが保証されているからです」
「そうかもしれんな。だが、この国に必要な法とは、何だ」
「たとえば、それは刑についての法です。今有る刑は、財の没収、打擲、死ですが、それぞれの罪人に対する刑の決定が、官吏と王との会議によっておこなわれ、一貫していません」
「そうか」
王は黙った。リウスは、唾を飲み込んで答えを待った。やがて王が口を開いた。
「この国は、身軽さで生き残ってきた国だ。だが、これだけ人が増えて、それも失われつつある。お前が唱えるような国の在り方が、求められる日が来るのかもしれん。
だが、まだその時ではない。まだ、この国にはしなやかさが必要なのだ。この国における王位というのは、建国以来変わらず極めて実質的なものだ。ただの長なのだ。飾りでも権威でもない。自らの判断で民を導く覚悟が、お前には無い」
リウスは、体が熱くなるのを感じた。王はことばを継ぐ。
「お前たち、三人とも、よく聞け。私が死ねば、次の王は第二王子アマデウスだ。聞いたな」
王の突然の宣言に、三人はその場に固まった。
アマデウスが、ひどく困惑した様子で言った。
「私には務まりません。それに、前例の無いことです」
「この小さな国に、前例などあるものか。どこかの国の真似をしていて、生き残っていけようか」
ファラードもまた、不服であった。
「陛下。リウス様はこれまで勉励してこられました。並の官吏では及びません。あまりにも唐突ではありませんか」
「唐突ではない。これは、私の長年の観察に基づく結論だ。唐突だったのは、私がもうすぐ死ぬということであり、今日これを伝えなければならなかったということだけだ」
弟たちと父が語り合うなかで、リウスはまだ声を出せなかった。よりによって、なぜこの弟が。会話の中で王は、言い放った。
「リウスは、民を知らないではないか」
そのことばだけがリウスの耳に入った。リウスに怒りがこみ上がった。
「それを、陛下がおっしゃるのですか」
このことばは、本意ではなかった。父は民の反感を買ってはいた。しかしそれを知って、ものを断行していたのである。王は、リウスのことばを受けることなく、
「よく弟を支えよ。お前には、お前の天命が、ある」
と諭した。
「わかりませんよ。陛下。全くわかりません」
「愚か者め」
病床にある者らしくない大声を発してから、父王は強く咳き込んだ。ファラードが背中をさする。
リウスは、拳に力が入るのを感じながら、無言で立ち尽くした。父の最期を前にして認められなかったということに対する大きな悲しみと、弟に対する小さな妬みとが、同時に去来した。いろいろなものが憎かった。頭を整理することができなかった。
自分がそれほど優れていると思っているわけではない。しかし、自分のこれまでの人生は何だったのか。私には、何が足りなかったのか。
アマデウスたちと王との間では、その後もしばらく問答が続いた。だが、王の意思は覆らず、三人はアマデウスの即位を認めることとなった。リウスは、最後のやりとりになるであろうこの場面においてなお見せられた父の断固たる姿に、矛盾する感情を抱いていた。
果たして七日後、王は死んだ。
その後、アマデウスの即位が発表された。民は驚いたが、それを大いに祝った。