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愚者と城  作者: 的野ひと
23/31

23話 偽り

 サリーは、広間の裏の控え室に居た。広間では、リウスがロメスの使者と話している。サリーはそのやりとりを不快な思いで盗み見ていた。サリーはリウスの隠す意図を知らされていた。が、それでも不快感は拭えなかった。

 じめじめと夏の雨後の湿気を集めた広間には、リウスと使者のほか、何名かの兵士や文官が居た。リウスは王としていつも着ている絹の服ではなく、質素な麻の服で相対していた。使者を睨む兵士も居れば、弱気に俯く文官も居た。ファラードは、リウスの計らいによって、この広間に居なかった。

 今回の使者は、青年だった。アマデウスを連れて行った壮年の使者をサリーは憎んでいたから、その者が来れば自らを抑えられないような気がしていた。だが、別の者であったので、いくらか憤りは削がれた。また、その使者はいかにも臆病で、怯えた様子であり、哀れだった。そのことも、サリーの怒りを減退させた。

 青年の使者は臆病な様子であったが、その要求は尊大だった。

「わ、我が皇帝の仰せにありますは、貴国の……偽王を廃し、我と我の認める者によってこの地が正しく統治されなければならない。そもそも、貴国の民はこの国の民と同根であり、我が国の治めるところなり。しかるに貴国は不当にこの民と地とを治めるとのたまい、偽王を立て、我が国の関与を排除してきた。その専横は看過できるものではない。このたび一人の偽王を罰したが、再び新たなる偽王を立てていることだろう。よって、遠からず五万の兵を送り、義を正す。早々に武装を解いて帰順し、改めるのであればこの限りではない……と、以上のことをお伝えいたします」

 使者の声は、終わりに近づくにつれて小さくなっていった。

 リウスは王座のある壇を降り、使者の足下まで近づき、視線を合わせた。

「どうか、どうかそのような性急なことはおっしゃらず、お待ちいただきたい。我々には、もはや貴国にお仕えする準備があるのです」

 広間がどよめいた。使者は、当惑しながらも答えた。

「我らは、その証を得なければなりません」

「もちろんですとも。命のほかは、何なりと差し出しましょう」

「まずは、この国にある宝物の類いは尽く納めていただかなければなりません」

「もちろんですとも。この城も官吏も貴国のものになるのですから、お持ちいただかなくても同じですが、証を求めるということであれば、お帰りになる際にいくらかお送りいたしましょう」

「それだけでなく、人質を出していただく必要があります」

「それは、すぐにとは参りませんが、事が確かだということが明らかになれば喜んでお出ししましょう」

「今回でなければなりません。今回、あなたかあなたの子を連れて帰らなければ。私は、皇帝からそう言いつかっているのです」

「すぐにでもそうしたいのですが、この国の文官は、話の分からない人間が多いので、『むざむざ死地に人質を出すなど許さん』と言うでしょう。私には、それを止められないのです。そうなれば、我々は死ぬまで戦うことになります。そして私は、それを導かなければなりません」

 リウスは、少しだけ真剣な表情をして、サリーが嫌味を感じとるほどにゆっくりと語った。リウスのことばに、使者は明らかに怯んだ。それを見たリウスは再び目を細めて頬を緩めた。

「ロメス帝国の使者様よ。できれば、それは避けたいのです。どうか、私の誠意をご理解いただきたい」

 サリーが不快に思っていたのは、ロメスの使者が訪れたということよりも、どちらかといえばリウスの態度だったのだ。

 これは、リウスの企みだという。しかし、出て行ってぶち壊したい気分が胸中に満ち、徐々に息が詰まっていくのをサリーは感じた。


 この前夜、すなわち使者の船が遠方に見えた日の夜、リウスはサリーのもとを訪れ、その企みを伝えた。

「とにかく、我々には時間が無い。お前も協力してくれ。私はロメスに帰順を示唆する。といっても、これは偽りだ。時間稼ぎだ。そして、このことは誰にも言わないようにしてくれ。どこから相手に漏れるかわからない」

「どういうことなの」

「今のロメス帝国は、この国を本気で攻め落とそうとしているかもしれないが、それでも長年抵抗してきた我々を難敵と考えているはずだ。こちらの決死の抵抗無く帰順を要求できるなら、そのほうが良い。だから、こちらが帰順を仄めかせば、すぐには侵攻できないに違いない。使者を送ってくるとは、そういう意味だ。幸いにして、彼我の国は海を挟んで往復で三十日はかかる。ロメスの都までなら、もっと長い。必要なのは、半年だ。なんとかして半年を稼げば、ある程度の態勢を整えられる」

 サリーには、信じられなかった。他人の国の王を騙して斬り殺しておいて、斬り殺された国の人間が素直に帰順してくると信じる者が、居るのだろうか。そんな高慢な人間が。国が。

 だが、リウスを助けると決めたのだ。そして、リウスはサリーを頼った。リウスの期待に応えたいと思った。


 サリーはリウスと使者のやりとりを見届けることなく、絹と宝石で着飾ってから別の小部屋へ移動した。不快な空間から逃れるためであり、同時に先に行って待てと言いつけられていたからでもある。

 そこは宴席だった。使者を歓待するため、あらかじめ整えていたのである。長方形の卓上には既に、酒の詰められたいくつもの土瓶、よく焼かれた鹿肉の薫る皿、薄く切られた魚の輝く皿、王国の山でしか採れない赤い実が引き立てる山菜の皿が、誇らしげに待ち構えていた。

 サリーに対してリウスはあくまで政治的なことに関わらない人間として参加するように言いつけた。サリーが着飾ったのはそのためだ。

 サリーは四人ずつが向かい合う形となる卓の中ほどの一席を占めて待った。サリーの目には、食卓が非常に豪華に映った。結婚や出産であったり、アマデウスの戴冠の祝いとして催された宴は、どれだけ質素だったか。きらびやかな食卓は、むしろ独りで待つサリーを憂鬱にした。

 広間でのやりとりを終えてから、リウスは使者を連れ、その空間に至った。使者はすぐに帰ろうとしたが、日が暮れようとしているとか雨雲が近づいているなどと言いくるめ、城に留めたのだと、周囲の人間が密かにサリーに伝えた。

 使者は、気圧されながらも整えられた宴席の中央に座った。隣をリウスが占め、向かいをサリーが占め、残りの席を若くて賑やかな文官が占めた。その人選は、賑わいとともに、なるだけ話がわからない人間を選んだ結果だと薄々察せられた。

 リウスは、使者様のご健康だとか、ロメス帝国のご発展だとか、――特にリウスなら――思ってもいないであろうことを祈念してから、その宴をはじめた。

 宴は、当たり障り無く進行した。リウスは話がうまくなかったが、使者と歳の変わらない若い文官たちは、無難な身の上話を使者に問い、使者は忙しくそれに答えた。どうも、とにかく機嫌を取るように言いつけられていたようだ。文官たちは、使者自身の出生地が都であったことや、由緒ある貴族であったこと、趣味が音楽鑑賞であったこと、周りと比べて出世が速かったことなどをいちいち賞賛した。あまりうまいおだてかたではなく、サリーはそれを敏感に察したが、どうも使者は臆しているからかそれに気づかない。

 そして、臆しているからという理由は、途中から酔って気が大きくなっているからという理由に変化していた。

「私は、皇帝陛下の旧くからの友人なのです」

 自慢話が、気の緩んだ使者の口から漏れた。リウスは、サリーが見た記憶のないにこにこした顔で酒瓶を構えていたのだが、すかさずこれに対応した。

「ほほう。それは素晴らしいことです。ご信頼もさぞ篤いことでしょう」

「実はそうなのです。今回のお役目も、こういったことは初めてであるにもかかわらず陛下から直々に賜ったもので、誰にでも任されるようなものではありません」

 二人の向かいでそれを聞いているサリーは、違うことを思った。つまり、死んでも良いからこういう役割を任されているのではないかと。しかし、それはもちろん口に出さない。

 ただ、それはそれで信じがたいことだ。それでは、あまりにも鈍い。いかにも鈍いように見えるこの若い使者であるが、さすがにそんなことは気づいているのかもしれない。酒の勢いに重ねて、心に誇りを呼び起こさなければ、やっていられないのかもしれない。いずれにしても、この使者の命はリウスの掌の上にあるのだ。そう思うと、哀れでありながら滑稽で、憎むべきながらわずかに愛らしいと思えなくもなかった。サリーは、思わず小さな声を漏らして笑った。

 使者は、サリーの笑いをどう捉えたのか、調子の良い高笑いを向けてきた。いつの間にか、声が大きくなっていた。

 宴会場は走り続ける。使者は、楽団を用意しろだとか、用意された楽団がうまくないだとか、料理が田舎くさいだとか、ロメスの宴はもっと華やかだとか言った。周囲の人間はなんとかそれに同調したが、使者の増長は止まらなかった。鬱屈していたのだろうとサリーは思った。

 そして、いよいよわけのわからなくなってきた使者は、本音と建前の区別も、言って良いことと悪いことの区別も付かなくなっていた。

「ううん、本当のところを申しますとね、私は殺されるかと思っておりましたよ。なに、このたびはたいへんな経緯でしたから」

 リウスの眉がわずかに揺れた。

「……使者様をどうこうするわけが無いではありませんか。あなた様は、我々の最後の希望なのですから。使者様のおことばだけが、貴国の皇帝陛下の憐憫を引き出してくださるでしょうし、我々はそれに縋るしかないのです」

「ははは。そうでありましょうか。そうであろうとも、はっきり言って我が国はあなた方の前の王様を騙し討ちにしたのですから、私だって、報復にさっさと殺されると思っていましたよ。ずいぶん大切な王様であられたようだから。あなた方の理性的な判断というものに、感謝するほかありませんな」

「そんなことは起こりませんよ。起こりませんとも」

「ええ、どうやらそのようですな。私も安心しております」

 リウスは、酒を(あお)った。

「むしろ、こちらのほうが感謝しているくらいです。わきまえない人間でしたから。特に、十年前からの戦いなど、貴国とそれを構えて良いことは何ひとつ無かったのです。好条件を出してもらったのだから、さっさと従っておれば良かった。それを要らぬ意地を張って、ことを長引かせた。貴国が本気にならなかったから良かったものの、私は本当に気が気でなかった。そして今、我らは結局その時より悪い条件になってしまったわけです。いや、失礼、もちろん今回のお約束に不満があるわけではありませんよ。しかし、前に王を名乗っていたあの弟は、小さな、ものの見えない人間だったと思うのです。そうです。死んだほうが、良かったのです」

 サリーの顔面が、空になった大皿を見詰めて固まった。別の表情を露わにしないように。周囲の文官たちも、いつの間にか無言となり、ある者は俯いて目を閉じ、ある者は顔を背けていた。しかし、使者はそれに気づかない。

「ははは、そこまでひどいことをおっしゃらなくても。前の方は、勇敢なところが取り柄だったのでしょう。しかし、今度の王様は、ずいぶん違う性格だということだけは、確かなようです」

 リウスは、とにかくことばが途絶えないようにしているようだった。

「それは、光栄なことです。あれを勇敢と言ってくださるのも余りあるおことばですが、あれと一緒にされてはかないませんから」

「しかしまあ、我らだって、前の方には苦労させられたのです。攻めるたびに攻めにくくなって、最後にはろくに上陸もできなかったというではありませんか。殺してしまうのはちょっとやりすぎだと思いましたし、それで解決する問題とも思えませんでしたが、皇帝という立場での苛立ちというのも、わからないではないのです。結果的には、良かったと今の王様もおっしゃってくださったわけですから、それなりに優れた判断だったのかもしれません」

 リウスは、笑い声を上げた。だが、その声は乾いていた。使者は口を動かしつづけた。

「海からこの地に近づくときには、海岸にあの忌々しい塁があるのがよく見えました、あんなものも壊してしまえば良いのではありませんか」

「ええ、それが良いでしょう。そのことで、貴国の方々を迎えやすくなり、貴国への一つの証となるなら、明日の朝からでもその作業を始めさせましょう。ぜひ、使者様はこのことを良友であられる皇帝陛下へお伝えいただきまして、この地がいつでも何の障害もなく従うことを説き、ご寛大な処置を引き出してください。それが、我々が使者様にご期待申し上げる唯一のことでございます」

「ええ、もちろんお伝えしましょうとも。私も、このやりとりが極めて順調に進んでこれほど喜ばしいことはありません」

 サリーは頭の中がくらくらしていた。それがわずかに飲んだ酒の作用でないことは明らかだった。リウスの全てのことばに対して、耳を塞ぎたかった。同時に、この使者にわずかでも親しみを覚えた自らを恥じた。しょせん、この人間もあの無神経な国から来たのだ。

「お妃様も、立派な方と結ばれて、その方が王様になって、あなた様も今のご立場になられて、きっとたいそうお幸せでしょうね」

「立場になれて、ですか」

 サリーは、思わずそう答えてしまった。使者の顔が、わずかに真面目なものとなった。サリーははっとした。リウスが、懇願するような目で自分を見ているのがわかった。サリーは、とにかく頬を吊り上げて笑おうとした。笑えているのか、いないのか、わからなかったけれど。

「ああ。ええ。もちろんです。良い立場に立たせていただきました。夫には、早く国を治める立場になってもらいたいと思っていたんです。そして、その隣りに立ってみたいとも。彼のことは、ちょっと悲しかったけど、悪い気分ではありません。まあ、今回のお約束のために、その期間があまり長くないということは、残念かもしれません。でも、それはそれで夫と不自由なくゆっくり暮らせるのですから、そんなに悪いことではないでしょうね」

 サリーは、自らの声が震えていないことに驚いたし、思ってもいない残酷なことばが自らの口から次々と淀みなく出てくることに驚嘆した。言い終わって初めて涙が目に溜まっているのを自覚したが、それをこぼさないように堪えた。

「そうですとも。御身の生活は保障されます。事が成った暁には、今よりも豊かで文化的な暮らしができることをお約束しますよ。お子様にだって、いつでも何度でも会わせてさしあげますとも」

「まあ。それは安心かもしれません。いえ、安心ですわね」

 こういった会話がおこなわれてから、宴会の終わりまで、そう長い時間はかからなかった。ほどなくして、使者が酔い潰れて卓上に眠ったのである。

 サリーは、他の全ての人が去ってからも、宴席に残っていた。立ち上がる気が起きなかったからだ。青年の使者は机の上に幸せそうな顔と、首を、晒していた。この使者を絞め殺すことは、自分にとっても簡単そうだとサリーは思った。しかし、それはできない。

 サリーは、その体を放置して、寝室に帰った。寝室には、呆然と寝台に腰かけるリウスが居た。サリーは、リウスの頬を打ってやりたいと思った。リウスの頬を打ってやりたくて、その目の前に近づいた。しかし、腕に力が入らなかった。リウスはサリーの顔をジロッと睨んできたが、その目は生気の抜けた感じだった。その顔を見詰めているうちに、悲しさが止まらなくなり、サリーは声を上げて泣きついた。

「ありがとう。お前は、よく頑張ったよ」

 リウスは穏やかに呟いた。サリーは泣きつづけた。こんな立場は捨てて、少女に戻りたいと願った。

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