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愚者と城  作者: 的野ひと
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14話 商い盛ん

 戦いが終わってから一年半ほどが経ったこの夏は、平和な夏であったが、とても暑い夏でもあった。リウスは城壁の上に行き、尖塔によって影ができたところで潮風に涼みつつ、街を見下ろしていた。街には、賑やかに交易をおこなう王国とロメスの民が溢れているのが見えた。この日も、十日に一度の市である。

 三年間の戦いの前にもロメスとの間に交易はあったが、それは一応は密貿易というものだった。戦いがない五十年のあいだも、建前としては敵国だったのだから。特に、ロメスの民のほうから王国に来ることはあまり多くなかった。

 和平が正式なものとなって、そういう枷がなくなった。そのこともあり、交易は戦いの前よりも盛んとなった。

 この夏の日も、多くのロメスの商人が王国を訪れていた。夏は、嵐の春のあいだに阻まれた財の移動が、一挙に起こる季節である。つまり、商人にとっては大きな富を生む機に溢れた季節といってよい。

 よって、市は人に溢れている。賑やかを通り越し、身動きが取れない有様とみえる。街の宿も、ロメスの者で連日満室となっているらしかった。

 この時期、ロメスの人々にホティ族の工芸品が高く売れるようになった。工芸品とは、石を削った御利益のありそうな二等身の人形や、鹿の皮で作られた上着や、簡素だが頑丈な造りの弓であった。それらを見たロメスの人々は、目を細めて珍しがるのだそうだ。

 ホティ族の作ったものがよく売れるようになったことで、王国の民とホティ族とのあいだの取引も活発となったようである。市には上裸のホティ族の姿もしばしば見当たった。

 もともと、王国の民とホティ族のあいだでの物の交換は、無いわけではなかった。

 王国の民は動物の肉を主にホティ族から得ていた。ホティ族も、王国で十日に一度市が催されることはわかっているから、よく肉を売りに来た。ホティ族のことばを解する商人が、それを麦で買うのである。ホティ族は貨幣を用いない。

 ホティ族は二等身の人形や皮の上着や弓を作りもしたが、それらが売れることは、最近は少なかった。王国の民は人形、上着、弓を既に必要なだけ持っていたのだ。

 しかし、最近ロメスとの交易によって事情が変わり、人形、上着、弓が再び価値を持った。ホティ族と仲の良い王国の商人が、そのことをホティ族に伝えた。ホティ族は喜んで多くの人形、上着、弓を作った。王国の商人はそれを買い取り、ロメスの人々に売った。

 それが最近の王国での交易の特徴であり、この日もまたそういう取引が多くおこなわれていた。

 リウスは市の風景をゆったりとした気持ちで見下ろした。良い時代が来たものだと思った。

 リウスはこの頃たいへん機嫌が良かった。この夏、リウスとサリーのあいだには子ができたからだ。男子であり、ロトンと名付けられた。結婚してから三年にしてやっと生まれたこの子をリウスは溺愛した。子が生まれてすぐの頃、リウスはリウスらしくもなく社交的になり、多くの者にこの子の目元が妻に似ていると触れ回った。こういう発言には、通り一遍の儀礼的な同意しか得られないものだが、リウスにはそれが嬉しかった。リウスはサリーと同じくらい子どもを愛していたし、子どもと同じくらいサリーを愛していたのだ。


 民のあいだでの交易が盛んになる一方で、ロメス帝国の帝選交易団なるものが訪れるようになった。帝国の都からはるばる訪れ、都の産品を売ってくれるのだそうだ。ファラードはこれを拒むことを主張したが、和平が成ったばかりのこの時期に、そういった棘のあることはできないと、アマデウスはその帝選交易団を受け入れた。リウスもその点は仕方ないことだと考えた。

 しかし、リウスが問題視することが起こった。アマデウスは、帝選交易団の持ってくる品々に目を輝かせた。そして、仮面のような笑顔で媚びへつらう帝選交易団の言い値でものを買った。これが負担となったのである。先の話になるが、これから何年間か、税の一割ほどをこの交易団に対して費やすこととなる。

 品々のなかには稀に優れたものもあったが、たいていの場合とんだがらくたで使い物にならないと後からわかるのであった。がらくたの代表例は、多くの歯車が組み合わされ、毎日同じ角度回転させることによって太陽と月の位置を正確に測ることができる機械である。あまりにも精緻な造りは、ロメス帝国の都の人の神経症的な過敏さをよく表してはいたが、全く使いみちは無かった。太陽の位置は、空を見上げればわかるのだ。

 アマデウスは機械というものにいたく没頭し、機械信仰とでもいうべき状態に陥っていた。

 アマデウスがこういった状態になったのにはわけがある。三年の戦いのなかで、王国はロメスの機械の弓を戦利品として得ていた。アマデウスは職人に命じ、これを模造させた。なかなか複雑な機構で、一つを作るのに相当の時間を要したが、確かに誰が使っても同様の射程が出るという点は優れていた。このあたりのことにアマデウスは相当に感動したらしい。海岸で射かけられたり、城壁の兵が殺されるのを見たりしたために、この弓に苦しめられたという意識があったのかもしれない。そして、王国の遅れの原因を機械技術に見いだしたのだろう。

 しかし、リウスの思うところでは、この機械の弓は大した物ではなかった。機械の弓の特徴は、王国の弓より射程が長く、誰でも使えることだった。しかし、王国の者が用いるホティ族の弓でも、さほど劣らない射程が出るのだ。そして、それは狩りを生業とするホティ族なら精巧なものを簡単に作ることができる。王国の者でも、作れないことはない。多く作れて替えが利くということには、価値がある。また、使うのにはそれなりの熟練が必要だが、王国の兵は皆十分に訓練を積んできた。今更わずかな射程と使いやすさのために職人の時間を費やすのは無益だとリウスは感じていた。

 リウスは交易に関してことあるごとに諫言した。たとえばある日、子を抱くサリーとともに歩いていた廊下で、アマデウスとすれ違いざまに立ち話をした。

「陛下、あの交易団を信用してはなりませんぞ。あれは、悪意に満ちた者どもです。戦争は終わりましたが、奴らは別の形で我々を陥れようとしているのです」

「お兄様、そんなことはないですよ。こんな珍しい機械、王国では見たことがない」

 アマデウスは取り合わなかった。リウスに対してこういう態度を取ってくるというのは、アマデウスらしくない。アマデウスの好奇心と、お人好しの両方が悪くはたらいているとリウスは分析した。

 リウスにとっては苦々しいことに、サリーもまた口を出した。サリーは、アマデウスの横に立ち、リウスの方へ向き直ってから口を開いた。

「そうよ。本当に珍しいもの。私たちだって、ホティ族のよくわからない工芸品を売りつけているんだから、ちょっとくらい良いじゃない」

「よくわからない工芸品という言い方はひどいけど、とにかくいろいろなものが行き来するのは良いことだと思いますよ」

 リウスはこれらの呑気なことばに呆れた。商いという戦いについて、この弟は何も理解していない。サリーもサリーでなぜ賛同するのか。なぜホティ族の工芸品とこのがらくたを一緒にするのか。ホティ族が馴染まないからなのか。実用性が違う。あの、安くて丈夫な弓がロメスに与えうる価値についてわからないのか。いや、そういう問題ではない。この二人は、国庫の麦を何だと思っているのだ。

 とはいえ、子を抱いたサリーを怒鳴りつけるわけにもいかない。そのじくじくとした感情は胸に秘めた。

 だが、こういったやりとりは幾度にも渡り、リウスのやりきれない感情は高まっていくのだった。


 アマデウスの交易での損失(リウスはこれを損失と呼んだ)が著しいことは、リウスとファラードにはよくわかった。リウスと老臣ファラードはともに嘆いた。この激しやすい老人と気が合うことは珍しいが、いくばくかの慰めにはなったといえる。が、民とサリーにはわからなかったらしい。リウスにはアマデウスの失敗を多くの者が理解せず、そのために行為が正されないということがもどかしくてならなかった。ばかな弟め、とまっすぐ感じたのは、五年ぶりだろうか。

 それだけではない。サリーが理解してくれないということが、実のところそれ自体悲しくもあったのだ。

 そういう暗い感情を抱くと同時に、ロトンは経済観念のしっかりとした人間に育てなければと、リウスは密かに決意した。アマデウスには子が無く、いざという時は、この子どもが王となるかもしれないのだから。

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