Unknown world lovers ─異世界トリップファンタジーを愛する人々─
私が初めて読んだ異世界トリップものは、早川書房から出たFT文庫のディ・キャンプ&プラット「ハロルドシェイシリーズ」だった。
おどろくなかれ1940年代に出版され、日本での出版は1980年代、私が触れたのはさらにその後の古本屋さんでのことである。
内容はといえば、ふらふらと異世界におりたった現代アメリカ人のハロルドがスカンジナヴィア神話等の世界に飛び込んで、
「剣や魔法を使いこなし綺麗な恋人をゲットする」
という、調子のいいファンタジーである。
異世界に移動する方法がこれまたすごい。
興味をもたれた方は是非読んでみてほしい。
転生のほうが日本人にはわかりやすい、とだけ記す。
当時中学生だった自分は、まず神話であるとか、ヨーロッパの風土であるとか、そういったものへの知識が皆無だった。
主人公ハロルド・シェイのトリップ先は「アイルランド神話」「北欧神話」等ある程度、知識がなければまったくわからない場所であり、いわゆる元ネタがわかるとなお楽しい、というお約束があったのだ。
しかし異世界トリップものは現代人の知識と技で、その世界を理解していくのが売りである。
「その世界で異邦者でありつづける」ために、主人公は読者に常に違和感を説明し続ける。
この説明のおかげで、難解なハイファンタジーの世界がぐっと身近に引き寄せられる。
見知らぬ幻想生物は血と肉を持って、物語の中を闊歩し始める。
おりしも「指輪物語」と発表が前後するハロルド・シェイシリーズは、ユーモア満載というか現在読み返しても通用する笑いどころが随所にあり、シリアスなトールキンとは対照的だ。
元ネタがわからない人間を、その世界に浸らせてくれたのだ。
これが異世界トリップの醍醐味であると思う。
「読者を置き去りにしない」というルール。
現代人にはわからないことを作中で解説するのは、苦労する主人公であり、とりまく登場人物である。
主人公に感情移入すれば、読者は異世界への理解と没入をはやめ、なおいっそう楽しむことができる。
私に「異世界トリップ=おもしれー」が刷り込まれたのはここからだ。
幼いころはまったくわからなかったことだが、この作品が「アメリカ産」である、ということは重要だ。
子供であった自分の身の丈にあった説明がなされていた。
イギリス、ヨーロッパのファンタジー作家には当然のように備わっている背景が、他の国にはないのだ。
エルフや小人、ゴブリン、オーク、ニンフにパーン、は全てイギリスかヨーロッパに生息している、のが暗黙の了解だ。
アーサー王の側で当たり前のように「魔法」を使用するマーリン、ルーマニアにしかいないドラキュラ、ドイツにはローレライ、時には敵、時には魅力的なキャラクターとして登場する彼らはメイドインイギリスorヨーロッパなのだ。
イギリス産の超有名異世界トリップである「ナルニア」や「アリス」、最近ではダイアナ・ウィン・ジョーンズが、パラレルワールドもので有名だが、もちろんイギリスの子供が主人公であるため、異世界への順応性が高い。
もうとっても自然に魔法も使いこなすし、幻想生物も当たり前に受け入れている。さすが本場。そうなのか本場。
某ハリーも相当順応性が高い。現代の生活なんかぽいってなもんで大喜びで魔法の世界にどっぷりである。
若干、コメディ色の強い「魔法の国ザンスシリーズ」でもキャラクターは苦悩しない。
相当息の長いシリーズの中で、現代人は多少とまどうものの、大喜びで異世界に帰化して行く。
ドイツ産エンデの「はてしない物語」の中で主人公は相当事前に頭を慣らされる。
ここがドイツのドイツたる所以かもしれない。
しかし、主人公の苦悩たるや相当なもので、異世界での逡巡は読んでいるこちらがつらくなる。
つまりどっぷり感情移入させられているのだ。
特殊例として、「ゲド戦記」のルグィン等アメリカ産ファンタジー作家が挙げられるが、まあwikiったらわかるだろうことだが、彼女は物語において、世界をまるごと構築してその中に現代の社会問題提起を盛り込む人であり、ちょっと力量と傾向が違う。
むしろ彼女本人が異世界の住人なのだ。SF寄りでもある。
フェミニズムが鼻につく、という人もいるがそんなこと言ったらメリケン女性作家の本なんて読んでられないのである。
他にもアメリカ産ファンタジーについて書きたいことはたくさんあるが、割愛。
しかし、最近の傾向には物申したい。特にパラノーマル・ロマンス。てめえはダメだ。これは機会があれば。
さらに特殊ではあるが、パトリシア・ライトソンがオーストラリア産ファンタジーを書いている、がこれは「大地人」と称されるアボリジニのファンタジーであり、純粋にオーストラリアの児童文学としても、超がつくほどの一級品。別格だ。
これはオーストラリアそのものが異世界というか異次元である。
まあそもそもオーストラリアだってアメリカだって移民の国なのでルーツはイギリス・ヨーロッパであり、魔法や妖精というテーマはアジア圏ほど遠くない。
あとひとつだけ。スティーヴン・キングとピーター・ストラウブ共著「タリスマン」。
アメリカ産異世界トリップファンタジーだ。
異世界と現代世界を交互に旅する主人公の物語であるが、80年代後半に出版されたこの作品は脚光を浴びるとまではいかなかった。
わたしは大変楽しく読んだし、今でも読み返す作品であるが、どこが受けない理由だったのか。
異世界は荒々しく、主人公の少年が受ける仕打ちは苛烈である。しかしキングの扱う話にはよく付随したパターンなのだ。まあでも一つ言えることがあるとすれば、
「読者の誰もこの世界に飛び込みたいとは思わないだろう」ということか。
恣意的なピックアップに捉えられるだろうが、ここでとりあげたのは世界的な作家であり、これらの作家以外にもたくさんの良作異世界ファンタジー作家が他にもいることはもちろん把握している。(全てとは言えないが)今回この作家達ををピックアップした理由は、「異世界創造」に関わるワールド級であることを了承していただき論をすすめたい。
さてやっと本題だ。現在「小説家になろう」で「異世界」で作品を検索すると9,442件ヒットする。検索もれもあるようだ。
実数は関連を含めて10,000件ほどだろうか。
局所的な大流行といっていい数字だろう。
日本原産ではない生き物が登場し、また生き生きと上手に書いている作品に当たると本当に感心する。
世界観もよく練られていて、下手な商業小説よりよほど面白いものがある。
商業作品では小野不由美氏の「十二国記」が有名だろうか。
純粋な異世界トリップではないが、中華ファンタジーの世界を、故あって主人公が現代人感覚で旅する導入部は、ぞくぞくするほど感動した。続編を待つ人は多い。筆者もその一人である。
何故、「異世界トリップ」が大多数の人が惹かれるテーマであるのか。
また背景となる文化がないのに、何故多くの人が易々と我が物とするがごとく幻想キャラクターを使いこなすことができるのか。
二つ目の問いには簡単に答えが出る。
日本には漫画がある。アニメーションがある。古くは浮世絵があった。
これが視覚的にファンタジーのポピュラリティを日本人に浸透させたのは疑いようもない事実だ。
泰西名画と遺跡にしか存在しなかった異形異能の神話の生き物は、日本の漫画やアニメーションの中で、時にしゃべり、歌い、踊ってきた。
日本独特の、宗教による縛りが希薄なことが、なお一層外国のキャラクターへの理解と拡散に拍車をかけたものと思われる。
漫画の神様と呼ばれた故手塚治虫氏の作品においてもそれは顕著である。
バツイチドラキュラのユーモラスな生活を描き、その元奥さんは狼女である「ドン・ドラキュラ」
やはり狼男が主人公である「バンパイヤ」は自分が生まれる前の作品とは思えないほど現代的である。
「ユニコ」「三つ目がとおる」etc.etc…と神様は現代社会に突然幻想生物が現れる手法の確立者であらせられる。
手塚氏について語り始めると、ちょっと熱く長くなるのでこれだけにするが、とにかくファンタジーとSFの日本における発展はこの人の肩にすべておんぶに抱っこの時期があったと言って過言ではない。
(余談ではあるが講談社の全集によせて漫画の神様は人体に「尻尾」があることについてのフェチズムについて軽く記述されており、子供心に「ええっ!」と驚愕したものである。現在筆者は立派なケモナーのはしくれだ。)
昨今での有名ファンタジー漫画作品は三浦建太郎氏の「ベルセルク」などだろうか。
画力ストーリーともに現在他のジャンルと比べても一押しの太鼓判ものだ。
もう作者さんの体調を心配すると夜しか眠れない。アイマスがPS3で出てしまうらしくさらに心配である。
日本の異世界トリップ漫画、本格ファンタジーの走りとしては山岸諒子氏の「妖精王」を挙げたいが、なにせ連載当時は1977年。
「花とゆめ」に連載されていたようで、社会的にどのような認知度であったかを筆者には測ることが出来ない。
筆者の母親の年代の多くは、山岸諒子氏をバレエ物漫画家として認知しており、「妖精王」をしらなかったりするのだ。
しかしこれは読めばわかることだが、トリップとはいえ、限りなくハイファンタジーに近い。
描かれる世界は美しく、これまた「アイルランド神話」の知識があるとなお楽しい世界である。
安彦良和氏の「アリオン」だとか、宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」、両作品ともに、往時のアニメージュに連載されていたとある。
花とゆめなら故和田慎二氏の「ピグマリオ」とか、プリンセスの中山星香氏の「妖精国の騎士」だとか。
異世界トリップではないが、いくらでも多くの優れた本格ファンタジー漫画やアニメーションが日本にはある。
羅列が目的なわけではないので、これ以上は割愛するが。
いつかは漫画と幻想文学なんてタイトルで文章をかきたいものだ。
本当に漫画やアニメーションで幻想生物や動物達が生き生きと動き、喋ってるものは多くて、枚挙に暇がないというのもまた真実である。
絵本もまたしかり。小さな頃に親しんだ絵本に、童話に、ファンタジー要素はまったくなかった、と言い切れる人は少ないのではなかろうか。
大体昔話からして「鬼」が出て来て「亀」が喋って月から使者がくるのだ。
日本の昔話というものは本当に幻想文学であると思う。
このイメージを喚起しやすい環境が、ファンタジーを書きやすい理解しやすい共通認識の礎であると言える。
これを持って二つ目の疑問の解答としたい。
少し脱線するが、日本で初めてファンタジー小説(ヒロイック?ですが)を一般レベルに浸透させたのは故栗本薫氏であるといえる。
彼女は作家としては驚異的な量の作品をものにしていることと、多くのジャンルで活躍したことで有名だ。
要はそれまで翻訳ものを読むのががあたりまえとされていた日本のファンタジー読みを、一気に国産に注目させた功労者なのだ。
SF、ミステリ、耽美物、時代物、ホラーで、順調にヒットを飛ばし、ある一定の「栗本ファン」を獲得し、彼女の作品ならば、とっつきにくいファンタジーでも読もう、と思わせたところが力技である。
彼女の書いた「グインサーガ」はギネスに乗るほどの大長編であり、本人もライフワークであると自認していた。
グインサーガ自体はヒロイックファンタジー→戦記もの→宮廷恋愛劇→SF的設定てんこもり、などの栗本氏のその時々に興味があるものに合せて内容は変遷しており、本格的な西洋風ファンタジーを期待して読むという諸兄には一寸注意が必要だ。
(すみません筆者は40巻前後で読むのをストップしたクチで、最終的にどうなっていたかは知らないのです。完結したら読み直すつもりでした)
残念ながことに近年お亡くなりになられたが、本当に「小説」が好きな人であったと思う。未完は多い。
いわゆる「文字」の分野での日本のファンタジー普及に努めた功労者である。彼女の功労はサブカルチャーにおいて絶大なものがあるので、ここだけに注目されることは少ない。脱線終わり。
一つ目の疑問に戻るが、この疑問への解答と持論は全くの推論であることを明記して進めたい。
単刀直入に言えば、オンライン上の異世界トリップの流行の背景にはエロスとの親和性があると思われる。
そもそもオンライン小説は書き手に報酬をもたらさない。
書き手を支えるのは、本人の書きたいという意欲だけだ。
もちろん人気を博すれば、ファンからの感想なりなんなり、見てもらえているという遣り甲斐が継続に寄与するだろうが、兎にも角にも書き始めねばならない。
書き手の意欲とは功名心であったり、どうしても他者に向かって表現せずにはいられない、自身の物語であったりするだろう。
そして何より、便利すぎる言葉であり、包括する範囲の大きな「萌え」。
本来、植物の萌芽を表す言葉は今や、ムーブメントであり、市場であり、創作者の原動力足りうるものとなった。
「萌え」という言葉?現象?は同音異義の「燃え」とも通じ、創作者自身を刺激する「何か」として、功名心や生まれながらの作家であること以上に創作者を生み出しているのが現実だ。
「萌え」は非常にエロスと密接な関係にあり、創作者自身の性的なイマジネーションを羽ばたかせるものとなっている。
そもそもエロスは常に人間の原動力ではあるのだ。
それが何故ファンタジー世界、その中でも異世界トリップとの相性を誇るのか。
そもそも小説とは人間関係や社会と個人の関わりが語られるものであり、創作者がその作品を読者に選んでもらうには、いかに読者の欲求に訴えかけるものが書けるかにかかっている。
読者のニーズなんて完璧にわかる人間はいない。
しかし人間の欲求については古くから指針がある。
単純に三大欲求をとりあげても食欲、睡眠欲、性欲が共通であるとわかっていれば、食べてばっかり、寝てばっかりの主人公よりも、異性(同性もある)関係について悩み楽しむキャラクターが出てくることは作者にも読者にも自然なことだ。
このニーズに異世界トリップものは見事に応えているといえる。
主人公は、作者、読者共にに感情移入させやすい、等身大の現代人が主人公であることがまず特徴。
中学生であったり、高校生であったり、「日本人の誰しもが通過したであろう」わかりやすい共通背景を持つことが多い。
ここでいきなりコナンザグレートやグインを連れてくるとヒロイックファンタジーになってしまう。
せめてまあまあ綺麗とか可愛いとか部活レベルで強いんだよ、ぐらいにとどめられることが大概である。
異世界では、現代社会においてのキャラクターのそれまでの容姿評価、学歴、収入、人間関係等がリセットされる。
ここが物語がつむがれるのに異世界が必要とされる理由だ。
世界は主人公を中心に動き始める。
現代社会が舞台では色々と制約がかかることを、創作者の価値観で押し通すことができる。
当然、主人公目線でキャラクターの美醜は語られ、人間関係が構築されていく。
人間らしく、また読者に感情移入させるべく、主人公は異性(同性?)に興味を持ったり、興味をもたれたりするのだ。
ここにエロスとの親和性が発揮される。
全ての創作者の原動力が「萌え」なわけではないのでここで、異世界トリップものといえども多様性はでてくる。
主人公は重要人物であり、異世界社会で実力を発揮していくことで認められたり、異世界では存在しない文明を持ち込んで社会に寄与したり、不幸な人々を解放するために立ち上がったりする。
社会的に他人に認められたい、という人間の欲求もまた古くから論議され、心理学でもよく俎上に上がるテーマであり、このことが体感できている作者は、エロスと社会性を組み合わせ、一本調子でない作品をものにしているのだ。
先にあげたように、世界的なヒットを飛ばす文学作品にファンタジー、しかも異世界譚が多いことは事実で、国や言語は違えども、ファンタジー作品がいかに包容力のあるジャンルであるか、といういい証明になっている。
つまり大流行は歓迎すべき事態であり、ファンタジーを書くということは、作家志望者がメジャーを目指すには最適な方法だ。
むしろ、他人に分かりやすい世界を描く手法としてファンタジーは既に確立しつつある。
異世界トリップ、異世界ものファンタジーとは創作者の創造欲をみたし、また読者のニーズに応えた素晴らしいジャンルであると言わざるを得ない。
※海外有名作家敬称がすっぽぬけているのは「氏」をつけるとどうも不自然なため。これは筆者の主観。
※トールキン:J・R・R・トールキン「指輪物語」の作家。
※「ナルニア」や「アリス」:「ナルニア国物語」C・S・ルイス 「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル
※ダイアナ・ウィン・ジョーンズが、パラレルワールドもので有名。
:異世界、異次元ものが多い作家だが、日本で一番有名な作品は「ハウル」。今年三月死去。
※某ハリー:J・K・ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズの主人公。
※エンデ:ミヒャエル・エンデ
※ルグィン:アーシュラ・K・ル=グウィン
※「タリスマン」ウルフかわいいよウルフ
※ケモナー:とは、ここでは、人と他の動物の特徴を合わせ持つキャラクターのことを好きな人のこと。
※三浦建太郎氏とアイマスの関連に関しては、ヤングアニマルの作家コメントを追うと面白い。
※山岸諒子氏をバレエ物漫画家:耽美物、歴史物作家でもある。
※安彦良和氏の「アリオン」:筆者を近親物と神話物萌えに叩き込んだ作品。
※宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」:筆者をおっさん萌えにt(ry
※コナンザグレート:ヒロイックファンタジーの代名詞みたいなもの。SF作家、高千穂遙の「美獣」でもいいかと思ったが知名度が違いすぎる。
現在ファンタジー作品を書く合間に、設定、世界観で大いにつまづき、色々考えて、このエッセイを書いてみました。
小説を書くよりなんと簡単なことでしょうか。書くのに三時間とかからなかったのです。
考えていたことをただただ吐き出した形になったのでお見苦しい点多々ありますでしょうが、笑ってみのがしていただけると幸いです。