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4.爆弾三勇士出撃!

 真珠湾攻撃と同じ日にその事件は勃発した。


 ――盧溝橋事件。


 これは中国に成立していた周恩来を元首に据える国家、「中華民国」の鉄道路線を陸軍の一部の将校たちが独断専行によって破壊したことを発端とする、一連の戦闘行動を指す。


 中国方面に配置されていた陸軍のことを「関東軍」と呼称する。これは隊の成員が群馬、栃木、茨城、埼玉、東京、千葉、神奈川の出身者で占められていたことから名づけられた名前で、実際のところこの土地の男たちは昔から「坂東武者」などと言われ、気性の荒いことで有名だった。


 その気性の荒さは戦場において、ときに益となりときに仇となる。今回の場合は後者だったのだ。なにせ盧溝橋事件は、のちに帝国にとって大きな禍根を残すこととなったのだから。


 群馬生まれの将校は、敵の物資の補給路を断つために鉄道路線の爆破破壊を強硬に主張した。


 まず栃木の将校がそれに同意を与え、茨城の将校は沈黙したまま首肯する。埼玉の将校はしばし思案するもやがて賛成に傾き、千葉の将校は元からやる気に満ちていた。残るは東京と神奈川だが、彼らは当時珍しく民主主義的教養リベラルアーツを身につけていたので、現に場が賛成多数であり、その決定が民主主義的手続きを経ていたことを確認するやいなや、即座に爆破準備にとりかかった。


 勇ましい軍歌を口ずさみながら爆弾を設置する関東軍指揮官たち。その様子をそっと見ていた三人の男があった。彼らは赤紙で招集された若旦那たちで、歩兵小銃なんかよりもノミとカンナが似合うような職人の子弟であった。


 三人は相談して、将校の手伝いをすることに決めた。日の出前のことである。暁の輝きを浴びながら、彼らは群馬生まれの将校に助力を申し出た。将校はそれを喜んで承認。爆弾設置を積極的に援助した彼らを「爆弾三勇士」とあだ名し、他の兵の模範とした。


 「話」というのは時間が経過し、距離が開けば開くほど、脚色されたり一部が欠落したりして、原型からどんどん変化していってしまうものである。帝国の従軍記者は当初、この「爆弾三勇士」のエピソードをありのまま忠実に本社へ伝えたが、大衆扇動家たちの集う編集部はこれを脚色。いつのまにか話は大きくなり、三人は殉死したことにされた。


 臣民たちは脚色されたエピソードに酔いしれ、感動を味わったわけであるが、三人はちゃんと生きていたのである――その時点では。


 のちになって、三人は異邦の地で戦死を遂げた。立派な死であった。それはかつて新聞に報道されたほど派手なものではなかったかもしれないが、実直な臣民として己の義務を果たし、散っていったのだ。


 われわれは派手な死に感動し、地味な死を無視する。しかし死はあらゆる人々に平等であり、エピソードの有無は関係ない。産まれた、生きた、死んだ。そのサイクルのうちにいったいなにができるのか。なにをなすべきなのか。先人たちはなにをなしてきたのか。それをよくよく研究して、日々を暮らさなくてはならない。


 「爆弾三勇士」騒動がわれわれに教えてくれるものは、本当は、そうしたことなのだ。


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