何のたまご?
ある日、あのカマキリがここを訪れた。俺をここに連れてきた、あの無言で圧のあるやつ。そいつが、牢屋の前に来て、丸いモノを、コロンと投げ入れてきた。
「……?」
床の上で、それは軽く偏心しながら転がった。
丸い。大きさはハンドボールくらいか?表面はつるっとしていて、少し青みがかっていて、この世界の白い光を鈍く反射している。
「……飯か?」
一瞬、そう思った。
(新メニュー?緑ペースト改?)
しゃがんで、近づく。違う。これ、どう見ても――
「……卵だ。」
思わず声が出た。心臓が、ちょっとだけ跳ねた。
(来たか?)
脳内で、テンプレワードが一斉に頭の中を駆け巡る。
(卵イベント。相棒誕生。ドラゴン。フェニックス。激レア生物!)
顔が自然とにやける。
「……なるほどな」
丸いそれを見下ろしながら、俺は一人、うなずいた。
「ここで卵か」
カマキリは、何も言わずに立っている。ただ、こちらを見ているだけ。というか、俺がこれに対してどういう行動をとるか様子を見ているようだ。
「テンプレ展開をよく分かってるじゃあないか。カマキリ君。」
興奮のあまり鼻の穴が広がる。この世界に来てから、初めて“イベントっぽいもの”が出てきた。明確に“意味ありげ”な存在。俺は、その丸いモノから、どうしても目を離せなかった。
異世界は、まだ俺を見放していなかったようだな!
*****
しかし、 卵は三日経っても孵らなかった。丸いまま。つるっとしたまま。ヒビひとつ入らない。
最初の一日は、期待でいっぱいだった。じっと見つめていればそのうち光り出すとか、殻が割れるとか、中から何か鳴き声がするとか。そういう“前兆演出”を、俺は勝手に待っていた。
二日目になると、期待は少し、不安に変わった。卵の周りを何度もぐるぐる回って、指で軽くつついてみたり、耳を近づけてみたり。でも、何も聞こえない。温めるタイプのやつかと思い、その日は一日、卵を抱いて過ごしてみたりした。反応はない。
三日目。さすがに、思考が変な方向に行き始めた。
「……いや」
俺は、檻の中で胡座の上に卵を置き、じっと見つめていた。
「さすがに遅くね?」
朝が来て、飯を食い、卵を観察して、夜が来て眠る。俺がただ卵を孵るのを待っている間も、外では普通に時間が流れ、外の虫人たちも普通に生活してる。
(もしかして“待てば孵る”ってパターンではない?)
テンプレ脳が、別のページをめくり始める。
(卵イベント……孵らない卵……まさかこれ……)
異次元の可能性が、頭の中で形になっていく。
「……あれ?これ……」
卵を持ち上げる。少し柔らかくずっしりしている。
「もしかして……」
ごくり、と喉が鳴った。
「食べてスキル覚えるやつちゃうか」
急に、全部が繋がった気がした。
(ドラゴンの卵を食べたら耐火スキル)
(神獣の核を食べたら全ステアップ)
(レア素材=摂取型強化イベント)
テンプレワードが、再び一斉に頭の中を駆け巡る。
「いや、あるぞ。むしろ王道だぞ、これ。」
三日も孵らない。演出もない。虫側も、俺がどうするかを観察している。
(つまり、これは“育成イベント”じゃなくて。“強化素材イベント”だ)
俺は、卵を両手で持った。そして、意を決して
「いただきます」
あーんと大きな口を開け、卵を、口元まで持っていく。
その瞬間――
ガシッ!!
「うおっ!?」
視界の横から、いきなり何かが手首をつかんできた。卵を持ってる俺の手首を、でかい鎌ががっちり挟んでる。
顔を上げると、あのカマキリ型の虫人がすぐ目の前にいた。
複眼が、いつもより見開かれてる。動きも、明らかに早い。というか――めちゃくちゃ焦ってる?
「……え?」
カマキリは、俺と卵を交互に見て、鎌をぶんぶん振った。さらに、首を横に激しく振る。鎌をバツ印みたいに交差。そのまま卵を抱き寄せる。完全に、「それだけはやめろ」ってジェスチャー。
「……は?」
俺は、カマキリと卵を見比べた。
「そんな必死になるほど?」
カマキリは否定とも肯定ともわからない仕草をしているが焦っているのは感じ取れた。しかも、卵を俺から遠ざけるように、自分の後ろに隠す。
「……マジ?そんな大事なもんだったの?」
カマキリは、じっとこちらを見つめてくる。ちょっと怒ってる?俺は、しばらく沈黙したあと、両手を上にあげて
「……ごめんごめん!分かった、食わない!」
その瞬間、カマキリの表情が、ふっと緩んだような気がした。態度も分かりやすく、安堵の動き。
「……なんだよぉ。最初から言えよ……」
異常行動をとがめられたような気がして、よくわからない気恥ずかしさが込み上げてくる。俺は、カマキリが恐る恐る返してきた卵を見た。
相変わらず、何も起きない。ただの、丸い物体。でもさっきまでとは、ちょっと見え方が変わっていた。
(カマキリから見ても、これ、普通の“モノ”じゃないんだな)
そんなものをなぜ自分に預けているんだろうか? 結局、まったく進展のないままもとの構図に戻った。檻の外ではカマキリが、卵をじっと見つめている。観察とはまた違う目線。見守ってるような視線だった。
「……一体なんなんだよ、お前」
俺は、卵に向かって、そう呟いた。もちろん、返事はない。ただ、そこにあるだけ。それでも俺は、その玉から目を離せなくなっていた。
*****
卵を食べるのを止められてから、俺は本格的に「ここで生き延びる方法」を考え始めた。まず必要なのは、意思疎通だ。この世界、どう考えても虫人しかいない。俺が唯一の人間。つまり、交渉力ゼロ。ここで詰んだら、マジでこの檻が終の棲家になる。
「……よし」
俺は立ち上がって、檻の外にいるトンボやカマキリやバッタに向かって、思いっきり身振り手振りを始めた。指を差して、自分を指して、また指を差す。
「俺!」
次に、地面を指す。
「ここ!」
最後に、外を指して、両手を広げる。
「外!」
要するに、「俺をここから出してくれ」というジェスチャーのつもりだった。虫たちは、じっと見ている。触角が、ぴくぴく動く。そして――
首を傾げた。終わり。
「……うん、まあ、そうだよな」
言語が違う以前に、“表現方法の文化”から違うんだな。
次は、地面に絵を描いてみた。
棒人間。虫っぽい人。矢印。ニコニコマーク。
「これで分かるやろ」
分かるわけなかった。カマキリは、しばらく絵を眺めたあと、その上を普通に歩いていった。
テンプレでは、ここで翻訳スキルが発動する。もしくは、通訳役の美少女が現れる。でも現実は、何も起きない。俺の言葉は、ただのノイズ。向こうの音も、ただの虫の鳴き声。完全に詰んでる。
「……マジで、どうすんだこれ」
この世界で生き残るには、まず「言葉」が必要だ。飯は水も来る。殺される気配もない。でも、何も通じない。このままじゃ何の物語も進行しない。ここが一番キツい。
「……いや、待て」
檻の中で、俺はふと思い出した。
「金田一京助……」
以前、民俗学の講義で聞いた話。アイヌ語を研究した人。日本語がまったく通じない相手と、どうやって最初の意思疎通をしたか。その方法が、めちゃくちゃ合理的だった。
・まず意味のない絵を描いて見せる
・相手が「何これ?」って言う
・それによって「何これ?」という言葉を特定できる
あとは、ひたすらいろんなものを指差して、「何これ?」って聞いて物の名称をどんどん特定していくっていうメソッド。名詞は、全部それで取れる。
「……これだ!」
大学で受けた授業でかろうじて覚えていた逸話。異世界で言葉通じなかったときに使えるなー、って思いながら聞いてたんだよな。
俺は、地面に指で適当な絵を描いた。丸と三角が混じった意味不明な図形。完全に落書き。それを、檻の外の虫たちに見せる。指をさして、言葉を促す。
「これ何に見える?」
虫たちは、少し触角を揺らしてから、みな同じような短い音を出した。
「……△△△?」
俺の背中に、ぞわっと鳥肌が立った。
(来た!たぶん今のが“何これ?”だ)
俺はさっきみんなが発した“音そのもの”を真似しようとした。
「……キキユ。ユクク?…クココ!」
俺の出した音声を聞いて、虫たちが首をかしげる。
「……人間に出せる音じゃNEEEEEEE!!!」
絶望する。カマキリたちが出した音は、もっと高くて、もっと細くて、喉じゃなくて、“別の器官”から出ている感じだった。人間の喉では、虫たちの言語を物理的に再現できない。
俺は、地面に描いた絵を見下ろしながら、静かに息を吐いた。
「……ナニコレ?……」
いつもと違う声色だった。




