21話 王の私室
サリーは目立たぬところでひとしきり泣いてから、夜遅くに寝室に戻った。リウスは既に眠っていた。サリーは、やっといくらか冷静になっていたので、自分だけに聞こえる小さな声で、リウスに謝罪した。
翌日、リウスは王となった。そのことは、昼にならないうちに城の人々の合意を得て定まった。近日、民の前でもつつがなく宣言されるだろう。
リウスが王となったことにより、サリーはリウスとともに、寝室を、王が使うことになっている部屋に移すことになった。
その部屋は、アマデウスの残した空間でもあった。サリーがリウスと使っていた部屋よりも、少し広く、天蓋によって飾られた寝台は、誰も使ったことがないかのようによく整えられており、壁際に、ぽつんと机があった。アマデウスが王として読まねばならなかったに違いない木板群が、その脇に積まれていた。絹の服が数枚、四角に畳んで箱にしまわれてあった。経済的な事情から、王だけが絹を身につける。アマデウスは、それを丁寧に扱っていたらしい。一つの小さな窓があり、木の板が嵌められていた。それを外すと、外には立ち木があり、その向こうに城壁がある。戦いの間は取り除かれた立ち木であったが、戦いの後、アマデウスの希望によって再び植えられ、七年が経っていたのである。夏の日を受けて、若木の葉がぎらぎらと輝いていた。サリーはそれを見たくなかったので、再び窓に枠を嵌めた。
サリーにとって、リウスの弟であって幼なじみでもあるアマデウスという人間は、数少ないたいせつな人間の一人だった。快活な性質に楽しさを覚え、素直な性質に可愛さを感じていた。アマデウスが長い間使っていた空間に移れば、喪失を思わずにはいられなかった。
サリーは、その思いから逃れたかった。だから、元の寝室をとにかく再現しようとした。机を、もともと居た部屋と同じように中央に置いた。机の横に、リウスが普段参照する木板を積み上げた。もと居た部屋にあった、サリーの胸の高さまで育った入り口の低木の鉢も、全く同じように入り口の横に設置した。寝台の絹の布を、もともと二人が使っていた麻の布で覆った。
さまざまなことを再現したことで、サリーの心細さはわずかに和らいだ。
しかし、リウスが王になったことは、喪失の思いから逃れたいサリーの願望に反して、一人の時間を少なからず与えた。リウスが王座にあらねばならぬ時間が増え、多忙になったためである。
そして、数日が過ぎた。部屋が広くなったことも、一人を際立たせていた。時には、リウスが机に向かっていることもある。だが、広さのためにその背は小さく感じられた。
暑さに窓を開ければ、アマデウスの木が若々しく在るのが目に入る。独身だったアマデウスはきっと自分とともに育つ木に愛情を注ぎ、ひとときの安らぎを得ていたに違いないと想像された。すると、いよいよ切なくなってきて、サリーは目を背けた。サリーは以前の窓の無い部屋を懐かしんだ。窓がある部屋が良いと、この城に来たときは思っていたのに。
ロトンは、叔父を失ったことを知った当初には悲しんでいたが、すぐにけろっとした姿を示していた。ロトンはリウスによって毎日ある量の文献を読むことを課せられていたが、何事も無かったかのようにそれに取り組みつづけた。また、いつもと変わらず街への外出をサリーにせがんだ。遠くで起こった死を痛ましいものとして実感するには幼すぎた。
サリーにとって、ロトンの態度はいささか寂しい側面もあったが、城の多くの者が沈んでいるなかで、貴重な慰みとなった。サリーは、頻繁にロトンを連れ回すようになった。
そういった時間を過ごすうちに、サリーは否応なく過去を振り返った。そうするなかで、なぜかある年の祭りのことを思い出した。もしかすると、心の奥底に、賑わいの時間に逃避しようという気分が生じていたのかもしれない。
その空間では皆が笑っていた。リウスも、アマデウスも、全ての民も。愛と幸福に満ちた空間であり、永遠に続いてほしい時間だった。しかし同時に、ロメスからの旅人も少なからずそこに居たということを思い出した。その人らもサリーのために笑っていた。だが、この状況になってみると、その笑顔が偽りであったようにサリーには思われた。それは思い込みに違いないのだが、このときのサリーには、そう思われたのだ。
サリーは、護衛の報告を思い出した。アマデウスの首を掲げて高台で哄笑するロメスの皇帝の姿を思い浮かべた。アマデウスの首を指さして嘲笑するロメスの都の民を思い描いた。
サリーは誓った。あんなやつらに、これ以上たいせつなものを奪わせてなるかと。サリーはこのときまで、国とか、民とか、そういった大きなことばには一切関心が無かったのに、アマデウスを殺されたことによって、とにかく海の向こうに居る皇帝と、それに関わる全ての人が憎くてたまらなくなっていたのだ。
サリーは、ロトンが同じ轍を踏まないよう、海の向こうの地が恐ろしい地であるということをよく教えようと決めた。偽りに満ちた、暴力的で、残酷な、貧しい地であるということを。
そして、アマデウスを行かせた会議を思い出した。アマデウスの気持ちを汲んで、行かせようとしたのだと思い出した。旅を欲していたアマデウスの若い日を思ったのだった。それを思い返すと、血が熱くなった。
同時に、考えの無いサリー自身や群臣のなかにあって、冷静にアマデウスを止めようとしたのはリウスだけではなかったかとも思い返した。
サリーは考えた。自分が間違っていたのだと。事の深刻さを、何も分かっていなかったのだと。リウスが正しかったのだと。これからは、何があっても夫を支えていこうと。
かといって、サリーは何をすべきか知っているわけではない。ただ、一度罵ったアマデウスの護衛に対しては謝罪した。憎むべきものは彼らではないと考えたからだ。護衛は、サリーの悲しみに理解を示し、暴言を咎めなかった。




