22話 塁
王となったリウスが初めにしなければならないことは、当然ながら攻撃的な態度を示してきたロメス帝国に備えることであった。
リウスは、どうすれば次のロメス帝国の攻撃に耐えられるかを将軍に問うことにして、会議を開いた。
「我らが先王を偽って殺した憎きロメスの新帝は、最も暴力的な皇帝であると考えた方が良い。苛烈な攻撃がおこなわれることは間違いない。どうすればそれを退けられるだろうか」
将軍は答えた。
「今までと同数の敵兵、同程度の敵将であれば、アマデウス様が残した塁を用いれば、なんとか退けることができるかもしれません。しかしながら、それ以上となると今までの策は通用しないでしょう」
「それ以上を想定せざるを得ない。ロメス帝国は熱狂の内にあるのだ」
「海岸の全面から今までよりも多くの兵で押し寄せられては、我らの塁と用兵では守りきれません」
将軍は、卓上に蝋石を用いて図を描いていく。王国が、三方を山に囲まれ、一方が海岸に面している様子を描き、また海岸の端より外は断崖であることを示す。海岸の端から端まで塁の記号を描き、その背後の一点に、王国の兵の記号を一つ描く。同様にして、海上に敵兵の記号を七つ描く。そこから矢印を塁の一点に向け、攻める様子を表した。
「この記号は千の兵を表しています。七年前の戦いにおいて、ロメスの攻めが危惧されていたように海岸の塁の全面に同時におこなわれるということはありませんでした。ロメスの兵は我らの七倍でありましたが、海上から攻めるために動きが緩慢となり、塁によって阻まれるために一点の兵を厚くする必要があったからです。よって、対する我らは、実のところ一点を防ぐだけで良かったのです。ロメスは、兵を薄くして全面を攻めたり、集中して攻める点を夜のうちに反対の端に変えたり、さまざまな方法を試してきましたが、アマデウス様は的確な指揮によってそれらを阻み、我らは勝利しました」
そう言ってから、将軍は図にさらに七つの敵兵の記号を加え、壁の別の箇所に向けて矢印を伸ばした。
「しかし、たとえば前回の二倍の兵が攻めてくればどうでしょう。単に、厚い兵を二箇所に向けるという方法を用いられただけでも、跳ね返す手段を私は考えられません」
リウスは僅かに声を大きくした。
「それをなんとかしなければならん。あるいは、初めの戦いのように、城まで退いて守ってはどうか」
「それもまた、容易ではありません。かつては山と城とに兵を分けましたが、今は城を守る優れた将を有していません。敵は我らの策を知っていますから、兵力に余裕があれば山側からの奇襲にも備えるでしょう。何より、私も近頃急に老いました。山を何度も登って逃げる用兵を、再び為せるとは思えません」
この弱々しい発言は、かつての将軍には為されなかったものであったが、そのこと自体が老いを如実に表しているようにリウスは感じた。
リウスには将才が全くなかった。また、それを自覚していた。王国に優れた将が居ないという事情を痛感した。
将軍は、目を伏せたまままくし立てるように付け加えた。
「正直なところ、アマデウス様を失った我々に、アマデウス様並みの指揮どころか、並みの指揮をできる者はいないのです。七年前と同じ条件であったとして、果たして本当に勝利できるかどうか」
リウスは目を閉じた。
「つまり、無理なんだな」
将軍は、目を横に逸らした。
「そうです。厳しいことながら」
リウスは、帰順を考えた。自らは殺されるかもしれないが、ロメス帝国であれば、たとえ皇帝が暴力的であっても、抵抗しない民をわざわざ殺すようなことはしないだろう。
そう考えながら、リウスはアマデウスが怯えて自室に籠もる姿を思い出した。アマデウスは尖塔から戦いを見下ろしつづけることさえ、初めはできなかったのだ。リウスはそれを叱咤したのだった。
だが、それも他人のことだから叱咤できたのだとリウスは感じた。始まってもいない戦いに怯えているのだから。リウスは、かつての弟と比較することで、自分が怯えていることを冷徹に知った。
思えば、その弟でさえ、戦って国を守ることを選んだのだ。今、戦わずに敗亡を選択することが許されるのだろうか。
リウスは、ロメス帝国の辺境における暴力的統治のことを思った。自らを奮い立たせるためである。それに端を発した百余年前の王国の建国の伝説を思った。そして、海の向こうでアマデウスはそれを見ただろうかと思った。見たに違いないと考えた。
一方で、戦うことを選択するならば、現実として迫る敵襲に堪える方法を考えなければならない。
リウスは、アマデウスが塁の背後で指揮を執る様を思い出した。それは、僅かに目を離せば陣の反対に居るという動きぶりだった。あれは、できない。
では、どうすれば良いのか。リウスは、声を漏らしながら考えた。声を漏らすうちに、塁、という音でつぶやきが止まった。そして、少し大きな声で、塁、と再び言った。
「塁を高くしてはどうなんだ。いっそ、壁にしては。今、城を囲んでいる壁と同様の、三人分の高さの壁だ」
「それは……もし実現したなら、守りやすくなることでしょう。しかし、それを今までしてこなかったのは、山には切り出す石がもはや残されていないからです。それに、時間もありません」
「ことここに及んでは、家々から切り取ってでも石を揃えなければならん」
「壁だけでは足りません。壁の多面に梯子をかけられたとき、守るだけの兵は必要です。千では、壁はただの壁となってしまいます」
「どれだけ居れば良い」
「二千五百は必要です」
将軍は、首を下に向けて、叱責に備えていた。リウスは、大声を喉まで出しかけていた。到底無理だと思われたからである。しかし、それをすんでのところで抑えた。そして呟いた。
「私には、そういう策ともいえない策が似合っているのかもしれないな」
リウスは自嘲した。
こういった議論の結果として、全ての家は、壁一枚分に相当する石を供出しなければならないことになった。壁がなくなれば暮らせないから、多くの者は知己である隣家どうしで石を融通し、ともに暮らすことを選んだ。王国には、数軒おきに四角の空いた土地があるという、妙な光景がすぐに出現した。
さらに猛暑の下で、王国の若者は苦しい労役に駆り出されることとなった。まずは、国全体に在る千軒の家の石材を、海岸まで運ばなければならない。
兵役に該当する者も増やすことになった。そのために、未だ兵役を課せられていない者と既に兵役を終えた者とが集められることとなった。
王国では、背丈が一定を越える者が兵役を課せられていたが、その背を測るための棒が、先端から一割ほど折られて短くなった。新たに集められた兵の候補が、リウスの前で初めに奮戦を誓うのを見て、まだ子どもではないか、とリウスは感じた。しかし、努めて厳しい表情を作った。逆に、既に兵役を終えていた者たちは、頼もしく思われた。
兵役にある者は、午前は石を運び、午後は山で訓練をするという生活を毎日繰り返した。そうでない若者は、男女に関わらず労役に駆り出された。
一連の負担について、王国の者は、アマデウスを失った悲しみと怒りもあり、ある程度の理解を示しているようだった。しかし、特に再び兵役に駆り出された者たちは、しばしば不平を漏らしていた。のどかな余生を奪われたのだから、仕方のないことだ。不平の声は少なからずリウスの耳に入った。リウスはその声にも怯えながら、しかしこの凡策を貫いた。
このような活動を始めてから二十日ほどして、いよいよ集められるべき石が全て海岸に集まったという頃だった。早くもロメスの船が海上に見えた。使者に違いないと、リウスは鼓動を速くした。




