1話 農地と町と城
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川はゆったりと海に注ぐ。
日が沈む方角にある山から、日が昇る方角にある海へと注ぐこの川を、人々はルー川と呼んだ。先住民のことばで、恵みという意味らしい。
川沿いにはイチョウの木がどこまでも植えられており、まだ緑の葉を茂らせる木々が、それぞれやわらかい日陰を作っている。
青年が、数人の従士とともに左岸の木陰で休んでいる。この国の王子のひとりである、アマデウスだ。
アマデウスは、しばらく川と、その向こうの市場を眺めていた。
今の時期であれば、豆や魚、鹿などの食材が売られる市場である。他に、布や木工品なども売られる。
十日に一度、王が市場を主催する。それなりの頻度であるが、しかしこの一万都市の全ての者と全ての財が集まっているのではないかというほどに、その市場は賑わうのである。
この市場は、この町が大都市となって栄えていることの象徴だ。
少年が、硬貨を差し出す。露店の老女は石刀で鹿肉を切り分けて差し出す。少年は、人混みの中を走っていく。今日は祝い事だろうか。
アマデウスは、その動きをうっとりと見つめる。この日とこの光景を愛しているのだ。
十日に一度おこなわれる市場の日に、町を歩くのは、ある時からアマデウスの習慣となっていた。
その後、しばらくして腰を上げた。
「そろそろ行こうか」
アマデウスは木に繋いであった白馬に跨がり、従者を引き連れ、川から離れる方角へ歩を進めた。
川に対して垂直に、数本の大通りと水路が走っている。右岸は市場が催されていた広場を中心として、商業が盛んであるが、左岸には、住宅街がある。棒にかけて干された服や、紐で連ねられて吊るされた果実。窓から和やかな話し声が漏れ聞こえる。家々は、生活の香りを放っている。
住宅街を抜けると、建物が途切れる。そして、見渡す限りの農地が現れる。長年の開墾の成果により、農地は遠く海と山がひとつになるところまで至っている。
大通りは途切れるが、水路は途切れず、全ての農地に水を供給している。
一人の農民が、歌を口ずさみながら鍬を振るっている。金属製の刃をもつ鍬は、サクッと気持ちよい音を立てながら、麦の根が張る土の隙間を形成していく。
鍬を振るう手を休めて、袖で汗を拭った。
上を向いた顔に、笑みが宿る。心地よい疲れと、豊作への淡い期待。
アマデウスは、彼に声をかける。
「今年はどうだい」
「良い苗が育っていますよ」
半年後には、眼前の風景は麦色に染まっているだろうか。アマデウスもまた、期待する。この農夫は、ここ十年で最も多くの収穫を得ている。
白馬を再び町へ向けた。町の中心にある城に帰るためである。王の親族と近臣は、城内に住居を有している。
その城は、水堀があり、城壁があり、塔が立つ城だ。方形の壁に囲まれた内には、非常時には住民の全てを匿えるだけの敷地があり、三年分の雑穀の蓄えがある。
城の一辺はルー川に面している。これを自然の堀としているのだ。
また、日が昇る一辺は海に近い。海側の堀と海岸との距離は、満潮時には五十歩ほどとなる。そのような間隙は、布陣には到底適さないといえる。
堀の内側には城壁がある。人の背丈ほどの石造りの壁が、初めて戦った時のこの城の姿であったという。しかし、今その城壁は人三人分の高さに及んでおり、厚さも増し、内部を確実に守っている。
城壁の四辺と四隅には、小塔があり、弓兵が身を守りながら攻撃できる穴の開いた円形の壁から成っている。
城壁の内側に建屋がある。普段は為政者の空間であるが、戦時には民衆が逃げてくることになっている。
平板な建屋だが、中央には城塔があり、城塔だけが城壁の高さを上回っている。この塔からは、町と農地を見下ろすことができ、遠く山と海を見通すことができるのだ。
堅牢で飾り気のないその作りは、唯一、大昔の戦いの香りを遺す建造物である。
城は、およそ百年前、帝国の兵を撃退するために建てられた。垂直に、整然と組み上げられた石であるが、確かにところどころ大きく欠けている。当時の傷跡である。
その時代には轟音に包まれたに違いない城は、今となっては静かにそこにある。当時はそこに無かったに違いない、立ち並ぶ街の風景と一体となって。傷ついた城壁の下には色とりどりの花壇がわずかな憩いを生み出しており、それを見慣れた背景として、人々は安らかに毎日を過ごしている。
アマデウスは、城壁の傷ついたひとつの石を、愛でて、優しく、撫でた。