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愚者と城  作者: 的野ひと
16/31

16話 海を越えれば

 平和のうちに、さらに時は過ぎた。戦いが終わってから七年になった冬の日、かつて王国の者たちに戦いを予見させたあのロメスの使者が再び城を訪れた。

 使者は、毛製の上着を何重にも(まと)って現れた。着ぶくれした使者は、冬の船旅を全く苦にしていないふうであった。七年前のあのときは、ずぶ濡れで、必死の形相だったことを思えば、のどかなことだ。使者は再びアマデウスの前に至った。

「お久しぶりです。十年ぶりですね」

 使者は、使者らしくもなく馴れたことばを発した。アマデウスの頬が緩んだ。

「ええ。久しぶりですね」

「アマデウス様もずいぶんご立派になられました」

「そのように言っていただけるとは」

 確かに、アマデウスは若者でなくなろうとしていた。衣の絹は馴染んでいた。王座のアマデウスは、アマデウスらしい誠実さを失わないながらも、ゆったりとした姿を示していた。使者もまた、そこにかつて無かった落ち着きを見いだしたのかもしれない。

「いえいえ、本当のことです。私は、十年前のことをよく記憶しております。あのときのアマデウス様は、どうも一緒にいらした文官様に飲まれていらっしゃったような印象が残っております。そうです。お隣の文官様もよく記憶していますよ」

「ふん。あまり陛下に失礼なことを言うものではないぞ」

 アマデウスの隣りに樫の杖を突いて立つファラードは答えた。ずいぶん皺が増えたこの老人の性格は死ぬまで変わらないらしい。使者は苦笑した。

「もちろん、アマデウス様は最後には決然として親切なことばをくださったわけです。あのときは、その友愛に何も報いることができず、悔しゅうございました。ですから、いろいろとありましたが、我が国とアマデウス様の国とが現在のような関係になったことは、私としてもとても喜ばしいことです。

 さて、今回は、おめでたいことをお伝えすることができます。我が皇帝陛下は、万民の前にて約定を示し、両国の交わりを強固なものにしたいと仰せです。是非とも貴国の信を承けた高貴なる方……アマデウス様が良いのですが、あるいはその信を承けた方に、お越しいただきたく存じます」

「油断させておいて、また貴様たちは、そういうことを言いに来たのだな。陛下に旅をさせようなどと。裏があるに決まっておるわ」

 歳を重ねたファラード。顔の皺に劣らず声もしわがれ、掠れ、小さくなったが、眼光はかつてと変わらない。使者を睨んでいる。

「アマデウス様でなければならないというものでもありません。しかし本音を言えば、それが最も良い形だと私は考えております。どうかごゆっくり、お考えくださいませ」

 結論が出るまでの間、使者は城内に宿泊することとなった。


 その後、アマデウスたちは別室で合議した。ファラードを初めとした群臣のほか、リウスやサリーもそこに居た。

 真っ先にものを唱えたのは、ファラードである。

「陛下がこのような誘いに乗ることなど、以ての外でございます。何か悪意があるに決まっております。そもそも、誰も派遣する必要などないでしょう」

「そういうわけにもいきませんよ。ファラードさん。私が行かないにしても、誰か地位のある人を派遣しないと、角が立ってしまいます」

 そのとき、遠くの席のサリーが、菓子を飲み込んでから口を開いた。

「行ってみたら良いんじゃないの。昔から行きたいって言っていたじゃないの。きっとおもしろいわよ」

 サリーにそう言われて、アマデウスは思い返した。いつか海を渡ってみたかったというのは、本当の話だ。それは幼い頃、ずっと願っていたことだった。しかし、今は立場が変わってしまったから、それもできないことなのだ。

「はは。サリーさん。確かにそうですね。でも、今はそうとも言えなくなってしまいました」

 いや、本当にそうだろうか。言ってから、アマデウスはさらに考えた。ロメス帝国にとって、せっかくの平和と繁栄の時代に、自分を捕らえたり殺したりすることに、何の価値があろうか。危害を加えられる心配が無いなら、その平和をより強調できる方法を採るべきなのではないだろうか。何よりも、あの使者は、信頼のおける人間だ。

 アマデウスは、人を見る目に自信を持っていた。考えるほどに、行っても良いのではないかと思われた。

 そう考えていたとき、リウスが言った。

「遊びに行くわけではないのです。他の誰でも適当な役に任じて行かせれば良いではありませんか」

 ファラードがすかさず加勢した。

「そうですぞ。陛下。御身に万一のことがあっては」

 アマデウスは考えなおす。それもそのとおりだ。万一ということはある。

 しかし、群臣はあくまでアマデウスが行くことを支持した。

「ここは、しっかりと友好を証しておくべきです。恐れながら、いかに陛下の武が優れているといえど、未だ彼我の力関係はあちらに有利でございます。ここは、陛下にご足労いただいて私どもと民との平和をお守りいただきとうございます」

 そう言われると、アマデウスは弱かった。

「それは、そうですね。確かに今はその時期です」

 アマデウスは、自分が行かない場合のことを考えた。群臣のなかから適当な一人を選んで行かせることになるだろう。それは、友好を誓う形として釣り合うのだろうか。ロメス帝国という国は覇権国家だ。大国だ。対等な関係を誓うと口ではいっても、どこかで擬似的な上下関係を欲している。それは、外ならぬリウスに教わったことだ。そういう優越感を満たすためには、小国の王を呼び寄せたという形を整えることが必要なのではないだろうか。いま、あの使者が訪れたことの背景は、それではないだろうか。ロメス帝国の内に、そういう感情があるのではないか。逆にロメス帝国の都に居る人々のそういう優越感を満たさないことの危険は、自分が行くことの危険よりも大きいのではないだろうか。アマデウスは熟考してから判断する。

「やはり、私が行きましょう。必要なことです。それに、大国へ行って見聞を広めることも悪いことではないでしょう」

 アマデウスは軽い口調でそう言い、考えたとおりのことは言わなかった。臣の自尊心を損なわないためだ。そのあたりの感覚は若い頃から鈍っていない。群臣は口々に賛同した。

「それが良いでしょう」

「ご英断でございます」

「ありがたきことでございます」

 アマデウスは、口を揃えた群臣の反応に、ため息をつきそうになるのをこらえた。文官たちは戦後、ファラードを除く全ての者が、ロメス帝国の話題になると軟弱になった。三年の戦いに、ほとほと疲弊したのである。そのことに近年アマデウスは呆れていた。

 表情を曇らせたリウスが、しばらく黙ってから述べた。

「そういうことなら、留めることはできません。仕方ないでしょう。御身の安全を祈るばかりです」

 群臣はともかく、リウスの反応は意外だった。他の者と違ってロメスに関して中立的な兄なら、自分の冒険的な判断を諫めるのではないかと思っていたのである。あるいは、期待していた。

「リウス様までそうおっしゃるのであれば」

 ことここに及ぶとファラードも、苦い顔をうつ伏せに隠して認めざるを得なかった。

 次の日、アマデウスは再び使者を王座の前に迎えた。

「私が行きましょう。それが、最も望まれることなのでしょう?」

「おお、ありがとうございます。是非アマデウス様をお迎えしたいと考えておりました。嬉しゅうございます」

 使者は深く頭を下げた。アマデウスはそこに真心を見た。


 アマデウスは、万一のために親類や臣下に向けた文を残し、十日後に使者と五十の兵とともに旅立った。

 船が揺れる。旅立った十艘の帆船が。それぞれの船は、およそ五人乗りである。木板をつなぎ合わせ、幾度も重ね、箱状にしたものだ。

 海上にある時間は十五日と言われた。冬の海は寒くはあったが、例年どおり穏やかだった。風雨に遭えば困難な船旅となる。

 海の旅も半ばというある日のことだ。当然ながら、もはやどちらを向いても海であった。荒れれば全てを飲み込むかもしれない海に囲まれることは、初めは不安なことだったけれども、優しい潮の音と香りに包まれて昼夜進むうちに、それも安らぎに変わっていった。海の青は穏やかな青だった。もはやどの空を見ても青く、雲はなく、海と空の境だけが白んでいた。雨に打たれることに備えて持ち込まれた毛皮を重ねた筵も、船の上でパリパリに乾いていた。空の青は静かな青だった。

 海の上で、使者とアマデウスは朗らかに語り合った。

「アマデウス様を平和な形で迎える運びとなり、私は非常に嬉しく思います。十年前のあの日より、私は密かにアマデウスさまを敬慕しておりました」

「私も、あなたと旅をすることができて嬉しいですよ。こういう時代が来て良かった」

「本当にそうです。我が皇帝も楽しみにしておられるでしょう」

「貴国の皇帝陛下は、どのようなお方なのですか」

「陛下は、ご高齢ですが、非常に理知的なお方です。我がロメス帝国の皇帝として理想の人格であられます」

「そうなのですか」

「そもそも、他の好戦的な蛮国はともかく、同根でもある貴国との戦いを陛下は望んでおられなかったのです。ただ、全てが皇帝のご一存で決められるわけではありません。特に、長く仕えた臣下は武闘派が多く、その声は無視できないものでした」

 使者は、声に熱を込めた。

「ですから、陛下は実のところ苦しいご決断をなさったのです。そして、三年の戦いを経てようやく愚臣どもの意見をまとめることができたのです」

「あの戦いは、苦しい戦いでした。そのご英断には感謝せねばなりません」

「ロメス帝国としても経済的に非常に苦しかったのです。恥ずかしいことですが、我が国は今、広げた版図を支えきれなくなってきております。要らぬ戦いをしている余裕など、もともと無かったのです」

「そうだったのですね。私たちは、その状況に救われたといえるかもしれません」

「そればかりではありません。苦しい状況といえど、退けられるとは失礼ながら考えておりませんでした。しかし、アマデウス様ご自身が秀でた指揮を執られたと伺ったときは、驚きましたが、納得する部分もあったのです。アマデウス様なら、と。もちろん私の立場では、我が国が退けられたことを喜ぶわけには参りませんでしたが、一方でそのご活躍を思い描き、ご無事をお祈り申し上げてもいたのでございます」

「そのようなものではありません。ああいった血の流れる場に立つというのは、私には向かないことでした」

 アマデウスは、初めの戦いで傷つき引きこもった日々を思い返した。アマデウスが指揮を為すことを決断した背景に、好戦的な要素はまったくなかった。

「ご謙遜をなさいます。しかし、そういった苦しいことも我々の間にはもはや起こらないでしょう。新たな誓いが交わされるのですから」

 使者が声を強くして語ると、アマデウスは海の先を眺めた。胸の鼓動と、潮の音とが重なった。穏やかな海が一瞬だけ、強く波打った気がした。


 船旅は無事に終わった。アマデウスとその護衛たちとロメスの使者とは、ロメスの地を踏んだ。穏やかな船旅であったとはいえ、揺れない大地に立てたことを、皆喜んだ。護衛の兵は海に慣れた者から選ばれはしたが、やはり人は陸に生きるものであるようだ。

 予定どおり、十五日の船旅であった。冬が終わろうとしている。岸を踏んだ地より、ロメスの都までは徒歩で四十日ほどだというから、王国に戻るときには夏になり、嵐も終わっているだろう。

 これは、海を渡ってロメスの地を踏む生涯最後の機会なのではないだろうか。そう考えて、アマデウスは若い日の囚われない心を思い出した。いつかと夢見た海の反対側に、いま、自分は立っているのだ。アマデウスは海を越えるにあたって、ある種の悲壮な覚悟を抱いていたが、一方でここに来て高揚するのを自覚した。

 岸の村は漁村だった。見るからに貧しげであった。石と泥で作られた家は、ところどころが崩れていた。船には穴が空いていた。アマデウスは哀れんで胸を痛めた。

 この旅程では、宿駅に泊まるが、宿駅がなければ村の宿に泊まる。アマデウスは国賓ということで、宿駅に限ってはアマデウスの旅団の宿泊の世話はロメスがおこなってくれた。

 旅程の村の貧しい印象は、歩を進めていっても変わらない。辺境の寒村の様子とは対照的に、街道は極めて整っており、石畳だけは立派だった。だが、アマデウスたちの進み方はゆるやかだった。アマデウスが望んだからだ。

 宿駅がある場合、そこにはロメスの兵が駐屯している。宿駅は帝国の設備なので、きわめて豪奢で清潔である。建材として白い石を用いており、そしてそれをよく研磨しており、宿駅の存在は眩しく際立っていた。周辺には必ず村が成立していたが、どこでも採れる石を混ぜた泥でできた村の家は、小さくて古かった。

 宿駅に泊まることは、概ね二日に一度であった。宿駅のない村に泊まる場合には王国の費用で適当な宿を見繕ったが、その食事は質素であり、寝具は硬かった。ただ、アマデウスはそれを忌むことはなかった。

 宿駅のあるなしに関わらず、アマデウスは、宿泊する一つ一つの村で住民と語らった。アマデウスは村々で愛された。豊穣の国の王として。民が安らぐ国の王として。あるいは、話しやすい青年として。子らも、海の向こうの軍神としてアマデウスの名を知っていたようで、その長身を興味深そうに眺めた。

 アマデウスは旅を楽しんでいた。アマデウスらしく、人々との触れあいを自然に楽しんでいた。アマデウスは愛情と注目を浴びながら、道々で多くの人と語らった。

 一方で、アマデウスは村の古老に願い出て、あるいは自然と持ち上げられて、昼ならば街道の脇の木陰で、夜ならば宿の食堂で、多くの住民に語ることになった。村人たちに囲まれた立った多くの村で、多くのことを語った。

「皆さんと会うことができて嬉しいです」

「皆さんが作ったものはすばらしいものばかりです」

「いま、私たちは皆様とやりとりしているおかげで、この百年のうちで最も栄えています」

「平和の鐘を鳴らしましょう」

 これらの発言はアマデウスの真意だった。アマデウスは交流の時代を愛していたし、その存続を心から願っていた。その真意は、民に伝わったと感じていた。

 同時に打算もあった。今後の交流を強化し、あわよくば移民を得るためにも、できるだけ好印象を与えようと努め、そのために演説した。王として歳を重ねたアマデウスは、自らの魅力を自覚していた。そしてこの旅では、それを利用することを決意していた。そしてそれは功を奏しているとアマデウスは感じていた。

 つまり、アマデウスらしい自然な触れあいは民に愛されたし、アマデウスらしくない打算は民を虜にしたということである。

「アマデウスさんがこの土地の領主だったら」

 という声が、一つではなく耳に入った。

 辺境から都に近づくにしたがって、家々は密集していった。アマデウスと触れあい、その演説を聴く者も増えていった。

 アマデウスは、昼は道を進み、夜は宿泊地の村の人々の前に立つという生活をつづけた。進みは遅かったが、疲れた。

 二十日ほどが過ぎたとき、予定は遅れており、都への陸路の三分の一ほどしか進んでいなかった。同行していたロメスの使者は、アマデウスの到着に刻限があるわけでもないといって、このことを黙認した。使者もまた、アマデウスの演説を聴きたかったのだ。

 その地の村の宿で、アマデウスはホティ族が作った二等身の人形を見つけた。懐かしい人形だ。この人形もまた、商われて旅をしていたのだ。アマデウスは、しばし安らいだ。

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