20話 アマデウスの遺言
夏の日差しが王国を容赦なく焼いていた。アマデウスの死の報がアマデウスの護衛の一人によって城の広間に伝えられたのは、その頃のことであった。
リウスは、護衛のことばを聞いた。命からがら逃げ帰ったその者によると、ロメスの新帝はアマデウスの首を都の民の前に掲げたという。小国の偽りの君主を裁いたとして、都の民は熱狂に包まれたという。
その後、待機していたアマデウスの護衛たちにも矛先が向いたようだ。ロメス帝国の兵による殲滅は徹底したものではなかったが、王国に辿り着いた者は旅立った者のうち半数であった。
サリーもその横に居た。サリーは、信じられない様子で確認した。
「本当なの? だって、あなたたちは見たわけではないんでしょう? ほら、……首……だって、遠目で恐る恐る確認したって言ったじゃない。間近で見たわけじゃないもの。捕まっているだけかもしれないじゃない」
サリーの問いのそれぞれに関して、護衛は必要な情報を加えながら理路整然と回答した。確かに、直接見たわけではないこと。しかし遠目で見ても、首を見間違えるはずのないこと。似た首を短期間に用意できるはずの無いこと。アマデウスが現れなかったこと。生かしているとすればあるはずの要求が無いこと。総合的に考えて、その死が決定的であること。
回答の最後を遮ってサリーは泣きながら叫んだ。
「あなたたちは、何をしていたの! どうして一番大事なときに側に居ないの。どうして止めなかったの。行かせたの。そう、どうして行かせたの。どうして――」
サリーのことばが止まった。
涙を流すサリーの横で、リウスは焦点の定まらない状態で黙していた。サリーよりは、アマデウスの死を冷静に受け止めていた。涙は出なかった。自らの責任を思う気持ちのほうが大きかった。サリーのことばが、リウスに半年前の会議を思い出させていた。
黙すリウスに、サリーは同感を求めた。
「ねえ。何か言ってよ。リウス。役に立たないこの人たちに。ねえ、どうして黙っているの。悲しくないの。ねえ」
「苦難を生きて帰った者たちを、非難することはできない。ああ。お前たちは、よくやってくれたとも。よくやってくれた」
サリーはそのことばを受けて目を見開き、リウスを数瞬睨んだ。だが、ことばを継ぐことができなかったらしく、早足でその場を立ち去った。
リウスは、しばらく生還したその他の護衛たちの下を廻り、上の空ながら労いのことばをかけつづけた。慌ただしいやりとりを終えてから、リウスは重い足を自室へと向けた。
リウスが自らの部屋に戻ったときには、既に夜になっていた。サリーはそこに居なかった。リウスは寝台に腰をかけ、壁の一点を見詰めた。
従者の一人が、密かにリウスの下を訪れた。そして、唇を引き結び、紐で綴られた木板の束を渡した。アマデウスが残したものだという。リウスはそれを受け取り、じっくりと眺めた。
木板には、旅立つ前に記されたことばがあった。リウスは覚悟を決め、その一字一字をゆっくりと読むことにした。
「私はロメス帝国へ行くことになりました。
この国の民にとっても、他の多くの人にとっても、良い結果になると信じています。また、そうなるように努めます。
でも、もしかすると、何かあれば帰ってこられないかもしれません。そんなことは無いと信じたいのですが、念のためにこれを遺します。
お兄様なら、このような危険を冒さずにもっとうまくやったのでしょう。私はどうもうまくやれず、旅をしなければならなくなりました。
小さい頃はあんなに行きたかった海の向こうのロメスの地ですが、今は行きたくない気持ちも拮抗しています。どうせなら、もっと身軽な自分として行ってみたかったと思っています。
こんな無責任なことを書いたら、また叱られてしまうかもしれません。ただ、お父様が私に任せたこの地位は、私にとってはあまりにも重く、またあまりにも寂しいものでした。いろいろな人が形式的に接してきて、心が通わない気がするのでした。
お兄様のことばではありませんが、やはり私には、外でふらふらしているのが似合っていたように思います。そこには人の暖かさがあったのです。
お兄様もまた、私を突き放しました。それは本当は一番寂しいことでもありました。でも、それも私をこの地位の人として育てようとしてくださっていたのでしょう。
お兄様は、昔私と二人で行った浜辺を覚えていますか。本当に小さい頃のことです。お兄様は、せっかくの浜辺だったのに、護衛に日傘を持たせて何やら座って考えこんでいましたよね。私はそれに遊んでくれとせがんだのでした。私のなかでは、私とお兄様の間柄はあの頃から変わっていないなと感じることもあるのです。
お兄様がサリーさんと結婚したことは、とても嬉しいことでした。素敵な人です。そして、幼なじみとして過ごしてきた私もまた、これからも長い間共に生きていけるということも、嬉しかったのです。
お兄様は幸せだったに違いありません。サリーさんもよく幸せそうな話を伝えてくれていました。私はそれに触れて幸せでした。
お兄様のほうがわかっていることでしょうけれど、サリーさんはあれで不安定なところもあります。サリーさんには私に接したよりも優しくしてあげてほしいと思います。でも、お兄様は実際、不自然なほどそうしていますから、心配することはないでしょう。
私にとって、最も苦しかった時期は、三年間の戦いの時期でした。どうして私の時にそんなことになってしまうのかと、呪ったものです。ここにしか書けませんが、本当は、すぐにでも降伏してしまえたらどんなに楽かと思っていたのです。
でも、それは許されないことでした。それを確信できたのは、お兄様の激励のお陰でもあります。私は三年間、早く戦いを終わらせたい一心で、尽くしてきました。皮肉なことではありますが、あの期間だけは私も良い務めを果たせたのではないかと自負しています。
そして、今回の旅が、その結実となることを目指しています。ロメスの民と皇帝とに、この国が堅守であるだけでなく、豊かで、友として接するに相応しい国であるということを、はっきり伝えようと思っています。私は二度とあんな目に遭いたくありません。民をあんな目に遭わせたくもありません。
どうにも昔のことが思い返されてなりません。でも、この文は、私が居なくなったときの混乱を防ぐために書いています。ですから、私はお兄様に命じなければなりません。私が居なくなったら、あなたが王です。この国をよろしくお願いします。
このままでは、ことばが溢れてきて止まらなそうです。余計なことを書きすぎました。本当は、いろいろお話ししたかったのです。帰ってきたらこの書き置きも不要になるのですから、また昔の話をしましょう」
リウスは、揺さぶられる思いだった。よく知っていたはずのアマデウスの人格に、初めて触れたかのような気がした。
私は愚か者だ。私は愚か者だ。なぜ見下していたのか。弟が、私にできないことをおこなったことは明らかだ。私には無いあらゆる才が弟にはあった。いや、そんなことではない。そんなことはどうでもよい。弟なのだ。弟を喪ったのだ。
リウスは悔いた。アマデウスを行かせた判断は、やはり間違っていたのだと。リウス自身がアマデウスの立場なら、どうあっても行かなかったに違いないのだから。その理由は、臆病だけではない。なぜ、最も重要なときに限って、自らの理を貫けなかったのかと。なぜ、唯一アマデウスに勝りうる点を活かさなかったのかと。考え込み、回顧に回顧を重ねた。
そしてあるとき、その堂々巡りの長い回顧から戻ってきて、手元の木板に目を移し、涕泣した。




