11話 閉塞
戦いが始まって二十日が経ったとき、アマデウスが怯えて出てこなくなったことは、多くの者に動揺を与えた。
リウスはこのことについて呆れた。城のさまざまな者が説得し、最終的には出てくるまで十日を要した。
しかし、再び尖塔の上に立ったアマデウスの声は小さく、その覇気の無さは兵に伝わった。このころから、王国の士気は目に見えて落ちていったといえる。
そういう状況だったので、鼓舞する役目にリウスも駆り出されることとなった。しかし、リウスは全く人気が無いので、あまり良い結果をもたらすことはできなかった。リウスにとっては腹立たしいことに。
赤い革鎧を纏ったロメスの兵の背後に、複雑な形状の革の兜を頭に乗せた者が居るのを、リウスは尖塔の上に立つようになって初めて見た。敵将に違いないと察した。その日の夜、問うた。
「なんとかあの尖り兜を殺せないのか」
将軍は、首を横に振る。
「さすがに無理でしょう。矢が届かない距離ではありませんが、家で身を守りながら、油断なく指示を出しています」
「結局この戦いも、我慢比べというわけか」
半年が過ぎた。冬である。
食糧は、三年分の蓄えが用意されているから、不安はない。水は、樽に蓄えられたものが十分に存在するし、城に隣接する川から補給してもいる。その点も不安はない。
いや、不安はあった。民にとっては。兵と民は鬱屈していた。蓄えは失われたわけではなかったが、民の不安は高まっていた。古い麦と豆を交互に食べる生活によって、民は苛立ち、小さな諍いが増えていた。そういった精神的な負担が生まれるのは、著しく狭い空間に押し込められているためかもしれないし、食べ物の単調さのためかもしれないし、あるいはそれらの食べ物からは力の精を体に取り入れられないためかもしれない。いずれにせよ、克服する術は無い。三年の蓄えがあるから不安でないと冷静に言える者は、多くはなかった。
しばしば出る死者には、民はむしろ慣れていた。一人の人間が死ぬたびに、恐れて騒ぐことはなくなった。それでも死の報は何らかの形で城全体に伝わり、親族と知己だけが、泣いた。
ロメスの攻撃は、いつのまにか五日に一度となり、十日に一度となっていた。死者を生みながら攻撃を続ける無為を悟ったというべきかもしれないし、疲弊しているというべきかもしれない。とにかくロメスのほうも、攻めあぐねているのだ。王国の者はそういう感覚を抱いた。抱くしかなかった。
さて、民は死に慣れたが、王でありリウスの弟であるアマデウスは慣れなかった。むしろリウスから見るに、一つの死によってアマデウスにもたらされる衝撃はだんだん大きくなっていた。そして、やつれていた。その姿を民の前に晒すわけにはいかないから、アマデウスはあるときから再び自室に籠もらざるを得なかった。リウスはアマデウスを見舞った。
「陛下、お調子はいかがですか」
アマデウスは初め、リウスに気づかないようで、小さな窓から呆然と外を見ていた。城壁を見ていた。リウスは少し声を張る。
「陛下」
「ああ、お兄様」
「陛下がその調子ではいけません。陛下は兵と民の希望なのですから」
「……ちょうどこの場所でした。今はもうわからないけれど。そう、わからない。片付けられてしまって、血も拭きとられてしまったんです」
アマデウスが初めに衝撃を受けた死のことを言っているようだ。
「そうですね。しかし、それは必要なことです。私たちは目の前のことに集中しなければなりません」
「でも、死んだんだ。忘れるわけにはいかないんです」
「違います。鈍感にならないといけないのです」
二人は沈黙した。窓の外に、城壁の下でなんとか寛ごうとする民が見えたのは秋までのことで、今は誰も見えない。立ち木も取り除かれた。見えるのは城壁だけだ。
「ぼくは独りなんだ」
「は?」
「ぼくは独りなんです。こういう戦いが始まったから、よくわかるんです。何もできない。何も支えられない。飾りとして、死んではいけない。でも、自分が生きるためにも、民が生きるためにも、何することもできない。今までもできなかった。尖塔の上でそういう自分を見せつけられるのに、もう耐えられないのです」
リウスの頭の中で、糸が切れる音がした。
寝台に寄る。アマデウスはリウスを見詰めてくる。煮え切らないアマデウスの頬を、リウスは顔を赤くして――とはいいつつも、部屋の入り口に人が無いか確認しながら――殴った。
「お前はいつまでそうなのだ。王なのだぞ。自覚がないのか。子どもと何も変わらんではないか。もう我慢ならん。窓から顔を出して見よ。城壁に立つ兵を」
アマデウスは窓から顔を出し、城壁の上に立つ兵を見上げた。
「見えるか。雷雨にも寒風にも耐えつづけてきた兵が。決死の戦いをおこなってきた兵が。お前を守る兵が」
アマデウスは殴られた頬をさすりながら、じっとそれらを見詰めた。
「独りだと? お前の唯一の取り柄すら失ってしまったか。民のことをよく知るのがお前ではなかったのか。民はまだ戦っている。生きている。民を生かすのは、お前しか居ないのだ。民はお前を見ている。王が独りになるときとは、国が滅ぶときぞ」
アマデウスはゆっくりと立ち上がった。
「ありがとうございます。お兄様。私は子どもですが、お兄様が居る限り立ち上がれます。それを今知りました」
「そうか。……では、お行きください」
日は暮れつつあった。アマデウスは、リウスに見守られながら尖塔に立った。久々に見たアマデウスのやつれた頬に、民はどよめいた。しかし、アマデウスは城壁にこだまする大音声を放った。
「いま、踏ん張ってもらわなければならない。民よ皆、声を上げてくれ」
アマデウスの声を受け、民と兵は喚声を上げた。戦いの始まりと変わらぬ喚声を。ロメスの兵の耳をも裂くにちがいない喚声を。
アマデウスはこの日から明らかに変わった。それを受けて、民は諍いをやめた。そして、王国の兵は動きを良くした。覚悟の決まった動きをしていると将軍は評した。よく戦って死ぬか、戦わずに死ぬか。
そして何十度かの交戦があったのち、次の春の嵐が来る前、ロメスに撤退を決断させたのである。
戦いが終わって、万事が落ち着いてから、リウスは黙考した。
アマデウスの変化が起こらなければ、戦いの結果は異なっただろうか。そういうことはなかろう。ただ、アマデウスが変わったことに大きな意味がある。アマデウスは、自覚せずにはいられなかったにちがいない。自らの影響力を。弟は本当に王になってしまったのだな。素晴らしいことだ。
しかし、リウスは胸がざらつくような感触を覚えた。




