お父さんとお呼びなさい
ユウヤは、それからも何度も走った。悲鳴が聞こえるたび、醜鬼の影が揺れるたび、考えるより先に体が動いていた。
「待て! やめろ! 離せ!」
大人の手は、何度伸ばしても空を掴むだけだった。影はすり抜けて、子供だけを包む。ユウヤは必死に叫ぶ。
「親のことを想え!まだ、まだ想ってるだろ!名前、思い出せ! 声、顔、匂い……!」
でも、どの子も最後は同じ顔をしていた。怯えてるようで、諦めているようで、どこか安心しているような、悲しい笑みを浮かべたまま、ユウヤを見て、消えていった。
私は、少し離れた場所から、それを見ていた。ユウヤの背中は、だんだん小さくなっていく。走る速度が遅くなって、叫ぶ声が掠れて、やがて、石を積むこともやめた。
「……こんなはずじゃ……」
河原に座り込んだまま、ユウヤは呟く。
「異世界モノなら……こういうとこでスキル目覚めるだろ……なんか……光って……覚醒イベントとか……」
誰に向けたわけでもない言葉。私は、少し困った。ユウヤが動かなくなった。石も積まない。笑いもしない。冗談も言わない。ただ、そこに座って、地面を見ている。
「……どうしようか……」
小さく呟いた。誰かに聞かせるつもりもなく、ただ、口からこぼれただけの言葉。ユウヤは反応しなかった。
その時。
「――――っ!」
また、悲鳴が上がった。反射みたいに、ユウヤの体が跳ねた。
「……!」
何も考えず、また走り出す。何度も失敗して、何度も救えなくて、それでもまた。私は、その背中を見送った。小さく息を吸って、誰にも聞こえない声で言った。
「……そろそろ、私の番かな……」
それは、意を決したみたいな声だった。自分が次に消えることを、もう分かっているような、静かな声。ユウヤはそれを聞いていない。ただ、また誰かを救おうとして、賽の河原の奥へと走っていった。
スズは、その場に立ったまま、石の山を見つめていた。崩れないように積まれた石。意味のない努力。終わりのない時間。そして、その中で、一人だけ必死に抗おうとする大人。
スズは、ほんの少しだけ、目を伏せた。
それが、この世界で初めて生まれた“予定外の動き”だということを、まだ誰も知らなかった。
*****
自分のすぐ後ろで不気味な咆哮が聞こえた。聞き慣れたくない醜鬼の声、それがすぐそばで聞こえた。反射的に振り返る。何度も見た光景。何度も間に合わなかった瞬間。
醜鬼の影が、スズの背後に立っていた。輪郭が揺れて、空洞みたいな目と口が、スズの方を向いている。
「スズ!!」
叫びながら四つん這いでスズに駆け寄る。でも、どこかで分かっていた。
(また……間に合わない)
今までと同じだ。何度もこうやって、走って、叫んで、手を伸ばして。そのたびに、誰も救えなかった。
(また、同じこと繰り返してる)
頭の中で、ハヤトの顔がよぎる。あの笑顔。最後に見せた、あの諦めたみたいな目。
(違う……今回は違う……)
そう思いたいのに、現実は何も変わっていない。スズは、ゆっくりと目を閉じた。その仕草が、あまりにも自然で、あまりにも慣れているように見えて、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
(……やめろよ。なんでそんな顔するんだよ。諦めるなよ)
今まで、スズは一度も泣かなかった。取り乱したこともない。ただ、ずっと静かに石を積んでいた。そして、今も――。
まるで、自分の順番が来たのを、ちゃんと理解しているみたいで。
「スズ!! 親のこと思え!!」
声が、少し震えた。
「お父さんとお母さんの顔!!名前!!声!!ほら、思い出せるだろ!!」
言いながら、分かっていた。
(今までと同じだ…。同じこと言って、同じ結果になる)
でも、他に方法が思いつかなかった。スキルもない。魔法もない。チートもない。ただの人間が、ただの言葉で、この世界のルールに抗おうとしている。
(……こんなの、異世界モノじゃない。テンプレ通りなら、ここで覚醒するんだろ。光って、なんか力出て、助けるんだろ?)
でも、何も起きない。光らない。力も湧かない。世界は、冷静にスズを喰おうとしている。スズの影に、醜鬼の腕が重なった。その瞬間、ユウヤの中で何かが切れた。
(……違う。こんなはずじゃない。スズが消えるのは、おかしい。だって……)
そこまで考えて、ユウヤは、ふと思った。
(……なんで“親”なんだ? なんで“親じゃないとダメ”なんだ?)
石を積むのは、親を想うため。親を想わなくなったら、喰われる。
だったら。
親がいないなら。
親が来ないなら。
――作ればいいじゃん。
「……あ」
まぬけな声が、口から漏れた。
「……そっか。」
頭の中で、ピースが一気に噛み合った。今までの焦りとか、恐怖とか、全部すっ飛ばして、異次元の発想に辿り着く。
「俺が親になればいいじゃん」
言った瞬間、自分でも思った。
(……何言ってんだ俺)
ユウヤは、スズを見た。( ゜д゜)ポカーンとした顔をしてこっちを見ている。
よく見るとキヨも、周りの子供もポカーン( ゜д゜)。心なしか醜鬼もポカーン( ゜д゜)。
(……でも、それしかなくね?)
スズの親は、もういない。迎えにも来てない。だったら、空席だ。そこに座ればいいだけ。法律も、地獄のルールも、全部知らないけど。少なくとも…
(スズが消えるよりはマシだろ)
醜鬼に向かって高らかと宣言。
「この子、今日から俺の子ってことで!」
その瞬間、賽の河原のシステムが、静かにバグった。




