人間には心はあるのか
夜の7時。会社を抜け出してコンビニで夜食を買った。今日中に契約書を仕上げなくてはいけない。サンドイッチ片手に頑張って、帰社時刻はおよそ夜の10時だろう。何となく周りに流されてエリートサラリーマンになってみたが、仕事もプライベートもストレスばかりで面白くない。なんでこうなっちまったんだか・・・。いつの頃からか、社会に対して、人に対して違和感を感じるようになっていた。日常の中で、まるで違う星に迷い込んだ異星人のように感じることがある。
病んでるな・・・俺。
もう一度人生をやり直せるとしたらどんな職業につこうかなんて、現実逃避的空想に遊びながらコンビニ袋をブラブラさせて歩いていると、突然バケツをひっくり返したような豪雨が襲ってきた。やばい。このままでは一分もたたないうちに全身ずぶ濡れだ。俺は慌てて一番近い雑居ビルの軒先に逃げ込んだ。
‐昭和パレスビルヂング‐
ビルはおそらく築30年は経過しているだろう。エレベーターもない。5階建ての薄汚い建物だ。蛍光灯もたまにチカチカと点滅し、メンテナンスの悪さを物語っている。
30秒後、女が一人飛び込んできた。俺より少し長く雨に打たれたんだろう。髪も服も水を吸って重たそうだった。女はハンカチで水滴を拭いながら、俺に気が付き会釈をしてくる。美人だ。俺も反射的にぺこりと頭を下げて、よからぬ想像をする。もしも会話が弾めば、この後一杯どうですか?なんて展開もあり得る。そうしたらホテルに行って・・・そんな都合のいいことを考えている俺を女はチラチラと見てくる。どうしたんだろう?まさか俺のいやらしい心を読んでいるわけじゃあないだろう。もしかして、俺に気があるんだろうか?それとも何かの勧誘か?それとも見おぼえがないけれど知りあいだろうか?
「何ですか?」
女があからさまに俺を見てくるので、気になって俺から声をかけた。女は少しびっくりしてから言った。
「あのう・・・」
「はい・・・」
「あなたは・・・ロボットじゃないですか?」
ロボット・・・・?意味不明な問いかけに俺の心は警戒モードに入った。初対面の人間に対して意味不明なことを言い出ということは、ちょっと頭がおかしいのだろうか?そうだとすればあまり関わり合いにならないほうが賢明だ。
「人間です」
無視してもよかったが拒絶のニュアンスを少し込めて短い言葉で返すことにした。しかし、女はひるんだ様子もなく「いいえ。私にはわかります。あなたはロボットです」と言ってきた。やっぱり頭がおかしそうだ。それとも何らかのドッキリ企画か、新手の勧誘方法なのか。俺は女の真意を探るべくもう少し相手をすることにした。
「何故。僕がロボットだって言うんですか?」
「だって、あなたには心が見当たらないから。姿形が人間と一緒でも心がなければロボットです」
確かに、感情の起伏があまりないと言われるが、心がないとまで言われる覚えはない。少しイラついてきた。
「心はありますよ。人間ですから」
「じゃあ、それを証明できるかしら・・・」
この時点で無視をすればいいのだが、俺は少しムキになってきていた。女を論破してやりたい。そう思って携帯電話を取り出して、写真フォルダを表示した。
「これを見てください。」
「はい。これが何か?」
携帯ディスプレイに表示した写真は美しい空のショットだった。
「今朝、空を見たらあまりに綺麗だったんで思わず写真に撮りました。ロボットが景色を見て感動することもないでしょう」
「確かにロボットは感動しないですね」
「わかりましたか?僕はちゃんと心がある人間です」
「でも、それだけじゃ証明にはならないです。だって心があるフリをしているだけかも知れないから」
「フリ?」
「ええ。フリです。ロボットが人間のフリをするために、空の美しさに感動したフリをする。そして、ロボットじゃないかと疑われた時のために、携帯電話に写真をおさめておく。簡単なプログラムでそのくらいの行動は可能です」
「バカバカしい。へ理屈だ。何でわざわざそんなことをしないといけないんですか」
「それは、あなたがロボットじゃないと周りに思い込ませるためでしょう。今の行動でますますあなたがロボットだという疑いが強まりました」
「じゃあ、もういいです」
「何がいいんですか?」
「ロボットということでいいので、もう話しかけないでください」ちょっとの会話だけど俺は女の相手をするのに疲れてきていた。頭がおかしい女とどれだけ話したところでこのまま平行線だ。
「本当にいいんですね。ロボットで」
俺は返事をしなかった。そうすると女はゴソゴソとバッグに手を突っ込んで、こっちを見て言った。
「よかった。ロボットで」
そして、にたりとほほ笑む。その手には刃渡り10センチほどのナイフが握られていた。そして、ひゅっという風切り音とともに。俺の頬を何の迷いもなく切り裂いた。止まる時間。女はにたにたと俺を見る。その瞳には明らかな狂気がある。傷を手の平で押さえたら鮮血に染まった。血だ。
「な、何を・・・?」俺の問いが終わらないうちに女は言った。
「あなたがロボットなら、私はあなたを破壊します。人間なら殺すことはできないので、あなたがロボットで本当によかった。心おきなく破壊できるわ」
「ちょ、ちょっと待て。待ってくれ。破壊?何だ?何を考えてるんだ?こんなことをしていいと思っているのか?」
「いいの。あなたはロボットだから。私はロボットを破壊する」
「待て。俺はロボットじゃない」
「だってさっきロボットって言ったじゃない」
「さっきはさっきだ。ロボットじゃない。人間だ。この通り。見ろ。これを」俺は血に染まった手の平を女に突き出して見せた。
「この通り、切れば血が出る。人間だ」
「確かに、血は出ている。でも、さっきと一緒。そんなの人間だという証明にならないのよ。切れば血が出る構造のロボットなのかも知れない。脳味噌の代わりにCPUが動いているのかもしれないし、心臓じゃなくてモーターが動いているのかも知れない。あなたがロボットじゃないと証明できるのは心があることを証明できた時だけよ。もし、本当に人間だというのなら早く心があることを証明してみせなさい」
「ちょっと待ってくれ。何でだ?」
「何でって何が?」
「何で俺をロボットと言って破壊しようとする。何で人間だったら殺さずにロボットだったら破壊する?」
「そんなことあなたに説明する必要はないわ。心があることが証明できないならこうするだけ」そう言って今度は額を真横に切り裂いてきた。
「ぎゃあ」
「あらロボットのくせにいっちょ前に悲鳴はあげるのね。なかなか人間らしい悲鳴よ。まあ、それもプログラムなんだろうけど。前髪も切れて揃っちゃったわね。ふふふ。バカみたいな髪型。このままちょっとずつ切り刻んであげようかしら」
女はそう言って、血のついたナイフをぺろりと舐めた。
「も、もういいだろう・・・勘弁してくれ。俺が何をしたって言うんだ?」
「あら。あなた、ズボンが少し濡れてるじゃない。怖くておしっこ漏らしちゃったの?いいわねえ。それもなかなか人間っぽいわよ。でも、やっぱり本当に恐怖心を感じているのかプログラムでそうなってるかはわからないから、駄目ね。じゃあ、そろそろ破壊することにするわね」
「ちょっと待ってくれ。理由を、理由を教えてくれ。誰かと間違っていないか?本当にこんなことをされる覚えはないんだ」
「あら、ロボットのくせに理由を知りたがるの?どうしようかなあ?教えてあげてもいいけど、教えてもあたしには何のメリットもないのよね。そうねえ。じゃあ、おしっこするところを見せてくれたらいいわ」
「な?おしっこ?」
「そう。おしっこ。それもただするんじゃ面白くないからズボンとパンツを一緒に脱いで、うんこ座りをしておしっこするところを見せて」
「バカな。そんなことが出来るわけないだろう」
そう言うと女は急に眼を釣り上げて、ものすごい形相で叫び出した。
「バカだと。このやろう。テメエが理由が知りたいっていうからあたしが条件を出してやってるんだろう。条件を出させといて飲まないとはどういうつもりだ」そう言って明らかに訓練されたローキックを俺の太ももに入れてくる。ズムっという音とともに、ナイフとは違う鈍い痛みが太ももに広がる。
「ううう・・」思わず目頭から涙が零れ落ちた。なんて理不尽な女だ。
「あら。泣いちゃったの?ごめんなさい。でも、これでわかったでしょう。あなたには選択肢はないの。早くしろよこのやろう!!」
情けないが俺はもう抵抗する気力も失くしてしまった。女に言われるままズボンとパンツを一緒に下ろす。
「そう、完全に脱いでね。あ、靴と靴下はそのまま。履いたままで。そうよ。そうしてうんこ座りをして」
俺は、下半身裸になり、靴と靴下だけ履いたまましゃがみこんだ。
ちょろちょろちょろ・・・
ペニスから勢いのない小便が垂れ落ち、床に敷き詰められた古いタイルの網目に沿って流れて行った。ううう・・。俺は屈辱で泣いていた。それを見て女はにやにやと笑っている。完全にイカれている。
「なあ、一体俺が何をしたって言うんだ?教えてくれ」
「そこまでして知りたいのね。いいわ。教えてあげるから『このション便漏らしに、教えてください。女王様』とお願いして」
「この・・・ション便漏らしに・・・、教えてください。女王様・・・」
「あははは。本当に言うんだ。プライドないのね。いいわ。教えてあげる。これはね。復讐」
「復讐?」復讐という言葉にさっきまでとは違う速度で俺の心臓が鳴り出した。手の平に汗が浮かぶ。
「先月。ある少女がビルから飛び降りて自殺したの。自殺の理由は頭のおかしい男にレイプされたから。でも、男はそんなことなかったかのように人間社会に紛れ込んでのうのうと暮らしているわ。少女の姉は男に復讐してやることにした。だって、死因になった男が生きていて、罪もない少女が死んでるなんておかしいでしょう。でも、ひとつ問題があったの。姉はある宗教の信者で、戒律で殺人は禁じられている。悩んだわ。復讐してやりたいけど、戒律は犯せない。でもね。ある人が助言をくれてね。殺人は禁じられているけど、社会に害となるロボットを破壊することは禁じられていない。そして、人間とロボットを隔てるのは心の有無だけ。心があるのが人間。心が無ければどんなに姿かたちが人間に似ていようとロボット。姉は男が人間かロボットかを確かめることにした。でも、男は心があることを証明できずロボットだったので破壊される」
そういうことか。思い当たる節は確かにある。女の言う通り、俺は先月何の関係もない少女をレイプした。くそう。でも、俺は死にたくない。こんなところで殺されたくない。
「心はあるんだ!!俺は人間なんだ」抵抗にもならない叫び。俺は死ぬのか?
「バカね。本当は心があることの証明なんて原理的にできないのよ。できるとすれば心を取り出してそれを実際に目に見せるくらい」
「そんなことできるわけ・・・」
「ないでしょ。だからどうやったって、人に対して心があることを完璧に証明することなんてできないのよ。わかった?ロボット。さあ、死ね!!!!!!!!!!」
女はそう言って、ナイフを振り上げた。しかし、何故かそのまま固まってしまった。そして、何かをぶつぶつと呟いている。
「死ね?今、私、死ねって言った?死ねってどういうこと?ロボットだから破壊でしょう」
そう言って再度ナイフを振り上げたがやっぱり振り下ろすことはできずに固まっている。まだぶつぶつと呟いている。
「心がないのがロボットだけど、心の存在は原則誰にも証明できない。私には確かに心があるけど、あの子の心を確かめたことはない。じゃあ、あの子ももしかしてロボットだったの?というよりも、私が人間と思っていたのはもしかして全部ロボットだったの?私がこの男を破壊できれば私の中ではこの男はロボットということになるけど、そうすると私にとって人間は全部ロボットっていうことになるんじゃないの?じゃあ、この復讐に何の意味があるの?誰が浮かばれるの?あなた。聞いてる?答えて・・・」
女は一人で自問自答し、わけがわからなくなってしまったようで最終的に俺に答えを求めてきた。さっきまでの狂気や殺気が嘘のように抜けてしまっている。そこにあるのは悲しみだけのように見えた。
「答えはもう出ているんじゃあないのか・・・?」
俺は恐る恐る言った。女の目は力を失っている。
「お前は人間を無理やりロボットと思いこもうとして失敗した。お前に人は殺せない。さあ、ナイフを渡すんだ」
そう言うと、女は放心したように俺にナイフを手渡してきた。その瞳には涙が一筋流れている。
ナイフを握りしめた俺は思わずにやりと笑ってしまった。
「俺の中でも答えが出たよ」力強く言うことができた。何故ならナイフはもう俺の手元にあるのだから。俺の言葉に対して、女は顔を上げて俺の目を覗きこんだ。そして、俺はナイフの柄を握りしめて、その心臓に水平にねじ込んでやった。ナイフを抜くとぴゅううと鮮血がほとばしる。
「俺の感じてた違和感の正体。社会なんて存在しなかったんだ。俺が今まで人間だと思いこまされていたのはみんなロボットだったんだな。これですっきりした。確かに、ロボットだったら破壊してもいいよな。おかげで目が覚めた。これからは、迷わずに破壊したくなった時に、ロボットを破壊することにするよ」
そうして、初めて破壊したロボットを床に転がした。少し心が痛む気がする。仕方ないな。俺だけがこの世で唯一の人間なのだから。この心の痛みは人間の証なのだから。