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愚者と城  作者: 的野ひと
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28話 雷光

 リウスは立ち上がった。川をまたいで遠く視線の先には、街へ後退していく兵たちがあった。

 リウスは内心で狼狽したが、それを表に出さないよう努めた。将軍がリウスに近づいた。

「陛下、我々は城へ退かねばなりませんぞ。ご準備を」

「そうか」

 リウスは頷いた。リウスが狼狽を隠そうとしているにもかかわらず、将軍は明らかに目線がふらついていた。

 にわかに雨が落ちはじめた。リウスは将軍を勇気づけるべく、もう一度深く頷いた。

 将軍は陣の前方に進み、指示を出そうとした。そのとき、十人隊長マルクスが盛り土を駆け上って将軍に迫った。

「門を守る精鋭は無傷です。壁を破った兵が前に出て少数の敵陣は伸び、敵将の守りは非常に薄くなっています。今、背後を突けば勝利は確実です」

 リウスは耳を疑った。壁の向こう側を見遣れば、確かに兜に羽根飾りを付けた者がおり、その者の近辺にはもはや二百人も居ないように見えた。将軍は、小さい声を絞り出した。

「……しかしだな。危険も大きい。精鋭を失えば、それこそ長い戦いを戦えないのではなかろうか」

「長い戦いになりましょうか。敵の兵はさほど精強ではありませんぞ。見ておられたでしょう」

「破られたのだ。そんなことは言いきれん」

「破られたのはこちらの問題です。しかし今はそんなことを言っている場合ではありません。機を逃しますぞ!」

 マルクスの体は大きい。腰の丸い将軍は圧倒されているように見えた。

 将軍は、腕を組んで考え込んだ。助けを求めるかのようにリウスに視線を寄せるが、リウスも用兵について考えは持てない。むしろマルクスの熱意ある主張に傾きかけている面もあった。だが、それが正しいと断ずることもできなかった。

 雨は急速に強くなり、リウスたちの頭を濡らして冷やした。前髪がリウスの目にへばりついた。

「将軍、あの惨憺(さんたん)たる様子を見られよ。やはり我らの兵は戦える状態に無かったのです」

「敵は少ないのだ。城に籠もれば、負けはしないだろう」

「信じられません。練度の不足がいま明らかになったばかりです。敵は更なる派兵をおこなってくるかもしれませんぞ。少ないうちに叩かねば」

 将軍はことばに詰まった。

 マルクスはしびれを切らしたらしい。将軍を一睨みしてから踵を返し、門へ向かいながら叫んだ。

「命令が降った! 我らは門より出て、敵将を討つ。勇ある者は速やかに我に続け。多くの少年の死に報いる時は、今を措いて他にないぞ!」

 将軍は虚を突かれ、目を見開いた。

「おい、待て。待て。そのような命令は降しておらんぞ」

 しかし、その老いた叫びは雨音にかき消されて届かなかった。リウスは逡巡した。軍律を崩壊させては、ならない。退こうとしていたリウスは、塁門に向きなおり、王権を表す飾り棒を握り、将軍を助けようとした。

 既に遅かった。マルクスの十人隊が、塁門を開き、槍を一様に前面に構え、凄まじい勢いで砂浜へ進み降り、雄叫びを挙げた。門を守っていた各隊は雄叫びを返し、続々と後に連なっていった。

「将軍、なぜこうなってしまうのか。どうする」

「もはや、我々は左岸側の塁に残された兵を率いて城に戻るほかありますまい。右岸側で追われた兵、もともと城に備えている兵とともに、守りを固めなければ。陛下の身も危のうございます。速やかにお戻りになってください」

 左岸側でも門から遠い位置には、破られた右岸側同様、練度の低い兵の混ざった部隊が布陣しており、不安な状況でも陣を維持していた。それらに指示を出し、城に戻り、守るべきだという。

 リウスは瞬時に判断せざるを得ず、それを受け容れた。


 リウスは、護衛を急かして走って城へ向かい、城門をくぐった。そして広間の民をかき分けて尖塔に向かった。階段を駆け上るリウスの頬を汗と雨水が伝った。

 尖塔の頂には、サリーとロトンが居た。二人は顔や体が濡れるのも厭わず、胸壁越しに戦いを凝視していた。既に風雨は嵐であった。しかし、ロトンは父が来たことに気づいた。

「ああ、お父様。あれは、お爺様の策ですか」

 祖父にあたる将軍が為したとは信じられないと言いたそうな、怯えた声だった。ロトンはマルクスの向かった先、壁の破られた地点と門との間を指さしていた。

 リウスは何事かと胸壁に駆け寄った。

 壁の破れた地点に近づくにつれて敵が密になっていたが、稲妻の形に空隙ができているのがわかった。そこに、王国の精兵が楔を打っていた。まさに楔形の陣であった。兵の数はせいぜい八十であった。だが、整然とし、美しかった。ロメスの兵の一部は向かってきた王国の孤軍を圧殺しようとしていたが、動きは異常に緩慢だった。濡れた砂浜に苦戦しているようだった。

 楔の先端を進むのはマルクスであった。信じられないことに、敵の槍を、革鎧に包まれた自らの腰を捻ることで弾きながら猛進していた。敵の打撃がマルクスに当たっても勢いが衰えないのに、マルクスが放つ全ての打撃が過たず敵を倒していた。マルクスは倒した敵を省みずに突き進み、マルクスの後に続く者が止めを刺した。

 マルクスの豪勇は、ロメスの兵を恐れさせた。敵は、十人隊長の正面を阻まなくなっていった。

 リウスは呆然とした。

「あれは、将軍の策ではない」

「では、誰の」

 ここまで問われて、リウスは口を滑らせたと感じた。マルクスの策であり、暴走だと言いたくなかったから。だが、それもおかしな話だ。ロトンはそれを知るべきなのに。

 サリーもまたリウスを見詰めていた。サリーもロトンも服はずぶ濡れであった。

 それでもリウスは口を開かなかった。サリーらは、諦めて戦況に目を戻した。

 敵将は、もはや逃げていた。水際を、城から離れる方向に逃げ続けていた。それを追う王国の兵は、期せずして敵将らと攻め込んだ兵を分断する形となった。もはや敵将を守ろうと誠実に戦う兵はほとんど居なかった。

 壁を破って市街に入り込んだ兵の方を見遣れば、進もうとする者と戻ろうとする者に分かれ、勢いを失っていた。そのため、市街では徐々に王国の反攻が始まっていたのだった。リウスはこれに心を温めた。

 敵将は、もはや一人であった。一人で、波に(くるぶし)を浸して逃げていた。敵はそもそも壁の端を攻めていたから、断崖の下に追い詰められるほかなかった。果たしてそのようになり浅瀬に立ち止まった敵将の後方に、まず至ったのはマルクスであった。

 窮した敵将は振り返り、いよいよ羽根のついた兜を振り落とす勢いで、マルクスに迫った。

 強烈な雷光が全天を覆った。リウスは目を閉じた。

 再び得た視界に入ったのは、脇腹に槍が刺さったマルクスと、倒れた敵将だった。その顔面に、槍を突き立てられて。

 響くはずの雷鳴が響かないまま、無限の時間が過ぎたように感じた。しかし、雷鳴は響いた。遠く、長く、強い雷鳴であった。マルクスの咆吼が重なった。王国の兵の喚声が続いた。ロメスの兵は塩の塊が潰されたように崩れた。

 海上に、一艘の船が見えた。武装していない一人の青年が乗っていた。よく目を凝らすと、それは使者の青年であることがわかった。早々に逃げ出していたのだ。青年は、自ら櫂を握り、懸命に海岸を離れていった。

「お父様……」

 ロトンは、混乱しているようであった。

「勝利だ。まずは喜ぼう」

 リウスも、混乱していた。

 海上にうち捨てられた船に、我先にとロメスの兵が乗り込んでいく。矢に追われながら、主を失ったロメスの兵たちは去っていった。


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