閻魔の沙汰?
「……うぉっ!?」
次に目を開けた瞬間、俺は見知らぬ場所に立っていた。
黒塗りの床に敷かれた豪奢な絨毯、果ての見えない天井、朱色に塗られた極太の柱、鎧を纏った兵士、壁際に整然と積まれた帳簿の山。
そして正面には、立派な髭を携えた玉座に座る威厳ある存在。
「……え、これ」
俺は心に湧き上がるものを抑えながら、周囲を見回して、状況の把握に努める。俺の周りには、老若男女、服装もバラバラの人たちが十数人いた。全員、俺と同じように辺りを見回したりしている。そしてそれを品定めするように見つめる王様らしき人物。
(これはもう間違いない!異世界転移だ!)
(そしてこの状況…、さては集団召喚術式による転移だな!?)
事態を飲み込めず惚けている一般勇者たちに先んじて、俺は次のアクションを起こすことにした。
「よし……」
俺は軽く深呼吸してから、まず一つ目のテンプレを試した。
「ステータスオープン!!」
……。何も起きない。
「……おかしいな。そういうタイプじゃないのか?」
両手を前に突き出す。
「ファイア!!」
……何も出ない。
「……身体強化!!」
……ヒョロガリのまま。
「……鑑定!!」
……神崎ユウヤ・大学生(享年二十歳)。
「……」
俺は少し焦り始めた。
「え? え?おかしくない?異世界来たら最初に出るやつ全部通らないんだけど」
周囲を見渡してみる。誰も剣も魔法も出していない。むしろ全員、ただ突っ立ってるだけだ。
「……まさか」
俺の脳裏に、嫌な可能性がよぎる。
「チートなしタイプの異世界?」
その瞬間。正面の巨大な机の向こうから、低く、よく通る声が響いた。
「……静まれ」
「はいっ!!」
俺は反射的に背筋を伸ばした。
声を発したのは、赤い顔に長いヒゲ、いかにも“偉そう”な風貌の人物だった。和風の豪華な装束を着て、玉座みたいな椅子にどっしり座っている。
「あ、なるほど」
俺は一瞬で理解した。
「王様か。なるほどなるほど、ここがスタート地点か」
俺は自然な笑顔で一歩前に出た。
「初めまして!俺、神崎ユウヤって言います!勇者枠ですか? それとも転生者枠ですか?」
王様は眉をひそめた。
「……何を申しておる」
「いやほら、よくあるじゃないですか。王様が召喚して、魔王倒してこいってやつ」
「……」
「で、石板に触れたらチート能力とか、加護とか、そのへん頂ける感じで…、えー…」
「……」
何も響いてない。王様は困ったように咳払いした。
「お前は、自分がどこにいると思っておるのだ」
「え?和風ファンタジー異世界ですけど?」
「違う」
「断罪ダークファンタジー?」
「違う」
「じゃあまだ天国の控室的な?」
「おしい」
「……え?」
ここで、横から厳しそうな声が割って入った。
「キサマっ!!閻魔大王様に失礼であろう!」
「……え?」
俺は耳に入った言葉をよく咀嚼しながら、もう一度玉座の人物を見た。
「……閻魔、大王?」
王様――いや、閻魔様はため息をついた。
「…そうだ。ここは黄泉の国。そしてお前は、死者だ。」
「……」
頭が、一拍遅れて理解に追いつく。
「……え、俺……普通に死んだ?」
「そうだ」
「異世界じゃなくて?」
「違う」
「召喚じゃなくて?」
「違う」
「……ステータスも?」
「ない」
「……チートも?」
「ない」
「……」
俺は、ガクッと膝をついて天井を見上げる。
「……普通に死んだ!!!」
閻魔は、はぁ、とため息をつき、「最近この手合いが多いのはどういうことだ」とボヤく。
「知っておるかもしれんが、ここは閻魔庁といって黄泉の国の入り口。ワシ、閻魔大王が亡者の生前の罪を裁き、地獄行きか天国行きかを決めておる。」
…あまり頭に入ってこない。呆然とする俺に構わず、閻魔は淡々と続ける。
「さて、まずはお前の死因だが……状況から判断して、自殺に近い」
「・・・・・・・自殺!? いやいやいや!! 猫助けるために飛び出して轢かれたんですって!!」
「いや、これは猫を助けるために飛び出したというよりは、トラックにはねられるために猫を助けに行ったというのが正しい。猫を拾ったあと、トラックにひかれるまでそこから微動だにせんかっただろう?普通に考えて自殺であろう、これ」
「ぐぬぬ……!」
俺は歯を食いしばった。
「いやでもですよ!あれは経緯はどうあれ、猫を助けに行ったのは完全に善意じゃないですか! それだけで地獄行きって、ご無体すぎません!?」
閻魔様は腕を組んだまま、少し考える素振りを見せたあと、淡々と言った。
「ふむ……善意、であると申すか…まあよい」
指を一本立てる。
「実はこの時、お前は重大な罪を犯している。」
「えっ…!?」
「こちらのVTRをご覧いただこう」
突如流れる映像、それは俺が猫を助けに入った時のシーン。我ながら颯爽と猫を拾い上げる姿、まさにヒーローそのもの…。
「ここだ」
閻魔が映像を止める。そして俺の足元をズームアップ。
「何か…、踏んでる?アリ?」
「このとき、お前が踏み潰したこのアリはな、神蟻といって、神の遣いだ。」
「んなアホなっ!!」
「よって総合判断として――」
閻魔様は机を軽く叩いた。
「地獄行き」
「おええええええええええ!!!」
俺は思わず吐いた。
どこからともなく笑い声。何わろてんねん!!
「いやいやいや待ってください!! そんな簡単に決めちゃうんですか!? ワンチャン、転生ルートとかないんですか!? 異世界! 勇者! チート! みたいな!!」
「ない」
即答だった。頭の中で、何かが音を立てて崩れた。
え?俺、もう確定で地獄?異世界どころか、スタート地点が地獄? テンプレどころか、ルート選択すらできない?
「……まじか……」
閻魔様は、少しだけ申し訳なさそうな顔で言った。
「案内役、連れて行け」
「はっ」
どこからともなく現れた赤鬼が、俺の腕を掴んだ。
「では、ご案内します」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!! 心の準備とか!! せめて攻略本とか!!」
「地獄に攻略本はありません」
「ですよねー」
俺はズルズルと引きずられながら、向かって左の扉の方に連れて行かれる。足取りは重く、気分は最悪。異世界どころか、罰ゲーム会場に直行だ。
「……はぁ……」
完全にテンションが下がりきったところで、ふと、あることを思い出した。
「……あ、そうだ」
俺は歩きながら、今さら感のある疑問を口にした。
「そういえば閻魔様。あの時俺が助けようとした猫って、無事だったんですか?」
どうせなら、そこだけは報われたい。善行ポイント、ゼロじゃないですよね?って話だ。この期に及んで、俺ってばちょっと自分に酔ってる。
少し間があって、背後から閻魔様の声が響いた。
「……無事ではないな」
「え?」
閻魔が俺の足元を指差す。次の瞬間。
「ガブッ」
「いっっっっっっったぁぁぁぁぁぁ!!?」
俺の足に、何かが噛みついた。反射的に見下ろすと、そこにいたのは――
白い猫。さっきのやつと同じ顔。さっきのやつと同じサイズ。ただし、目が血走っていて、明らかに殺意高め。
案内役の赤鬼が、平然と説明した。
「あなたとトラックに挟まれて即死でした。正直に申し上げますと、あなたが捕まえなければ、無傷で生還でした。」
「……」
俺は噛みつかれたまま、ゆっくり天を仰いだ。
「……思ってたんと違う……」
その瞬間、またどこからか、くすくすと笑う“気配”がした。閻魔大王は、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。そして、ユウヤに聞こえないくらいの声で、言う。
「……運が悪かったな、若者」




