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愚者と城  作者: 的野ひと
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27話 隔絶された母

 サリーがロトンとともにあった城内の一室に、遠い喚声が聞こえた。ロトンを頼まれていたサリーは、わずかに緊張した。外では戦いが始まったのだ。

 民も既に城の中にあった。広間に集められた民のざわめきが大きくなったのがわかる。サリーは七年前の戦いを思い起こした。

 ロトンは背中を丸め、小刀を構えて木彫りに向かっていた。マルクスから手本となる羽根の木彫りを買って以来、ロトンはこの創作にずいぶん熱中していた。このときも、サリーは普段どおりの状態を保たせるために木彫りに向かわせていた。

 建物の壁があり、それを四方の幕壁に囲まれた城である。さらに戦いはその壁から離れた海岸で起こっている。遠い声に、緊迫だけでなくむしろ、いま、この刹那の平穏をサリーは噛みしめていた。

「ねえ、何を作ってるの」

「この城だよ」

「あら、ずいぶん難しいものを作るのね」

 ロトンの左手には、確かに角張った形に削られた木が握られていた。

 ただ、それなりに上達もしていたにもかかわらず、いつもと違ってその指先はうまく定まらないようで、しばしば小刀は木の塊の上を滑り、空を突いていた。肩が震えている。恐れているのだ。サリーはその頭を撫でた。

 そうしていても、外からの喚声は鳴り止まない。声変わりを果たしていないものも含まれている。

 ロトンは、木彫りを見詰めたまま手を止めて、小さな声で問うた。

「ロメスは、私を連れていくために来たんでしょう」

「そうね。でも、そんなことは絶対にさせないわ」

 サリーは強い憐れみを覚え、ロトンを後ろから抱きしめた。すると、ロトンの腹が鳴り、震えがサリーの腕に伝わった。日が高くなっているにもかかわらず、昼食が来ていないことをサリーは思い出した。

 普段は食堂でおこなう昼食であるが、こういった非常の場合においては、配給されたものを各所各自で食すことになっている。それはサリーも例外ではなく、決まった時刻に従者が持ってくるはずだった。

 従者たちも駆り出されているから、何か事情があるのかもしれない。サリーは仕方なく、様子を見に行くことにした。


 大した事情ではなかった。兵役の関係で従者も慣れない者ばかりとなり、非常時に用いるべき食材の在処を知らなかったのである。サリーは必要なことを教え、昼食を作るのを手伝い、そして炊いた麦と干し肉などのいくらかの副菜を持ってロトンの待つ部屋に戻った。

 サリーが部屋に戻ると、そこには片面だけが城壁の四角に彫られた木が放り出されていた。ロトンはどこにも居なかった。近くを歩いていた従者に行方を問うた。

「ロトン様なら、あちらへ走っていかれましたよ」

 それは入り口の方だった。悪寒を覚えた。外からかすかな悲鳴が聞こえた。知らない少年の声で、痛いよ、痛いよ、と。サリーの恐れがいよいよ増した。

 まさか、戦場へ向かったのではあるまいか。自らの身を引き渡して戦いを終わらせたいという、短絡的な判断で。ロトンの優しさであれば、そういうことを考えるかもしれないと、サリーは恐れた。そして、わずかにでも目を離した自らを悔やんだ。

 サリーは廊下を走った。そして、城の建物の正面に至り、番兵にロトンのことを問うた。番兵が言うには、ロトンはそこから外ではなく広間の方へ向かったという。サリーは混乱した。だが、足を止めるわけにはいかない。

 広間には、人がひしめいていた。道々ロトンのことを問いながら進んだ。どうも、広間の奥に向かったらしい。なかなか進めなかった。もどかしかった。その中を走ろうとするサリーを迷惑そうに見返す人を睨み返して、急いだ。

 広間の奥には、尖塔を昇る階段がある。この頂に居るに違いないと、その()(せん)階段を、息を切らして駆け上った。


 尖塔の頂には、一人の番兵とロトンが居た。首の高さにある胸壁から、いたいけに外を見ていた。サリーは、一挙に体の力が抜けるのを感じた。

 ロトンが振り向いた。膝が震えている。しかし、唇を引き締め、表情を固めていた。サリーはロトンに初めてその表情を見たが、瞬時にその意図を察した。見極めようとしているのだ。事実を。サリーは、部屋を離れたことについて叱責する気持ちを削がれた。ロトンは再び海岸の方に向き直った。

 サリーは、ロトンの横に並び、胸壁にもたれて海岸に目を遣った。リウスたちが居て壁の門があるのは川の左岸であるが、右岸側のある箇所に赤の革鎧が群れて壁に迫る様がよく見えた。そしてその迫りかたは、七年前よりも密接していた。

 赤は一点に向かって密度を濃くしていた。壁の端を攻めているのだ。防戦の様子はどうも頼りなかった。守っている味方の方が、少ない。別のところを守っていた味方が壁の背後から次々と助けに来ているらしいが、どうもその列の動きは緩慢であった。

 一人一人の顔までは見えないが、敵の槍の穂先がしばしば味方の体に迫っているのに対して、味方の槍はそれを防ぐために振るわれるばかりだという印象をサリーは抱いた。

 喉を突かれ、呻く間もなく後ろに倒れる味方が見えた。

「お母様っ」

 ロトンは怯え、しゃがみ込んだ。尖塔の胸壁に視界は遮られた。そして、隣りにあったサリーの腿に、しがみついた。

 サリーはその頭を撫でた。なんて健気で、かわいそうな子か。

「ええ、まだ無理をすることはないの。小さいんだから。大人になれば、果たすべき役割が必ずあるから」

 サリーはロトンの背伸びした積極性に、アマデウスの民に対する親しみを重ねた。それは、サリーが好んだ性質だったが、同時に彼自身を悲劇に導きもした。サリーは、ロトンの成長を恐れた。

 突然、サリーはひときわ大きな喚声を聞いた。雪崩を打つ兵が見えた。壁の一端が、破られたのだ。砂浜を踏んでいた敵兵の靴はもはや町の石畳を鳴らしはじめ、味方もそれに追われて後退したから、足音は土砂崩れのように大きくなり、サリーたちのもとに届いた。

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