由莉の特訓の成果
「由莉ちゃん、以前と比べてどうにゃ?」
「すごいです……! 今なら阿久津さんにも勝てる気がします!」
───約束の3週間が経った。音湖は由莉の伸ばせる長所はできるだけ伸ばした。時に真夜中に車をぶっ飛ばして廃工場で特訓をしてみたり、時にゲームで駆け引きをさせたりと、由莉が持っているものを引き出してみせた。
また、由莉も自身の力が前までとはかなり変わったと自覚があった。だからこそ、阿久津に勝てるなんて大口が本気で言えるようになったのだ。
「にゃはは、由莉ちゃんも大きく出たにゃ。でも、えりかちゃんを助けるためならあっくんにも手を出せるくらいには強くならないと……にゃ? ……それに、生かすことは殺すことより遥かに難しいにゃ」
「……分かっています。それでも、私はやります」
言い聞かせるように音湖にそう言われた由莉だが、曲げるつもりなんてないと音湖に真剣な眼差しを向けると、安心したように軽い笑顔で肩を竦めた。
「由莉ちゃんは本当に真っ直ぐな目をしてるにゃ。そんな由莉ちゃんだったら出来るって師匠のうちが保証するにゃ。さて、そろそろ2人の所へ向かうにゃ。あっくんとえりかちゃんをびっくりさせてやるにゃ!」
「はい!!」
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由莉と音湖が階段を降りると、えりかと阿久津は2人を待ち構えていた。えりかもこの3週間ずっと実践で練習していたから間違いなく強くなっている事がなんとなく感じ取れる。
「待ってましたよ、由莉さん」
「ゆりちゃんっ、ぜったいまけないからね?」
えりかは由莉を目にすると喜びと共に、早くやりたいという思いが一気に強さを増した。由莉に買って欲しいというのはえりかの心からの本心だが、それでも絶対に負けたくなかったのだ。
そんなえりかを見て由莉も嬉しそうにしながら壁に吊り下げられたナイフを手に取ると早速、2人は2~3メートル離れて見あった。その時、2人はお互いの成長をひしひしと感じとっていた。
「ルールはナイフを急所に当てるかどちらかが降参する、それか戦えなくなるまで。それでいいよね?」
「うんっ」
(すごい……えりかちゃん、前に見た時よりも全く隙がなくなってる)
(なんだか、ゆりちゃん……変わったよ。あくつさんとやってるくらい本気ださないと……まけちゃう)
わずか数メートルの合間に2人だけの空間が形成され、阿久津と音湖が存在している事すら忘れさせてしまうほどだ。
えりかは早速ナイフを構え、戦闘を始めようとする。だが……由莉は一切構えようとしなかった。
(ゆりちゃん……どうしたんだろう? ううん、もうはじまってるんだから本気でやらなくちゃ!)
その様子に一抹の不安を覚えつつも、えりかは素早く詰め寄り左ストレートを繰り出す。
まずは由莉を避けさせてから隙を突いてナイフを当てよう───そんな魂胆でいた。
グキャッ
「えっ…………」
「─────」
だが、由莉はその拳を避けることはなかった。えりかの拳はそのまま柔らかい頬を狂いなく打ち抜いた。
……だからこそ、えりかは二撃目を出せなかったのだ。
触ってても心地よい由莉のぷにぷにの頬の感触が今、この状況に至っては……気持ち悪い。
もしかしたら、まだ由莉は始めるつもりはなかったのかもしれない、なにか一声かけてからの方が良かったのかもしれない、そんな思いがえりかの拳をぷるぷると震わせた。
一方の由莉は拳を受けてもなお、ほとんど無表情でいるのだから余計にえりかの感覚が嫌がらせを受けているように逆なでられる。
いよいよ怖くなって拳を離そう───そう思い手の力を抜いたその刹那、
由莉は……笑った。
狂気的な───そんな笑みを、
「っ!?」
やばいっ!!そう思い体に力を入れようとするがその時には既に由莉の足が右端から迫ってくるのが見えていた。
力の入っていない右手をすり抜けるようにして手加減0の左ミドルキックがえりかの脇腹を抉り取った。さらに、めり込ませるようにえりかの脇腹を足で押しながら真横に回りこむ。
庇おうとするえりかの右手にナイフを握った手を絡めて動きを封じると、そのまま空になったえりかの側頭部にうねりを効かせたパンチを打ち込んだ。
「うぐぅ……っ!」
一瞬意識を持っていかれそうになるもえりかは強引に由莉の体にナイフを当てようとする。だが、それは由莉がサッと絡めた腕を解いて回避されてしまう。
これ以上はまずいとえりかは体制を立て直そうと後方にバク転、さらにその勢いでバク転をして大きく後ろに下がる。
そんな大きな隙を見逃すわけがないと由莉は足に限界まで力を込め、一気にえりかに迫る。この3週間、獣道を駆け回っていた成果は伊達ではないようでその速度はさらに増していた。体感速度は……今までの倍と言ってもよい。
(はやいっ! あんなの今までのゆりちゃんじゃない! あくつさんより強いかもしれない……っ!)
僅かな時間で出来た中でえりかは自分の意識を戦闘に集中させる。
えりかの懐に入った由莉は最速から1歩で0にすると、残った勢いを全て使いえりかの左太腿にローキックを叩き込もうとする。
だが、その技は慣れたと言わんばかりに足を少し外側に開き、脛の正面で受け止める。
今度はこっちの番とえりかはナイフを突き立てるように足に振り下ろす。
それを脛を思いっきり蹴るようにして回避すると、遠心力で由莉の体が後ろ向きになってしまう。
(もらった!)
完璧な隙だ、後ろを向いてるのだから避けようがないとえりかは手首を返して由莉の首に目掛けてナイフを突き出す。少しは痛いと思うけど、後でたくさん謝ろう───そんな思いでいた。
だが、そこでえりかは2週間前の出来事を思い出す。
(あれ……?あの時、ゆりちゃんはわたしがなぐりかかったのを見ずによけてたよね……。っ!?もしかしてっ!)
(────見えてるよ、えりかちゃん)
由莉はニヤッと不敵に笑うと足を思いっきり中に引き込む事で回転速度を一気に上げると蹴った足を軸に置き換え突き出されたナイフを持った右手を同じく右手で捕まえる。
その時、ナイフは由莉の左手にあった。
(っ、いつのまに……!)
えりかは驚愕して目を見開くも、これも由莉が描いていたシナリオだった。
この時のためにえりかの意識をナイフから完全に逸らしていたのだ。
由莉がナイフを持ち替えたのはえりかが後に下がった時。そして、それを気づかれないようにナイフではなく蹴りの攻撃をしたこと、敢えて隙をみせたこと、その理由の全てが今の状況を作るためだったのだ。
生まれた遠心力を生かして由莉は唸りをきかせた左足を脇腹にめり込ませる。防御する暇も備える暇も与えないその攻撃にえりかは痛みと共に戦意を奪われた。
「くぅ……っ!」
(まだ……まだ終われないっ! わたしだって……かんたんに負けたくない!!)
負けたくない、その一心でありったけの戦意をかき集めたえりかは最後まで足掻こうと真横にいる由莉を見た──────だが、
ナイフはすぐ首元まで迫っていた。
「ぁ……」
……死んだ。そう直感せざるを得ない殺気を纏った由莉の瞳を見たえりかは体を動かすことが出来なかった。そして…………
「……まけ、まし……た…………っ」
……首元にピタリとナイフを当てられたえりかは自分の持っているナイフを地面に落としながら降参したのだった。