開拓者前夜
夢を見ている。けたたましく鳴り響くサイレンに僕は耳を塞いでいる。
須藤ことが死んだ夢を見た。自殺だった。自室のドアノブにネクタイを括り付けて死んでいるのを母親が見つけたらしい。遺書はなかった。いや、遺書は、僕が持っているんだろう。
何をどうすれば、彼女は生きられたのだろうか。希望とか未来とか、そういった言葉が彼女にとって何の意味も持たないことを僕は知っている。
敗北がそこにはあった。無力な自分が、自室のベッドの上で耳を塞ぎ続けている。誰かが扉を強く叩いている。誰なのかわからなかった。しかし、出なければならないと告げられた気がした。耳から手を離して扉へ向かう。サイレンは相変わらず鳴り続けている。慎重に扉を開ける。そこには僕の見知った廊下の風景では無くて、夜の道が続いていた。サイレンは鳴り止んでいる。僕はその道の上を歩き始めた。月灯りがかすかに道を照らしているけれど、僕の手足が辛うじて見えるくらいの明るさだった。
水たまりを踏んだ。跳ねた水の感触が足首に広がる。構わずに歩き続けた。かなり遠くに誰かが歩いている気がしていた。それが誰なのか、僕は知っている。顔の無い人達が僕のことを遠くから見ている。目は無いのに、目を合わせないように歩く。その人達からの視線は、明らかに僕を嫌悪していた。誰かが「美しい」と言った。その言葉は死を強いていた。その言葉の棘が、僕の心に深く突き刺さる音がはっきりと聞こえた。それでも歩き続けた。どこからか血が流れている。それでも歩き続けた。何人も人が倒れている。それを踏みつけて歩き続けた。歩き続けた。歩き続けて、後悔している自分に気付いた。辿って来た道の足跡を振り返って、その痕を憎んだ。何もしていない自分がいた。自分のやっていることが、自分の考えていることが、自分の歩いている道が、何にもならないことを示していた。価値を見出せなかった。しかし、僕の先には、それでも続いて行く足跡が一つだけあった。その小さく、けれど力強く、美しい足跡が、そこには刻まれていた。妥協は許さなかった。生きる理由ではなく、生きるための歩き方を、死してもなお刻まれ続ける足跡を、それは欲しているのだと悟った。それが答えなのだ。それが彼女が歩き続ける理由なのだ。
追うことが答えになるかわからない。けれど、追い着かなければならない。知らなければならない。言葉では表すことの出来ない、その痕の行方を、僕は観測しなければならない。
夜は終わることが無かった。その理由を僕は知っている。そして、少なくとも彼女は、明け方の空を見ることが無いだろう。そして、もし僕が、その先を行くことになったら、僕自身もまた、この世界で最も美しいと思える景色を、見ることが出来ないのだろう。
未完のままの完成形を、誰かが続くことを祈りながら考え続けるのだ。それが、僕と彼女が望んだ答えだ。
もし、僕が追い着けたとしたら、僕は彼女に寄り添い続けようと思う。何処までも。何処へでも。そして、足跡が一つになったとしても、僕は歩みを止めることは無いだろう。足跡が群衆を引き連れて、彼女の足跡を踏みつけて、誰もがその痕の形を思い出せなくなる、その日を迎えたとしても。それを僕らは望んだのだから。
Penny Laneを聞きながら、開拓者は先を急いだ。夜が明ける前に。




