一歩前進
虫の街での生活が始まった。さて、何から始めるべきか。
ソネットを肩に乗せ、とりあえず外に出てみる。何もせずにイベントを待っていても、始まらないタイプの異世界らしいと分かってきたからだ。ならこちらからフラグを立てに行くしかない。まずは……
「異世界で職探しといったら、やっぱりギルドっしょ!!」
街を探索するけど、残念ながらそれっぽい建物は見当たらない。というか、そもそも俺はギルドというものを漠然としたイメージでしか知らない。
なんか剣と盾の看板があって、ウェスタン風の入口を抜けるとテーブルがたくさんあって、そこで荒くれが酒を飲んでて。壁には大きな掲示板があって、いろいろな依頼書が貼ってあって、美人の受付嬢にそれをもっていくと、チンピラ風冒険者に絡まれて……。
そんなステレオタイプなギルドなんて、この世界には存在しなかった。街を見て回って分かったのは、どうやらこの街は、各自がそれぞれの持ち場で、自分に適した仕事を担当するシステムで成り立っているらしい。
「分業社会……、極めて合理的だね」
ならば自分から突っ込むしかない。俺は、作業している虫人たちに近づいては、手伝いたいとアピールをした。戸惑いながらも、虫人たちは手伝わせてくれるが、当然ご期待には沿えず、すぐにお役御免。
その流れを二、三回繰り返した時点でコイツぁ無理だなと悟る。
「さぁて、どうしたものか……」
広場のベンチっぽい金属片に腰を掛け途方に暮れていると、どこかで見た人影が近づいてきた。
「おっ、トンボじゃん」
どうやら、俺のあたふたを遠巻きに見てたらしい。トンボは、こっちに来いという仕草をして俺の手を引いた。案内されたのは、公園のような場所。いろんな種族の子供の虫人が集まってワイワイしていた。
トンボは俺を、子供の群れのほうへ押しやった。子守? どうやら俺の適性はそっちだと判断されたらしい。まあ、異世界での信頼獲得イベントとしては悪くない。むしろ重要ポジションだろう。俺は気合を入れて子供たちの輪の中に入った。
子供たちは地面に丸い小石のようなものを並べ、一定の範囲を区切って何かの勝負をしているらしい。おはじきの陣取りゲームみたいなものか。ひとりが配置を変えるたび、周囲がざわつく。どうやらかなり白熱している。
俺は説明らしきものを受けた。たぶんルール説明だ。小石を指さされ、地面を指さされ、また小石を指さされる。
「うーん、なるほどわからん」
俺は曖昧にうなずき、とりあえず適当に置いてみる。全員が固まった。どうやらとんでもない手を打ったらしい。何がどうダメなのかもわからないまま、俺は軽く汗をかいた。
その時だ。ソネットが、すっと前に出た。
小さな体で盤面の中央に近づき、迷いなく一つ石を押し出す。次に別の位置へ移動させる。子供たちが一斉にざわついた。さらにもう一手。今度は歓声に近い音が上がる。俺は目を丸くした。
「……お前、今の説明でわかったのか?」
ソネットは一拍置き、体を小さく縦に揺らした。いやいやいや、今、縦に振ったよな? それ、肯定だよな?
「じゃあこれ、こう置いていいのか?」
別の石を指さす。ソネットは小さく鳴く。俺が置く。今度は子供たちが騒がない。俺はゆっくりとソネットを見た。虫たちの音にも反応する。俺の言葉にも反応する。しかも意味が通っている。
「……まさか、あいつらの言ってること、わかんの?」
ソネットはもう一度、縦に揺れた。ついでに、俺のほうをじっと見る。ああ、なるほど。虫語だけじゃない。俺の言葉も、ちゃんと理解しているらしい。
言葉が通じない世界で、初めて橋が架かった気がした。
異世界攻略、第一歩である。
*****
――ソネットを介せば虫たちとの意思疎通がある程度可能である――
このことに気づいた俺の異世界生活は、一気に加速した。
ここまででソネットについて分かった新事実をまとめると、
・俺の言葉を理解できる
・虫人の言葉も理解できる
・ただし、どちらの言葉も発音できない
ということ。
そして、日本人と同じく、yesのときは頭を縦に振り、noのときは横に振って教えてくれる。つまり、かなり一方通行で限定的ではあるけど、虫人との意思疎通がyes/no程度は可能になったということだ。
あと、ソネットはイモムシのくせにやたらと表現豊かだ。全身で喜怒哀楽や驚きなど様々な感情を表す。ソネットの仕草に全集中すれば、もっと細かなコミュニケーションもとれるかもしれない。
そう!ここにきて俺は、異世界モノあるあるの一つ、翻訳ナビを手に入れることができたのだ!……かなり性能は低いけど。
*****
ソネットのプチ通訳のおかげで、街の手伝いは意外とはかどった。石を運び、容器を洗い、よく分からない粉を篩にかける。言葉が通じないので説明はないが、ソネットの反応を確認しながらやればなんとかなった。最初は、俺の作業をチラチラ見守っていた虫人たちも、徐々に慣れていく俺を見て安心したのか、そのまま作業を任せてくれるようになった。
仕事の報酬はきれいな石だったり、不思議な物体だったり、ハグだったりする。最後のやつは正直ありがたくない。
それでも、手伝いを通して街の空気には少しずつ慣れてきた。虫人たちは集まると賑やかだが、散ると一斉に静かになる。一定の場所には必ず誰かがいて、一定の場所には誰も近寄らない。理由は知らないが、知らないなりに分かることもある。
街の端に、空白があった。建物はあるのに人影がない。近道に使えそうなのに迂回する。視線だけが集まり、足は向かない。遠巻きに円を描くような距離感だった。
「この付近、みんなあまり近寄らないんだよな。立入禁止とか?」
石造りの二階建てが多いこの街には珍しく、そこは半地下へ降りていくような造りの家だった。奥からはいつも、なんとなく焦げ臭いような香りがする。食べ物を焼いているような匂いではなく、どちらかといえば草木を燃やしているときの匂いに近かった。この街の人たちは、あまり火を使わないからなんとなくその一角が気になっていた。
ある日、いつもは人が少ないその一角で、人だかり――いや、虫だかりができていた。誰も近づかないが、誰も離れない。中央で一体が倒れている。体を反らし、節が震えていた。
「おいおい、病人か?」
呼吸の音が荒い。空気穴みたいな部分が規則的に動いては止まり、止まっては乱れる。周囲は焦っているのに、一定の距離を崩さない。近寄れない、でも助けたい、そんな空気だった。
「え、行かないの?」
当然のように足を踏み出すと、円がさらに広がった。避けられているのか道を開けられているのか分からないが、結果として最短距離ができた。
倒れている虫人の体表に、糸のようなものが絡んでいた。関節の隙間から白い線が覗き、呼吸孔らしき穴の縁で細かく揺れている。
「これ、詰まってんのか?」
肩の上のソネットは小さく鳴く。肯定っぽく聞こえるが自信はなさそうだ。とりあえずさらにのぞき込もうとした瞬間、俺の視界の端、あの半地下の階段から大きな影が上がってきた。
細長い脚が床を滑り、音もなく目の前に止まる。周囲の空気がさらに下がった。歓迎でも拒絶でもない、触れてはいけない何かが来た時の静けさだった。
蜘蛛型の虫人が、こちらを見ていた。




