そして、異世界へ
キヨの口が、ぽかんと開いてる。醜鬼も、動きを止めた。スズも、口を開けたまま固まった。
「え、だってさ」
俺は真顔で続ける。
「辛いこというけど…、スズの親、もう死んでるんだろ? 迎えに来てないし、……そういうことだろ?」
「え……、うん……」
キヨが答える。
「じゃあもう親権ないじゃん。法律的にも霊的にも、しらんけど。だからさ!」
俺は、スズを指さして醜鬼に向かってこう言った。
「この子、今日から俺の子ってことでよろしく!」
……沈黙。風も止まったみたいに、賽の河原が静まり返る。キヨは完全にフリーズしていた。
「え、あの、その……そんなの……アリなんですか……?」
キヨが醜鬼に向かって問いかけると、醜鬼は首を傾げるように影を歪ませた。
スズは――
吹き出した。
「……ふふっ」
「え?」
「……アハハッ!! なにそれ!」
スズは、大笑いしながら俺を見た。
「……いいよ」
「え?」
「あんたが私のお父さんってことで」
その瞬間。醜鬼の影が、ぐにゃりと歪んだ。さっきまで濃かった輪郭が、急に萎んで、薄くなっていく。まるで、存在の前提条件が崩れたみたいに。影は、最後に一度だけ揺れて――消えた。跡形もなく。
「…………」
キヨは、口を押さえた。
「……そんな……そんな抜け道、聞いたことない……」
周りの子供たちが、ざわざわと湧き始める。
「え、消えた?」
「スズ、助かったの?」
「ユウヤ、すごくない?」
「お父さん……?」
ユウヤは、頭をかいて笑った。
「いや、俺も今思いついただけだけどな」
スズは、まだ笑っていた。
「……あんたって、本当に面白い」
「そうかな?」
「うん。変」
「ひど」
ユウヤは立ち上がって、子供たちを見渡した。
「よーし!!」
そして、両手を広げて叫んだ。
「これからは俺が、お前らのお父さんだ!!」
「「「ええええ!?」」」
子供たちの声が一斉に上がる。
――醜鬼。別名、疑心暗鬼。子どもが親の愛を疑い始めたときに産まれ、疑いから憎しみへと変わる瞬間に、一気に成長してその子を喰らう。醜鬼を産み出すのはその子自身。自分の心に自分の魂を喰われ、論理破綻の末に消滅する。ユウヤの言葉は、憎しみや疑いなど吹き飛ぶほどに暴論であり、一方で、すがるものを求めていた子供たちにとってはとても眩しいものだった。
キヨは青ざめた顔で呟いた。
「……いや、ちょっと待ってください……それ、賽の河原のシステム、どうなるんですか……?」
誰も答えられなかった。でも、確かに一つだけ言えることがあった。今日、この場所で、今まで一度も起きなかったことが起きた。賽の河原のルールが“力”でも“奇跡”でもなく、ただ一人の人間の発想でひっくり返った。
スズは、ユウヤの背中を見ながら、静かに笑っていた。
*****
【……これは】
【……ちょっと、予想外】
【……でも】
【……面白いかも】
その瞬間、まだ誰にも知られていないところで、一つの決定が、静かに下された。
――この人間は、しばらく観察しよう。
――この人間が期待する展開の真逆に物語を動かした時、この人間がどんな反応をして、何をするのか。
――それを、見てみたい。
賽の河原に、初めて“予想外の物語”が生まれた瞬間だった。
*****
賽の河原は、しばらくの間、妙に穏やかだった。石が崩れる音と、子供たちの笑い声。白装束が風に揺れて、河原の霧がゆっくり流れていく。ユウヤは、いつの間にか完全に馴染んでいた。
「あー、そこ斜めりすぎだって。」
「それ積む前に下の石どかして、絶対崩れる」
「……わわっ、だから言ったじゃんw」
子供たちは自然とユウヤの周りに集まり、何かあるとまずユウヤを見る。最初の頃の、場違いな大人が混じってる感じはもうなかった。その日も、いつも通りだった。石を積んで、崩れて、笑って。遠くでは鬼たちがぼんやり見張っている。
ふと、ユウヤは少し離れた場所にいるキヨに気づいた。
岩陰で、何か紙を広げて読んでいる。周りを気にしながら、やたらそわそわしている。
(……なんだあれ。ラブレターでも貰ったんか?)
ユウヤは、半笑いでそっと近づいた。背後から、ひょいと覗く。
紙の上には、細かい文字が並んでいた。読める単語だけが、やけに目に飛び込んでくる。
『辞令 配属先:アルカディア・レムナント王国方面 圏外領域管理部門』
(・・・・・アルカディア・・・・レムナント王国!?)
ユウヤの脳内で、久しく動かなかった回路が刺激された。
(どう考えても異世界だろ、それ)
「なあキヨ」
「ひゃっ!? ユ、ユウヤさん!?」
「それ、地獄の名前?」
キヨは、紙を慌てて畳んだ。
「い、いえ、その……配置転換で……」
「いや配置転換はいいんだけど」
「……地獄です」
「その顔で言われても信用できねえよ」
キヨは困ったように笑うだけで、それ以上は何も答えずそそくさと逃げるようにどこかへ行った。
*****
その日は賽の河原の鬼たちの空気が、少しだけ浮ついていた。
キヨは、いつもよりきっちりした様子で、一人、河原の奥へ歩いていく。
「怪しい…」
俺は、スズの袖を引っ張って言った。
「ちょっと、ついて来い」
「え、なんで?」
「いいから」
二人で、少し距離を空けて尾行する。河原の端。岩肌がむき出しになった洞窟の奥。中に入ると、空気が変わった。湿った冷気、地面から立ち上る薄い霧、そして――
空間そのものが、歪んでいた。膜のように揺れる光。向こう側が見えそうで見えない、不自然な境界。
そこに、上官らしき鬼が立っていた。
「これから数十年、アルカディア勤務だな。」
その言葉を聞いた瞬間、背中にぞわっと鳥肌が立った。
(……やっぱ異世界じゃん)
「無事帰ってきたら栄転だぞ! まぁ、変に波風立てず、大人しくしてれば大丈夫さ!」
キヨは上官に大きくお辞儀をして、一度だけ河原の方を振り返った。そして、何も言わずに、光の膜の中へ足を踏み入れた。
その姿は、境界を越えた瞬間、まるで水に溶けるみたいに消えた。
「……」
しばらく、2人とも言葉を発せなかった。洞窟の中には、光の揺れと、遠くの河原の音だけが残っている。
「……なに、今の」
「どう見ても、異世界ゲートだろ。キヨの野郎、俺に内緒で自分だけ異世界転移しやがって。」
スズは、少し首を傾げた。
「……異世界って?」
「別の世界だよ。ファンタジー的なやつ」
「……よくわからない」
光の膜を見る。その向こうに、何があるかは分からない。でも、胸の奥が、妙にざわついている。
「俺さ……」
「うん」
「ずっと、こういうの夢見てたんだ」
「……」
「知らない世界行って、なんか主人公みたいなことするやつ」
スズは、静かに俺を見ていた。
「……行きたいの?」
「……うん」
正直に言った。それから、河原の方を振り返る。子供たちが、いつも通り石を積んでいる。笑って、騒いで、何も知らない顔で。
「……でも、今行ったらさ、あいつら置いてくことになるだろ」
スズは、少し考えてから言った。
「……ユウヤが、別の世界に行ったら」
「ん?」
「たぶんその時点で、ユウヤが親になった子たちはちゃんと輪廻に還れると思う」
「……え?」
「なんとなくだけど、分かるんだ」
ユウヤは言葉を失った。
「……スズは、俺と一緒にいくか?」
洞窟の中に、静寂が落ちた。スズは、光の膜を見つめながら言った。
「私も、ここで輪廻に帰る」
「……え?」
「たぶん特別なのはあなただけだから」
俺は、何の言葉も返せなかった。
「悲しいことじゃないよ」
スズは、小さく笑った。
「助けてくれて、ありがとう」
「……」
「だから」
スズは、少しだけ間を置いて言った。
「笑って、行って」
スズの言葉に背中を押され、光の前に立った。一歩踏み出して、それから振り返る。洞窟の奥。霧の中に立つスズ。さっきと同じ、穏やかな笑顔。でもどこか、意味ありげな表情で。
「……行ってくる」
気の利いた言葉も思いつかず、ただそう言って、俺は境界へと足を伸ばした。




