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愚者と城  作者: 的野ひと
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12話 一つの戦いが終わって

「やっぱり、たいへんな時間だったわ。厳しい時間だった。麦と豆しか食べられないことも、毎日祈るしかできないことも」

 サリーはリウスに対し、先の戦いについての感想を語った。口にはしなかったが、当然、少なからぬ者が死んでいったことも。こういった苦難の感覚は、誰しもにあったことだろう。

「私はあなたと広いところですごさせてもらったけど、みんなが廊下にまで溢れて眠っているのを見ると、さすがにいたたまれない気持ちになったわね」

 そういった厳しさを知り、さすがに戦いの前のふわふわとした気分を脱したサリーであった。だが、一方で城の中では最たる傍観者であった。特別扱いされて身にかかる苦難が少なかったし、だからといって何かの役割を担うわけでもなかった。だから、醒めたことばが出てくる。

「たしかに」

「寝床が広くなったら良いなと思うの。そんなこと、なかなかできないでしょうけど」

 サリーがため息とともにそう言ったセリフは、サリーの立場だからこそぽろっと口からこぼれたものにすぎない。しかし、本気にする者が幾人か現れた。そしてなんとこれは実行に移されることとなった。

 城の中でも、土面が露わになっている場所は少なくない。そういう場所の床を掘り、もともと床があったところに木の板を張るという工事をおこなうという。こうすることで、緊急時には板の下の空間も寝床になり、いわば寝るための空間が倍加するという仕組みだ。

 民が城に押し込められて暮らす時間の精神的負担の問題を、多くの者が重大なことだと捉えていたらしい。サリーが口にしたことで、やはりそうだろうと賛同する者が多く現れた。会議の場では、このことはサリーの発案ということになった。サリーの名前を使うためなのだろう。ある種の責任転嫁であるとサリーも知っていたが、さほど悪い気はしなかった。

 それに、ロメスがまた来るということだって、大いに考えられた。対策が必要なのは確かだった。ある時期の殺伐とした城中の空気を思えば、対策の一つとしてあながちわけのわからない工事というわけでもなかった。


 こういった工事がおこなわれはじめた一方で、アマデウスが用兵を学びたいと積極的に言いはじめた。その結果、城の中に居るときは常に関連の木板を携行するようになったし、数日に一度は訓練の場で将軍と並んで指揮を執るようになった。

 ある日、サリーが城の食堂でアマデウスにそのことを問うと、アマデウスは地面の一点を見詰めた。過去を思い起こすため、力を振りしぼるかのように。

「何かできることがないかなと思ったんです。気持ちの問題かもしれないんですが」

 サリーには、アマデウスが抱いている苦しみがよく分かった。幼いころから他人に対して何かせずには居られない人間であったし、何もできないときには涙を流す人間であった。

「ううん。良いんじゃないの。きっと、できることがあるわよ」

 しかし、後から寝室でこのことをリウスに話してみたところ、賛成というような反応はあまり得られなかった。

「果たして意味があるのだろうか。こういうことは、将軍の仕事なのだ。戦いが起こっているとき、王として頼りない状態ではいけないが、だからといって用兵を本意気でおこなうというものでもない。民の前で為さねばならないことはいくらでもあるはずだ」

「頑張ってるんだから、認めてあげたら良いじゃないの。ほら、兵士たちを導く人だって、足りてないって話だったじゃない」

「そもそも、そういう性質の人間ではないと思うのだ。できないことをするものではない」

 サリーは内心、アマデウスを哀れんだ。意味のある仕事だとか、他にできることがあるとか、今たいせつなのはそういうことじゃない。その辺りのところがどうしてわからないのか。わずかにため息が出る。もちろん、リウスが王国のためを思って言っていることはわかる。この真面目さが好きだ。けれども、ときどきもどかしくなる。この兄が怒りを伝えたことで、アマデウスを立ち直らせたのだ。そのときのように、いつも正面から思うところを伝えてほしいと感じる。

 アマデウスが用兵を学ぶ様子は、それまでの社交的な――リウスに言わせれば、ふらふらした――アマデウスとは全く異なっていた。アマデウスは毎晩自室に籠もって木板とにらめっこする。他人を寄せ付けない真剣な目つきはリウスに似ていて、案外兄弟なのだなとサリーは初めて感じた。ただ、独りの部屋で時折ぶつぶつと言いながら学ぶのを部屋の前を通るたびに見ると、冬の寒さ以上に肌寒くなった。その感覚は、夫に対しては抱いたことのないものだった。ふと、アマデウスにも伴侶が居れば良いのにという思いが浮かんだ。

 そういう不気味さは、訓練の場を眺めていても感じられた。たとえば、砂浜で兵を叱咤するアマデウスが長身から張り上げる声は、怒声という感じで、サリーが聞いたことのない声だった。従来アマデウスという王は兵にも親しみをもたれていたが、新たに見せた毅然とした姿は、敬意とわずかな恐怖を抱かせたようだ。

 サリーは初めは応援していたけれども、その自らを捨てた姿勢をだんだんと心配するようになっていった。

 それでも、アマデウスはロメスのものも含む書物の知識と、王国が蓄積してきた経験とを学び、めきめきと軍略を身につけているらしかった。将軍たちが、儀礼の程度を超えてアマデウスを賞賛するのである。それならまだ良いかと、少し安心する面もあった。


 さて、寝床を増やす工事のほうは順調だったか。土を運び出して板を張るだけの簡単な工事だったから、三十日もかからなかった。土から板敷きになった広間を見て、サリーは少しときめいた。板の下に入ってみる。横になり、顔一つ分上にある板を見つめながら、

「うん。けっこういいじゃない」

 と、呟いてみるのだった。

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