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1.『……うむ』

何度も、夢を見ていた。淡い光のフィルターのようなものに覆われた世界で、私は誰かに手を伸ばされる。けど私はその手を掴まずに、誰かがただただ消えていくのを冷めた目で見ている。そうして私に警告をするかのように視界が他の色に染まっていく。何の色かはわからないただただ一色のみ。だから私は笑うのだ。誰かを安心させるために。恐くないよ。怖くないよ。寂しくないんだよ。一人で大丈夫だよ。心配しなくていいんだよ、と。だからもうちょっと眠らせてね。

そう返すことしかできないのだ。




――ねぇ、起きてよお! け……


ふと、誰かに呼ばれた気がして、私――紫藤(しどふじ)は瞼を開く。


「……ぅーぃ」


淡色のカーテンが朝日に染まって色をかえて映りこんだ。天井に貼り付けられ微弱に発光している星に、面倒になってはがしていない日めくりカレンダー、作者名シリーズ分野別と並べてある本棚、その横下には散らかっているものたち、メモやプリントが磁石でとめてある冷蔵庫に、そこから線が引かれてあるかのように、あるべき場所に置いてある調理器具とその他の日常品。その隣の玄関棚上には電池が切れ針が止まっている目覚まし時計。


「……」


私はベッドの上に蹲り、カーテンの隙間から差し込む光を見る。窓を閉めてあるのに雀の鳴き声が聞こえている。アラームはまだ鳴っていない。

朝、だ。私は起き上がり、好きではない軋む床の音をなるべく出さないように台所へと足を向ける。チャイでも飲もうと水を入れたやかんに火をかけた。


そうして洗面所へ歩く。急いで歯を磨き顔を洗って、台所に戻ると水は湯に変わりぐつぐつと沸いていた。慌ててガスを止め、お湯を注いだ。既にマグカップに入れてあるインスタントチャイの粉が湯にとけ、甘い匂いを立てる。スプーンでまわしながら口に含むと、甘くぴりっとした刺激の味にぼやけていた意識がゆっくりと鮮明になっていく。


飲みながら、冷蔵庫の中を探る。食材を確かめながら朝食はなににするか考える。寮に住むことになってから、食事は自分ですることになった。寮が自炊をするように、と決めたあるとこではない。


寮母さんがしっかりと美味しく栄養のある、手の込んだものをつくってくれる。それでも、どうしてか、ただ、極論だけど生きるために自分でするようになった。


あまりものの野菜を適当に細かく切り、半分はドレッシングに漬けておく。もう半分は、また半分にし鍋で炒め、コンソメの素と一緒に水を入れ煮込む。その間半分の半分はフライパンでご飯と一緒に炒めた。全ての支度を終え、壁の掛け時計を見る。時刻はまだ一時間も経っていなかった。


「アラーム止めなきゃ」


ぼそぼそ呟き枕元で充電してある携帯電話の電源をつけパスワードをはずし、アラームを止める。そのまま手を離さずアドレス帳を開いた。目指す名前はオ行。お隣さん。コールを入れると、お隣さんはすぐに出た。起きて、出る準備をしていたのろう。


「……」

「朝食はどうする?」

「……うむ」


スピーカーからは、しばらく無言が続き返事がきた。うむ、と。


「じゃ、支度したらきて」


うむ、とお隣さんは言うと、私は了承したととり電話を切る――と一秒もしないで玄関からトントン、とドアを叩かれた。私はエプロンを着けたまま玄関へと向かった。ドアを開けると、私の目の前には壁が。目線を上げると形のいい二つの山。そのまた上には眠そうに糸目をしたお隣さんが、体育科の赤いラインの入ったブレザー制服の上に赤いジャージを着て立っていた。そのため名札が見えない。スカートの下には隠す気がさらさらないとわかる運動用のジャージ。


「おはようございます」

「うむ」

「じゃ、入ってください。朝食はできてるんで」

「うむ」


言うと、お隣さんは慣れた感じで靴を脱ぎ部屋へ入っていった。



お隣さんと私はテーブルを囲んで少し早い朝食を食べていた。


「――うむ」

「うむ、しか言わないですね」

「うむ」

「時間大丈夫ですか?」

「うむ」

「おかわりしますか?」

「うむ」


お隣さんがご飯のお茶碗を出したので私は炊飯器からご飯を盛り手渡した。名前の知らないお隣さんとは電話ではタメ口だが、直に対面すると会ったころの癖でつい敬語になってしまう。そしてお隣さんは会ったときと変わることなく、うむ。と返事をすることが多い。うむ以外の言葉は数えるほどしか聞いたことがない。名前についてはお互いに知ろうとしないために、私は彼女をお隣さんとお隣さんは私を隣人、と呼んでいる。


どうして一緒に朝食をとるようになったかというと、単純に頼まれた。そして私は気楽に了承した。費用は払ってくれているし、どうしてか私が作ると一人で食べる量より多すぎてしまうからだ。



……というのもあるが、これは気持ちの問題だ。


入学してから寮暮らしになった私は親許を離れて一人が寂しくてホームシックになりかけていた。その寂しさを紛らわすためにお隣さんに、鍋を持って作りすぎてしまってよければどうぞ……とお裾分けを毎日していた。今思えばそのときの私を恥ずかしさでやめてえええええええ、と叫びたくなるくらいのもので。お隣さんはというと寮の食事の量が足りなかったようで、見知らぬ人からもらったものなのに不信を抱かずに、世間でいう知らない人からの食べ物は何が入っているかわからないからもらってはいけません、などといわれているのにあっさりと食べた。それから一年。朝食は私の部屋でとるようになっていた。その間にいくつか暗黙のルールができていて、名前に関してはそのうちの一つだ。


「……うむ?」


もくもくと食べていたお隣さんが私の視線に気付いたのか、私と視線を合わせる。


「明日の朝食、どうしますか? 食べます?」


明日は土曜日で、私はのんびり過ごし、お隣さんは部活。私はお隣さんの部活の時間を把握していないため、金曜日の朝に忘れないように訊いている。お隣さんは思い出すように数瞬目線を斜めに上げ、また戻す。


「うむ」

「そうですか、わかりました」


明日も朝食は二人分、と。言って、会話は終了。お互いにもくもくと食べる。そのあと朝食は終わりお隣さんは部活の朝練へ行き、私はのんびりと一息ついたら部屋の鍵を閉め、外に出る。



寮から桜並木道を歩いて10分弱。花弁が顔に、服にかからないように気をつけて到着。人工都市の北側に立つ、私立玉木学園はどん! と構えている。青を基調としている普通科の校舎はではこの時間まだ朝早く、人はまばらでいるのは朝練がある部活生がほとんどだ。私は部活には仮入部としてはいるけど、熱心に活動する部活ではなく。朝の教室が好きで、はやく登校している。


「おはようございます、紫藤さん」


教室に着いた私を挨拶で迎えてくれたのは、クラス委員長だ。腰まで届くふんわりとした髪を今はおろしている。髪と同様に表情もふんわりと微笑みを絶やさずにいる。


「おはよう、委員長」

「今日も紫藤さんは早いですね」


そう言って、委員長は癖なのかクイっと眉間少し下を指で上へ押した。


「委員長のほうが早いと思うよ」

「う~ん、それを言うなら塚本君のほうが早いですよね」

「だね」


教卓で委員長からプリントを一枚受けとると、委員長からふんわりと花の匂いがした。自分の席へ向かいながら視線をやると、塚本さんは机に突っ伏して寝ている。正直に言うと、塚本さんがしっかりと起きているのはまだ見たことがない。


「何時に来てるんだろうね?」

「そうですね。私が来ている頃には寝ていますね」


窓側の塚本さんの席を通ると、すうすうと寝息が聞こえてきた。お世辞にも背の高くない私から見ても、背の低い男子生徒。全国の平均身長が何センチかわからないけど、絶対にあきらかに平均に届いていない。平均以下であることは間違いない。そして顔立ちもおさない。夜、寝ていないのだろうか。朝早く来ているから寝ているのだろうか。


塚本さんの席を通り過ぎると考えるのを止めた。委員長は塚本さんをみて頬に手をあてながら笑顔を少しだけ困らせると窓を開けた。そうして外から聞こえる音に少し耳を傾けると運動部員の威勢のいい掛け声がきこえてきた。


私は席に座り、かばんから本を取り出し読み始めた。昨日、学校帰りに書店へ立ち寄って買ったものだ。そうして本のページが半分を超えるほどになると教室の空席が埋まっていくけど空席が四つ。そのころには委員長はふんわりとした髪を結い、眼鏡をかけていた。その姿の委員長はもはや別人といっていいほどでふんわりとしていた表情をキリリ、とさせて真面目で頑固そうだ。


塚本さんは変らずすやすや眠っている。みんなは塚本さんが寝ているのを無視して、近くの席で騒いでいる。一度、何人かが塚本さんを起こそうかと努力したのだけど起きなかった。授業でも先生が塚本さんの肩を揺すっても頭を軽く叩いたのだけど起きず、かんかんに怒った先生がバケツに水を入れざばーとかけたにも起きなかったという伝説を残している……? というのを去年塚本さんと同じクラスだった人からきいた。わかったことは、塚本さんはうるさくしても揺すっても水をかけても起きない、ということで。


それからまた少しして、予鈴が鳴った。すぐあとに廊下からば、はたばたと三人分の足音がきこえてくる。そして三人の生徒が教室に駆け込んできた。三人は親しげに軽口を言い合いながら急いで席に座り三つうまる。その後、担任の先生が到着。


先生は無言で、教卓の隣にある机に持ち物を置き、パイプ椅子に座った。時計の針が、十分間のプリント学習がはじまりを知らせ、私は読書を再開した。私と同じように早く来ていた生徒はプリントを終わらせていたようで、読書や宿題などと静かにできることをはじめる。


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