大きな一歩
第三部開幕。久しぶりにフィアードが舞台となっております。
その日は、普段と変わらぬ平穏な日のはずだった――
「……はぁ~、最近仕事が多くて抜け出せないよ~」
「…そもそも、町長であるあなたにそう簡単に抜け出されては困るのですが?」
ここはフィアード町長執務室。
そこで部屋の主であるアルタフィルことアフィのこぼした愚痴に秘書であるセルハ・モニカが苦言を呈していた。
彼女も連日の激務で疲労困憊であり、普段よりもピリピリしている。町長であるアフィはもとより、秘書のモニカでさえ多忙な日々が続いているが、これは最近は珍しいことではない。
むしろ最近に至っては寝る間も惜しんでいられない状況が続いていることもあり、二人と霊術師であるシスタートリミアは肉体的にも精神的にもボロボロだった。
「……失礼します」
そして今日もシスタートリミアがよろめきながら現れた。
「………シスター。お疲れ様です。今、お茶を…」
元々教会が町の為政に携わることを良しとしていなかったモニカ。彼女の目もあり、以前まではこっそりとアフィの休憩時間を狙って来ていたが、最近はそんな余裕すらなくなり対応するモニカも疲れているためか口論する気力もなく、彼女のことを受け入れていた。
「…ありがとうございます」
シスタートリミアはモニカの方を見ずに礼だけ言うと、ふぅ~と大きなため息を吐きながら備え付けのソファーにどかっと腰を落とす。
ずずずっと力なく沈んでいく様子は気を抜けばそのまま眠りに落ちてしまうのではないかと思うほどだった。
そんな気配を察知したアフィは早々に彼女から要件を聞き出すことにした。
「……で、今日はどんな話だい?」
愉快な話でないことなど百も承知なのでアフィも素気なく尋ねる。
ここ数日アフィの耳に届いたのは新種の魔物やジョブの発見などという世界的な革新の報せもあれば、他国の重鎮の死亡事故の報せや魔物の生息分布の変動などと無視できない報せも多い。
それすべてに対応することが最近の彼の日課となりつつほどで、あまりの多忙さに師であり先々代町長のレオン・ガルロンや仇敵である前町長エッゾ・ファルンの手も借りなければ対処に手が回らないほどだった。
「……これは、あなた方にはあまり関係のない報せかもしれませんが、世界的には大事件の報告です」
嫌な前置きをして語った言葉はたしかに衝撃的な内容だった。
「…実は、一時的にではありますが教会の枢機卿の方に神の声を聞けない者が現れました」
「「………ッ!?」」
それには話に耳を傾けつつもお茶の準備をしていたモニカも絶句し、驚いた拍子にティーカップが床に落ちてガシャンと音を立てて粉々に砕け散ってしまった。
「……それは事実なのかい?」
「事実でなければ、教会の恥になるようなことを教えるわけがないでしょう」
聞きづらそうに尋ねたアフィに対し、シスタートリミアは疲れを隠さずに答える。
本来ならば彼女の言う通り教会にとっては恥でしかなく、以前の彼女だったらこのようなことを漏らすなんて真似は決してしなかっただろう。
だが、最近の世界の異変に際し、彼女は教会の一員としての矜持を曲げることを決めていた。元々、信仰心は人一倍強いが神職に就くことができなかった彼女だ。それほどまで教会の深部に入り込んでいるわけでもないので彼女が話す内容はいずれ外に漏れる可能性が非常に高い。
だったら、早めに情報を共有しておいて対処する方が被害を抑えることができるという考えに基づいていた。
そもそも、最近では神の声も曖昧なモノしか聞こえてこず、地方の教会に所属している者の多くが今回のように声を聞こえない状況を体験していた。もちろんシスタートリミアもその例に漏れることなく体験している。
神に訴えかけてもその返事は返ってこず、また返ってきた内容もいまいち要領を得ない。
ただ、今回は教会本部。それも頂点に近い存在である枢機卿に降りかかったことが問題だった。
一見するとアフィたちには関係がないように思われるが、世界は基本的に冒険者ギルドと教会に二分される。言ってしまえば、どちらが覇権を取るかを表立った争いこそないものの水面下では静かに争いが続いている。
そこに来て神の声を聞ける神職というアドバンテージが覆る報せ、教会大幹部の失脚にも繋がりかねない状況は下手をすれば水面下の争いが表面化するか可能性を示唆していた。
そうなれば、アフィたちもただでは済まない。おそらくは国という立場的にもどちらの側に付くか。その選択を迫られることとなるだろう。
「……はぁ、頭が痛い」
最悪の状況を想定した時の心労がどかっとのしかかり、アフィはズキズキと頭に痛みが走るのを感じていた。
そもそも、アフィは別の意味でも最近頭痛の種を抱えていた。
最近届けられた報告。そのいくつかに見覚えのある名前が確認されていた。
その名前が掲載されていたのは、新種の魔物発見および他国の重鎮の死亡案件に関わる報告書だった。前者は発見者として、後者は巻き込まれた被害者として。
「…シィド。君は一体どれだけボクを働かせれば気が済むんだい?」
今なお遠方の地で問題を起こしているかもしれない友であり、町の問題児一行に思いを馳せながらアフィは今日も今日とて悩ましい問題への対処に取りかかることとなった。
――ただし、これらについては気にする必要がなくなる。いや、正確に言えば気にしていられる今の状況が天国だと思えるほどの非常事態がもうすぐそこまで近付いていた。
「「「グルルル…!!」」」




