閑話・リリィの昔日
思っていたよりも長くなってしまったので後書きでもご報告していたように『貴婦人の話題』盟主リリィの過去話を挟んでみました。
時系列的にはシィドたちが帰ってきた辺りです。
「……ふぅ、平和ですわね」
穏やかな昼下がり、ワタクシはホームでティータイムを楽しんでいるとしみじみと感じ入ってしまいますわ。
こんな穏やかなティータイムは久しぶりですわ。いつも誰かが問題を起こしたりしてその苛立ちを鎮めるために紅茶を流し込む作業のようになってしまっていましたものね。
彼女だけが悪いわけではないのですけど、良くも悪くも目立つということは集団の中で浮いた存在になってしまう。問題があった時に標的にしやすい。
もちろん、我がクランの誇りにかけてそんな真似は止めるように諫言してはいますけれど、上の人間が何かを言った程度では人はそうそう変わりませんものね。
久しぶりにクランのモットーである貴婦人のような優雅な生活を送れることは至高の喜びと言えますわね。
日傘の下で心地よい風を感じながらお茶をする。そんな時間を過ごしているとふと昔のことが思い出されますわ。
――そう、あれはまだワタクシが『私』だった頃の話。
「あら、〇〇ちゃんいらっしゃい」
「もう、そんな季節かえ?早いねえ…」
「お久しぶりです小母様方」
すっかり顔なじみになった近所のおばさん達に挨拶をしながら私は今年もこの道を往く。
当時、中学生の私は長期の休みの度に祖母の家へ遊びに来ていた。両親が共働きで普段から家にいないので長期の休みなどは娘を一人にさせるのが不安だったのだろう。まあ、我ながら可愛いという自負はある。
そんな時、どこか行ける場所がないかと検討した結果、候補として挙がったのが父方の大叔母にあたる人の家だった。私は面倒だからおばあちゃんと呼んでいるわけだが…。
「お祖母さま~、いらっしゃいますか?」
こんな風に大声を出しても出てこないことはわかっている。それでもこのように声をかけるのには理由があった。
私の声に反応するように家の奥から一頭の大型犬が現れる。
その犬は飼い主によく躾けられているのか犬なのに走ることなく、しゃなりしゃなりと一歩一歩丁寧に歩いてくる。しかし、本当は飛びつきたいのを必死で抑えているのなんて尻尾の揺れ具合で丸わかりだ。
目の前までやって来ると、ピシッと背筋を伸ばしておすわりする。
私から話しかけないと決して応えない。これはこの子が私を下に見ているからだというが、教育者の性格が移ったに違いないと私は考えている。
(本人に聞かれたら面倒なお説教が始まるので決して口には出さないけどね)
「お久しぶりです。レディー・リリィ。触ってもよろしいかしら?」
私がスカートの端を持ち上げ挨拶をするとようやく寝そべり、さっさと撫でろと催促してくる。
「ふふっ、久しぶりねリリィ。元気にしていたかしら?…って聞くまでもなさそうね」
気持ちよさそうに体を伸ばしているリリィの表情はだらしなく緩みきっていた。
「では、レディー・リリィ。マダム華英のところまで案内していただけますか?」
リリィが満足したところで声をかける。
リリィも先ほどまでの表情が嘘のように再びキリッとすると先導して歩き始める。
リリィに導かれる形で着いたのは温室のような空間だった。
綺麗な花々が咲き誇り、洋風の白い机とその上にはティーセットとお菓子。さらに今淹れたであろう紅茶からは湯気立ち上っていた。
「此度もようこそおいでくださいました。さぁ、一緒にティータイムにしましょう」
椅子を引き、私を迎え入れてくれたのが御歳90歳の私の大叔母。桐生・エーデルワイス・華英夫人だ。
「…それにしても、○○。毎回あんな大声で訪ねてくるんじゃありませんよ。ご近所まで丸聞こえじゃありませんか」
差し出された紅茶を飲み始めると、早速お小言がはじまったようだ。
大叔母様は旧華族の夫を持っていたこともあり、貴族のような振る舞いを自分に課している。そして、それは当然短い期間とはいえ同居している私にも適用される。
これがなければ粋でいい人なのだけど…。
彼女は通常よりも長い煙管に火をつけながら、和服で足を組んでいる。
貴族の女性がそんなことをするわけがないのだが…。
「いいですか?あなたを立派な淑女として育てるというのもあなたを預かっているわたくしの役目なのですよ。そもそも、普段の生活から心構えをきちっとしていれば教養なんて後から自然と身に付くものなのです。実際わたくしだって女学校を出てから―――」
語りモードに入っちゃった。こうなると長いんだよね。どうせ最後の締めは決まっているのに。
同様に辟易としているリリィはというと上手い具合に避難している。裏切り者!
「――とまあ、わかりましたか?」
あっ、リリィを睨んでるうちに話が終わっちゃってた。
話を聞いてないとここからさらに同じような話が続くのを経験上知っているが、私は全く慌てない。慌てた段階でもう一周が決まってしまう。
「つまり、『淑女たる者常に自分の正しき道を生き、それを周りに示し続けよ』ってことでしょ?」
「正解。よくできました」
お決まりの言葉を言ってようやく解放されると帰ってきたという実感が湧いてくるから不思議だ。ここは別に家でもないのに、一番家族というか人と一緒にいるのがここだからかこここそが私の居場所のように感じていた。
だから小言がうるさい大叔母も私を世話の焼ける妹のように見ている犬がいてもついついここに足を運んでしまうのかもしれない。
しかし、そんな楽しい日々もそう長くは続かないものだ。
「〇〇。来年からはもうここに来るのはおよしなさい」
突然告げられた言葉に私は愕然として慌てて大叔母に詰め寄った。
「なんでっ、私が言いつけを守らないから!?だったらこれからはちゃんと守るよ!だからここにいさせて」
必死に頼み込むが決意は固いらしく、大叔母は頑として首を縦には振らなかった。
「……なん、で」
絶望した私に、大叔母は優しく理由を話してくれた。
「○○。わたくしもそしてリリィももう歳なのよ。わかるでしょ?」
それは私が認めたくないことでもあった。
「あなたには言わなかったけど、リリィはこの間の検診でもう長くはないと言われているの。わたくしも自分の寿命ぐらい大体わかります」
つまり、大叔母が言いたかったのは『来年からは来るな』ではなく『来年からは来ても誰もいない』ということなのだ。
その事実に気付き、私は大叔母の話を聞きたくない一心で飛び出していた。
「――待って、待ちなさい!」
大叔母の呼ぶ声が聞こえるが絶対に振り返らない。振り返ったらもうあそこには戻れない。
無我夢中で走っていた私は猛スピードで突っ込んできていたトラックの存在に気付かなかった。
「――――あっ」
眼前にまでトラックが迫り、運転手が慌ててハンドルをきっているのがいるのが見えた。
(…これが、走馬灯ってやつなのかな。でもいいや。もう私の居場所はどこにもない。だったらこのまま楽になりたい)
そんな風に考えていた私を突如ドンッと誰かが押した。
その衝撃で倒れ込み、トラックの側面に掠った私は勢いよく飛ばされてしまう。
「……だれ?」
痛みで朦朧とする意識の中、私は誰が突き飛ばしたのかその人は無事なのかを確認しようと必死で体を起こした。
そして、視界に映ったのは血の海に沈むリリィの姿だった。
リリィへ手を伸ばそうとするが、私自身も痛みで体が動かず遠くから大叔母が駆け寄ってくるのが見えていたがゆっくりと瞼を落としたのだった。
(お祖母さま。リリィを、リリィをお願い)
そして次の瞬間には見知らぬ空間にいた。
『やあ、君は今生と死の狭間にいる。戻るか進むかは君が決めておくれ』
「リリィは、私の家族はどうなったの?」
私は話も聞かず、そいつに掴みかかった。しかし、掴みかかった手は木の枝に捕えられ、自由に動かすことができなかった。
『おー、こわいこわい。さすが旧文明の世界。女性も野蛮だね』
「いいから、答えなさいっ!!」
睨み付けると、やれやれといった感じに肩を竦める。
『そんなに知りたければ教えてあげよう。君を庇ったあの犬は即死だ』
「―――っ!」
わかってはいたけど、告げられた言葉に全身の血の気が引いていく。
『まあ、君も結局生死を彷徨っているわけだから犬死かな。犬だけに!』
そいつはなにが可笑しいのか腹を抱えて笑っていた。
「……黙りなさい!リリィは私のために命を散らしたのよ!誰がなんといおうとあの子は私の大切な姉だわ!あの子を侮辱することは私、いいえワタクシが許しませんわ!」
『…やっと正気になったね。君の家族を笑ったことは心から詫びよう』
ワタクシが毅然と言い放つとそいつは真摯に謝罪してきた。
お祖母さま。これが、こういうことだったのですね…!
今更遅いとおっしゃるかもしれませんが、お祖母さまがワタクシに言いたかったことがようやく理解できましたわ。
どちらかを選べと言われたワタクシは迷うことなく新世界への道を歩き出しましたの。
(向こうの世界にワタクシの居場所がないのなら向こうの世界に未練などない。新世界では姉のように凛々しく、祖母のように淑女然として生きていきます)
――そうしてワタクシは姉の名と祖母の誇りを胸に新世界コメディカルティアで生き、その理想に賛同してくれた仲間とともに『貴婦人の話題』を立ち上げたのです。
「……はっ!…ここは、そう夢でしたの」
ティータイムの間にいつの間にやら眠ってしまっていたみたいですわね。
久しぶりに見た過去の思い出。その大切な思い出に胸の奥がぽかぽかする。
「…ふふっ、これは陽気のせいではありませんわよね?リリィ」
姉であり、私の中に生きているであろう魂へと語りかける。
ちょうど騒がしくなってきたところですし、また何か問題が起きたのかもしれませんわね。
こんなところでのんびりとお茶を飲んでいる場合ではありませんわね。
「『淑女たる者常に自分の正しき道を生き、それを周りに示し続けよ』でしたわよね?」
そう、淑女のように優雅にそれでいて気高く生きていればおのずと人に自分の正しさを理解させることができる。
――大切な人が教えてくれた教えを胸に今日も彼女は歩き始める。
白い空間で会った神がシィドの時と違うとお思いの方もおられるかもしれません。ネタバレをしますとたしかに別人(神)です。詳しくは本編中で語る予定ですのでそれまでお待ちください。
次回は確実に本編を更新させていただきます。




