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車の運転は好きだ。
天気は快晴。三角窓は開けてあるが、吹き込む風が気持ちよさそうだと思ったので、レギュハンをくるくると回して窓を開けた。思った通り秋風は心地よく、抜けるように高い青空が拡がっていた。
引っ越してきてよかった。都会の喧騒の中を運転するのもいいが、広い道路をのびのびと走る方が、俺にもこの車にも合っているらしい。よく、混雑している所を運転するのは嫌いだという人がいるが、あれがいいんじゃないか。操作が多くなる分、車との意思疎通ができるような気にさえなる。
マニュアル車が嫌いなヤツってのは何が嫌なんだろうな。楽しいのに。
引っ越してきて一か月足らずだが、近辺を色々とドライブして回ったおかげで、ある程度は土地を覚えることもできた。
越してきたマンションの近所にある居酒屋のことを思い出して、つい俺は顔をしかめた。先週の苦い記憶が蘇る。あんな目に遭うのは、二度とゴメンだ。そのために、俺はわざわざ休日を潰してまで、役所に向かっているのだから。
○ ○ ○
眼前には、紙束と筆記具。そしてマークシート。
適性を見るためには、より多くの設問が必要だとかなんとか、さっきの人は言っていた。確かにそれは認めよう。しかしなあ。これはちょっと多すぎるのではないか。
配布された新品の消しゴムをすっと立てる。それと同じくらいか、それよりも少し低いくらいの分厚さもある紙束。これがすべて適性検査のための設問だというから辟易する。
俺の他にも数人、検査を受けに来た人間がいる。同じように紙束の存在感に圧倒されている気配がする。
「それでは、始めてください。検査時間は90分です」
眼鏡をかけた職員が、静かにそう言った。
これも、輝かしい俺の未来のためだ。多少の面倒はこの際我慢しよう。
設問1
『自分は積極的である』
設問2
『気は長い方だ』
設問3
『用もないのにコンビニに立ち寄ることがある』
おい、ちょっと待て。これは適性検査というより、心理テストか何かの類じゃあないのか。ん、いや、待てよ。心理面の適性を見ているのか。まあ、そうか、そうだな。仕方ない、続けよう。
設問62
『一つのことに集中すると、周りが見えなくなるタイプだ』
設問63
『寝起きは良い方だ』
設問64
『和食より洋食が好きだ』
一つ一つの設問を見ながら、マークシートを埋めていく。単調な作業は嫌いではないし、回答がすべてイエスかノーの二択形式であることもありがたい。
部屋の中の静かな空調の音と、俺と周囲の人間が走らせるペンの音。そして職員の静かな寝息。おい、開始10分で寝るとは何事だ。
それにしても、まだまだあるな。
設問288
『過去に失恋の経験がある』
設問289
『そばよりうどんが好きだ』
設問290
『紅茶よりコーヒーが好きだ』
疲れてきた。車の運転がしたい。適性どうこうっていうより、もうただ単に好みを聞いてるだけに見えるぞこれ。他から聞こえるペンの音も、だんだん粗くなってきている気がする。そもそも、正解も不正解もないんだから、適当にやってもいいんじゃあないのか。
いいだろ。免許の交付には何の不都合もないだろう、これは。
設問581
『洋食より和食が好きだ』
ん? この設問……。
最初の方に終えた設問を見直して、少したるみかけていた気分が引き締まった。最初の方の設問に、同じようなものがある。なるほど、これに矛盾する回答をしてしまうと、短気で文を読まないヤツと判断されてしまうのだろう。
気が付いてよかった。
真面目にやろう。確かに、忍耐力というものは何をするにせよ大切だ。ふざけて作られているような適性検査だと思ったが、意外と考え込まれているのかもしれない。
設問960
『自分には霊感があると思う』
設問961
『環状線の駅名を全て言える』
設問962
『環状線の駅長の名前を全て言える』
前言撤回だ。ふざけている。駅名はともかく、駅長の名前を言えたとして、それをどうやって二択のマークシートで判別するつもりだ。
いかん。頭がぼうっとしてきた。いつもならこんな時には缶コーヒーでも買ってスッキリするのだが。注意力散漫な状態での運転は、自分だけじゃなく周りにも危険だからな。しかし検査中とあっては席を立つわけにはいかない。
試験管の寝息だけでなく、俺の後ろからも寝息が聞こえるぞ。どうやら、誰かが撃沈させられたらしい。無理もない。これほど長時間に渡る二択に答えたことのある人間など、そういないだろうから。
しかし、この町の人間はこの苦行を通過儀礼として通ってきているのだと思うと、もうそれだけで尊敬できる相手なのではないだろうかと思えるのもまた事実だ。
実に千問に及ぶ適性検査が終わった。
ああ、終わった。終わったよ。適性の有無も気になる所だが、何はともあれ終わった。大きく伸びをしてペンをかたりと机に置くのと、職員が終了の合図を出したのがちょうど同じくらいだった。
○ ○ ○
結果として、今回の検査で適性があったと判断されたのは俺だけだったらしい。他の人ががっくりと肩を落とす中、窓口に呼ばれた俺は一枚のカードを手渡された。
あ、後ろのヤツが駅長の名前を答えろと言われている。うっかりイエスにマークしてしまったんだな。可哀想に……。
ともあれ、これでついに俺も資格保持者というわけだ!
役所を出れば外の風は変わらず爽やかで、秋の日差しは緩やかに俺に降り注いだ。
「恋愛免許 乙種 Ⅱ類ね。
ふざけた条例だよ、ホント」
誰にでもなく愚痴るように呟いて、手渡されたばかりのカード――この町における恋愛を許可する "恋愛免許証" を眺めながら車へと向かう。
――この街には、一つの奇妙な条例がある。
それ以外は何の変哲もない普通の街だ。
それが、恋愛条例。
特定の人間とそれなりに親密なお付き合いをするには、今しがた手に入れたばかりの恋愛免許証なるものが必要なのだという。
これがなければ、手を繋ぐことはおろか、デートに行くことさえもままならない。
車のエンジンをかけようとするが、キーを回してもなかなか火が点かない。古い車だからなあ。しかしまあ、ちょっとしたコツがあるのさ。
運転席の扉を大きく開け、左手でキーを回す。きりきりと甲高い音がする状態で、右手で思いっきりドアを閉めるのだ。この時に、多少助手席の方まで体が揺れるくらい、思い切りよく閉めるとなお良い。
ぐおん、と一つ鳴いて、エンジンは動き出した。車内の時計もずれているが、今の時代はスマートフォンがあれば事は足りる。15分ほど進んでいるその時計はずっと前からそのままだ。
もらったばかりの免許証をダッシュボードに無造作に置き、俺は車を走らせる。