7.連合国の反撃! そして!
1944年。それがおそらく八百万の神々のご加護が通用するタイムリミットだったのだろう。大日本帝国の快進撃は収束し、主に物資の不足のために兵たちから不満の声が上がっていた。士気はどん底にまで落ち込み、アメリカによる本土攻撃までありえるという情勢になってきた。
この時期のことを国民的文豪はこう表現している……という説がある。
『ヒロポン――ヒロポンが欲しいですよ。僕はヒロポンが欲しい。それ以外のことはなにも望まないと断言していい。とにかく、ヒロポンだ。それがあればいいんだ。……おい、家内、ウイスキーがあったろ。もってこい。……え? ヒロポンがあればウイスキーはいらないんじゃないかって? 馬鹿、馬鹿だねキミは。どうしようもありませんや。現に手元にヒロポンがあればウイスキーなんかやらなくたっていいんだ。けれどいまはヒロポンがないんだ。だからウイスキーをやるんだ。ロジカルだろうが。ねえ。……キミ、煙草もってないか? え? ない? じゃあ買って来るんだ。いますぐ。買えない? 配給の切符がない? ああ、そうか、とんでもない時代になっちまった! じゃあ盗んでこい! その間僕はこの小便くさい睡眠薬を飲む。ウイスキーで腹に流し込むんだ。そうすると……まあ、しばらくはヒロポンがなくても生きていられる。寝るわけだからね。寝ている間はヒロポンが要らないんだな。じゃあずっと寝ていればいいんじゃないかって? ……その手があったか!』
この歴史的記述には目を見張るものがある。当時の日本国民の悲観的、退廃的な感情をほとんど詩的といっていいような美しい筆致でもって表現している。
そして文豪のこの発言ののち。東京大空襲。1945年初頭。
1945年8月6日。原爆投下。無意味な虐殺。
1945年8月9日。原爆投下。無意味な虐殺。
1945年8月15日。――調印。降伏。
まだ戦争は終わっていない。ゆめゆめ間違えてはいけない。まだ戦争は終わっていないのだ。シベリアの臣民諸君。どうかご無事で。どうかご無事で。帰還の途上にある神兵諸君、どうかご無事で。どうかご無事で。捕虜となり生存した勇者諸君、どうかご無事で。どうかご無事で。これから貧苦の生活にあえがなくてはならない臣民諸君、どうかご無事で。どうかご無事で。
国民全員が苦境に陥った。